ノーベル平和賞受賞決定を受けた後、マララさんは10日、滞在先の英中部バーミンガムで声明を発表しました。
この声明に 感動しましたのでご紹介します。
出典:2014年10月12日
毎日新聞
◇愛のメッセージ
ノーベル平和賞という貴重な賞に選ばれて光栄です。私がパキスタン人として初めて、若い女性として初めての受賞者となれたのを誇らしく思います。もう一つ、とてもうれしいのは、この賞をインドのカイラシュ・サティヤルティさんと共に授けられることです。児童労働の問題への素晴らしい取り組みに大きな感銘を受けました。たくさんの人が子供のために尽くし、私一人ではないと分かり、とてもうれしいです。彼(サティヤルティさん)はこの賞を受けるのにふさわしい方です。私たち2人は、1人がパキスタン出身で、もう1人がインド出身です。片方はヒンズー教を信じ、もう1人は熱心なイスラム教徒です。このことに人々へのメッセージが込められています。それはパキスタンとインド、そして異なる宗教の間の愛のメッセージです。私たちは皆人間としてお互いを尊敬すべきだというメッセージです。肌の色や言語、宗教は問題ではありません。私たちは人類について考え、対話すべきです。私たちは子供たちの命、女性の命、全ての人類の命のために闘わねばならないというメッセージです。
私はとりわけ家族に感謝したい。父はいつも私に何も特別なものを与えられなかったと言っています。でも私の翼を引っ張ることはしませんでした。翼をつかまずに、私に空を飛ばせてくれた父に感謝しています。そのお陰で、私は自分の目標を達成できるのです。女の子は自分の人生を生きるために前進する力があると、世界に示すことができます。
女性は単なる母でも、姉妹でも、妻でもありません。自分自身であるべきです。男の子と同様に自分の人生を持てることを認識すべきです。私の弟たちは、私が(有名になって)良く扱われているのに、自分たちの扱いは良くないと思っているようですが……。
◇みんなの力で
私がどのようにノーベル平和賞の決定を知ったかをお話しします。化学の授業中、私たちは電気について勉強していました。時間は10時15分でした。ノーベル平和賞発表時刻が過ぎたので、私は受賞しなかったのだなと思ったのです。その後、先生が入ってきて、「おめでとう。君がノーベル平和賞を取ったよ」と言いました。子供のために働いている立派な人と一緒の受賞だとも教えてもらいました。こんな光栄な気持ちをどう表現すればいいのか分からなくなりました。でも、これまでよりも力と勇気が湧いてきました。といいますのも、この賞は壁に飾って部屋の中にしまっておくただのメダルではないからです。私が前に進むように頑張れということだと思います。(ノーベル賞授賞決定過程の)キャンペーンで私を支持してくださった方々が確かにいて、私たちは一緒に立ち上がったのです。
私はノーベル平和賞受賞が決まったからといって、(授業を放り出して)下校しようとは思いませんでした。最後まで物理や英語の授業を受けました。先生や友達の生徒たちの反応がとてもうれしかったです。皆同じように祝福してくれて、本当に力づけてもらっています。だからといって私のテストの成績が良くなるわけではありませんが、みんなに助けられているのがとてもうれしいです。
◇口を閉ざさず
この賞を取ったからといって、これで終わりだとは思いません。私が始めた(女性や子供の教育を訴える)キャンペーンの終わりが今回の受賞ではないのです。むしろ、これが始まりだと思っています。私は全ての子供に学校に行けるようになってほしいのです。
教育を受けられず、小学校にも行けない子供たちが5700万人もいます。私が全ての子に学校に行ってほしいのは、(出身地であるパキスタン北西部の)スワート渓谷にいたときに、同じような状況だったからです。スワート渓谷では「タリバン化」(=武装勢力による支配の強化)が進んで、そのため女の子は学校に行くことが禁じられたのです。その時の私には二つの選択肢がありました。口を閉ざすか、口を開いて殺されるかです。私は二つ目を選びました。
当時、タリバンのせいで女性は外出を禁じられ、教育は完全に禁止となり、(逆らう)人々は殺されました。それでも私は声を上げなければなりませんでした。学校に行きたかったし、医者になりたいと思っていました。今は良い政治家になりたいのですが。学校に行けないと聞いたとき、私はもう将来なりたい人になれないのかと思いました。私の人生は13歳か14歳で結婚して、学校にも行かず、なりたい人になれないんだ、と。だから話すことにしたのです。
世界中の子供たちに言いたいのです。自分の人生のために立ち上がってほしい、と。他の人のために生きるのではなく、自分の人生のために世界の全ての子供たちに立ち上がってほしい。それが私のメッセージです。
ノーベル賞委員会は、この賞を私にだけ与えたのではないと思っています。この賞は、声を上げられない全ての子供たち、その声に本当は耳を傾けられるべき全ての子供たちに与えられたのです。
私は彼らの代弁者です。彼らと一緒に立ち上がり、声を聞いてもらいたいのです。子供たちはきちんとした教育を受ける権利があります。子供たちは児童労働や人身売買に苦しむことがあってはなりません。子供たちは幸せな人生を送る権利があります。だから私は全ての子供たちのために立ち上がったのであり、この賞は彼らのためにあるのです。賞は彼らに勇気を与えてくれます。
◇平和、寛容、忍耐
私はカイラシュ(・サティヤルティさん)と電話をしました。私たちは、全ての子供が学校に行って質の高い教育を受けることがどれほど大事であるかについて話し合いました。全ての子供がきちんとした教育を受けるという目標に向けて一緒に頑張ろうと約束しました。また、彼はインド出身で私がパキスタン出身なので、インドとパキスタンの関係を強いものにしていこうと決心しました。今、(印パ間の)国境地帯で緊張が高まっています。状況は良くありません。私たちは良いインド・パキスタン関係を築きたいのです。緊張の高まりにはがっかりさせられます。私は両国が対話し、平和について語り合ってほしいからです。(両国に)進歩と経済発展について考えてほしい。でも互いに争っています。大事なことなのですが、私はどちらの国も教育と発展に集中してほしい。それがお互いのためだからです。もう一つ約束しました。私は彼(サティヤルティさん)に聞きました。12月に私たちがノーベル平和賞をもらうときに、インドのモディ首相に一緒に授賞式に出席するようにお願いできませんか、と。私はパキスタンのシャリフ首相にお願いしてみますと言いました。
私は平和と寛容、そして忍耐を信念にしています。これが成功と前進の秘訣(ひけつ)です。
前から私は自分がノーベル平和賞にふさわしくないと思っていたし、今もその考えは変わりません。でも受賞は私がこれまでにしてきたことに対してだけでなく、私に希望と勇気を与え、これからも続けられるように、ということだと思います。自分のことを信じて、自分は独りぼっちではなく、何百人、何千人、何百万人の人々が私を支持しているということを知ってほしい、ということだと。もう一度、皆さんに感謝したいと思います。
■ マララ・ユスフザイさんは1997年、パキスタン北西部のスワート地区で生まれました。
父親は地元でみずから運営する私立学校の校長を務め、マララさんは幼い頃からさまざまな本や教材に囲まれ、充実した教育環境の下で育ちました。
ところが、故郷のスワート地区では2008年からイスラム過激派組織「パキスタン・タリバン運動」が影響力を広げ、2009年初めにはスワート地区を事実上の支配下に置き、女性たちの教育を禁じました。
こうしたなか、当時まだ10代前半だったマララさんは匿名でネット上にブログを掲載し、女性が教育を受ける権利を世界に向けて訴えました。ブログでは、女性の教育を否定し学校の爆破や脅迫を繰り返すイスラム過激派におびえながら通学する同級生たちの様子が記され、話題を呼びました。
2009年5月に始まった政府による軍事作戦で、イスラム過激派が撤退すると、マララさんは実名で欧米メディアに紹介され、イスラム過激派に立ち向かった少女として大きく取り上げられるようになり、3年前にはパキスタンの国民平和賞を受けました。
その一方で、イスラム過激派に狙われるようになり、おととし10月、通学バスでの下校中、オートバイに乗った2人組の男に襲われ、頭に銃弾を受けました。犯行を認めたのは、かつてスワート地区を支配下に置き、女性の教育を否定した「パキスタン・タリバン運動」でした。
この事件についてパキスタン軍が情報機関などと共同で捜査を続けてきましたが、先月、「パキスタン・タリバン運動」に所属するグループのメンバー合わせて10人について銃撃を実行したなどとして身柄を拘束しました。
一方、けがから回復したマララさんは、女性と子どもの権利を守り、ひとしく教育の機会が与えられるよう世界で広く訴えていて、去年7月にはニューヨークの国連本部で世界各地から集まった500人の若者を前に演説を行い、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができる。教育こそが解決の道です」と呼びかけていました。
また、マララさんはことし、アフリカのナイジェリアでイスラム過激派ボコ・ハラムが200人以上の女子生徒を連れ去った事件について“Bring Back Our Girls”「女の子たちを取り戻せ」を合い言葉に女子生徒たちを一刻も早く救出するよう呼びかける活動に参加しました。
7月には17歳のみずからの誕生日に合わせてナイジェリアを訪れて、女子生徒の家族らと面会し、「ことしの私の誕生日の願いは女の子たちが解放されることです」などと述べて、事件の早期解決を訴えていました。
参考
nhkニュースweb,
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