セラピストのつぶやき

まあ、おもにつぶやきです。オモニ!

托鉢 2.

2018-11-07 01:33:32 | 哲学
読み進めて行くにつれ、もう少し深いらしいことがわかって来ました。

ちなみに、「たくはつ」と読みます。


そもそも僧侶は物を所有することが禁じられていたそうで、畑を耕すことも許されてなく、人々からの施しで生活していたよう。托鉢により1日生きていけるだけの食料をもらった後はそれ以上は求めず、まして貯蓄することは決してない。


自分の命を他人に、そして天に任せあるがままを受け入れる。


なんと潔くカッコいいことか。


消費と貯蓄にまみれた現代社会の暮らしぶりを振り返らざるを得ない。
ぼくは、ほんと貯蓄に関しては清々しいくらいに興味がなくそこはいいところやけど、消費はまだまだくだらんものをほしがるし全くダメ。


まだまだ変わっていけると思います。


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托鉢

2018-11-07 00:32:52 | 哲学
『托鉢』という言葉をさっき初めて知った。


なにやら怪しげな笠を被り、チリンチリンと鐘を鳴らしながらお経を唱える僧・・・。


ぼくが小学生の時は家の近所でたまに見ることがあって、遭遇する度にどれだけぼくを震え上がらせていたことか。畑帰りのクワを持った老婆と共に、「いますぐ逃げなければ命に関わる存在」として君臨していた。


今の店にも托鉢の僧が来てた時期があって、さすがに殺されるわけがないことはわかっていたけど、どう対処していいかも分からず店の奥に隠れて息を潜めてた。



その意味がさっきわかりました!



托鉢というのは、僧侶が鉢を手に持って外を回り、お金や食料をいただく行為のことを言う。


ぼくが驚いたのはここからだ。もちろん托鉢をする僧にも修行という意味が込められているが、本来はお布施をする方にこそ修行の意味があるらしい。托鉢の本意は、「お布施をすることで人々に徳を積んでもらうお手伝いをする」ということにあるらしい。


ああ〜!徳を積むチャンス逃してたわ。


だからお布施をしてもお礼を言われないことも多いらしく、それはお礼を言ってしまうと自分(僧侶)への施しに終わってしまい、徳を積んでもらうという本来の意味から離れてしまうから。



ふむ〜。知らんことはまだまだあってたのしい。そんなこととはつゆ知らんかった。


今日はちょっと仕事して昼寝して夕飯食べ過ぎて耳かきしたくらいの1日やったけど、ひとつ物を知りました。






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