西やん中洲にいます。

西やん67歳、日々の出来事独り言

雨男?それとも…7 【部下の結婚式を…】(再掲載)

2016-06-17 18:53:38 | 雨男?それとも
御利益の話をしましたが、今度は結婚式の話です。

部下の結婚式に招待されました。もちろん、会社では私の『雨男』っぷりは知られていました。

新郎は部下の○○君。新婦は○○君の大学時代の後輩。私の『御利益』とは関係ありません。式場は、博多湾の海上に少し張り出した造りのマリゾンという所です。この結婚式で私は万歳三唱のかけ声を依頼されていました。

式場に着いた時点で、少々あやしい雲が。
披露宴が始まり、ガラス張りの式場のカーテンは閉められています。
披露宴は滞りなく進み、お色直しした新郎新婦の入場。キャンドルサービスが行われ、ケーキカット。順調。
新婦新婦が席に付き、司会者の合図て一斉にカーテンが開けられました。

本当なら、明るい日差しに輝く海、青空、漂う雲が見えるはす。なのですが…

外は薄暗く、曇天て、海も波立ち、雨まで降っていました。演出台無し。

私はと言えば、万歳三唱は最後。酔ってしまう訳にはいかず、また、緊張もしていました。なんとか万歳三唱の発声をし、披露宴も御開きに。

帰り支度をして、新郎新婦に挨拶をして帰ろうとすると、新郎に『雨、連れてきたでしょう』なんて言われました。『ごめんね』と言っている私が居ました。

帰りは、けっこう本降りの雨の中を帰りました。


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雨男?それとも…6 【社員旅行 雲仙編】(再掲載)

2016-06-17 18:52:15 | 雨男?それとも
台風の沖縄への社員旅行の翌年は、韓国のソウルでした。私はかみさんの家で不幸があり参加出来なかったのですが、晴天だったそうです。

その翌年は、小型のバスをチャーターしての雲仙旅行。その年に所長になった方が『私は晴れ男だから』と豪語していたのですが…

バスで三井グリーンランドに行き、しばらく時間を過ごすのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきて、バスに乗る頃には小雨。
長洲からフェリーに乗り雲仙へ。途中で観光しながら宿に着く頃には本降り。

宴会が始まる頃に、仕事の電話が入り、ほぼ宴会の間、電話対応。ロビーで電話をしていたのですが、大雨。

翌日、朝起きても雨は続き、おまけに霧。バスで宿は出たものの、雲仙にバスで登る予定が、霧か雲か、ほとんど山は見えず、その日の観光は中止。土産物屋さんに寄り、早々に予定を切り上げ、フェリーで長洲に渡り、福岡へ。

所長が私に、『負けた』。
またまた、雨男の力を発揮してしまいました。


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雨男?それとも…5 【社員旅行沖縄編】(再掲載)

2016-06-17 18:51:04 | 雨男?それとも
福岡で転職した会社の本社は東京で、毎年、福利厚生のひとつとして、会社の負担しての社員旅行があります。
今は全社合同ですが、以前は福岡の10数名だけで企画して行っていました。
(といっても、もう会社は辞めてますが)

私が転職して何年後かの社員旅行は、二泊三日の沖縄旅行になりました。

旅行ぎ近づくにつれて不安が。そう台風です。まだ沖縄からは遠いのですが、台風が発生していました。会社の人も『まさか来ないよね』なんて行っていたのですが。

旅行当日、福岡空港から那覇空港へ。着いた時には晴れていたのですが、だんだん天気が悪くなり、レンタカーを借りての分乗での観光途中で雨が降りだし、宿に着いた時にはには風雨も強くなってきました。

ニュースでは、台風が那覇直行コースで近づいていて、明日か明後日には沖縄に再接近するとのこと。もちろん、皆からはさんざん言われました。

金曜から日曜の旅行でしたが、私は月曜に納品があり、居ない訳にはいかなくて、考えた結果、一日早く帰ることにしました。

翌朝、朝食後に一路那覇空港へ。早く乗れる便で帰りました。

するて、あろうことか、台風がコースを変えて福岡直行コースで福岡に向かって来たのです。

会社の人は、みな無事に予定の便で帰ってきました。ただ、相当揺れたそうです。
私も無事に納品できました。

ただ、あまりに台風が私を追いかけるような動きをしたので、みんなから笑われるやら、呆れられるやらで大変。

それ以来、更に私の『雨男』っぷりは伝説になりかけていました。


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雨男?それとも…4 【福岡で】(再掲載)

2016-06-17 18:49:44 | 雨男?それとも
熊本から転職で福岡に移り住みました。

住んだのは春日市。平成4年です。

この年は、夏に晴天が続いて、水不足が発生し、福岡市などで取水制限があり、水道が止まる時間が設けられました。
それを見越した訳ではなく、たまたま春日市に住んだのですが、春日市には大きな川がなく、水道水は隣の那珂川町からもらっています。そのおかげで、春日市では水不足はなく、制限もありませんでした。
道のこちらは春日市、向こう側は福岡市というところでは、道を挟んで、全然状況が違ったのでしょう。

福岡で転職した先で、よくあったのが、『私の居る所だけ雨が降る』現象でした。

例えば、会社は博多駅筑紫口側にあるのですが、誰かを連れて百道に行くため、博多口側のバスセンターへ行き、百道行きのバスに乗ってバスセンターを出ると大雨。百道まで降り続き、バスを降りたらやんでいた。というのが2回続きました。
会社に帰って、その話をすると、雨なんて降ってないと言われました。

その後、だんだんみんなが私と出かける時は雨の心配をするようになりました。

水不足が心配されると、ダムの所にキャンプに行ってくれれば、雨が降ってくれるのに、とまで言われるようになっていて、私の雨、台風の話はみんなの知るところとなっていました。

時間のある時に、雨男に追い討ちをかけた会社の社員旅行の話を書きますね。


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雨男?それとも…3 【母の時は…】(再掲載)

2016-06-17 18:47:57 | 雨男?それとも
親父の死に目に会えなかったことは書きました。台風でした。

母の時は…。

朝、一番上の兄から電話があり、母が亡くなったことを知りました。
母は、自分の希望で病院に付属する介護施設に入所していました。兄から来れる時に会っておけと言われ、かみさんとゴールデンウィークに私設会いに行ったこともありました。

母の死に目には、誰も会えませんでした。施設の人が夜の見回りに行った時に亡くなっていたそうです。苦しまなくて済んだようだということでした。

その時は、すでに福岡で、上の娘は熊本に嫁ぎ、息子は大学を卒業して東京で働いていました。
かみさんと、互いの仕事の調整をして、新幹線で新大阪経由で福井へ。母の時は、葬祭場で、お通夜に間に合うように帰りました。

実は、この時、台風が福井に向かっていました。息子も仕事の調整をして、新幹線で名古屋へ。特急に乗り換えて福井へ。息子を福井駅に迎えに行くと、息子の乗った列車以降は運休になりました。

葬祭場で、通夜を迎え、兄弟と交代で寝ることにしましたが、風かだんだん強くなり、雨も激しくなっていきました。明け方に台風は通過したのですが、風と雨は続き、それでもご近所の方を含め、多くの方々が葬儀に来て下さいました。
親父の時と同じで、私の親友が最初に来てくれて、お経をあげてくれたと、兄から聞きました。勿論、通夜も葬儀も他の偉いお坊さんといっしょにお経をあげてもらいました。

兄弟からは、親父の事があてので、台風はお前が連れて来たんだろうと言われました。
さすがの私も、母の時まで台風とは、と少しは落ち込みました。

葬儀の最後に、家族、親戚でお棺の中に花を入れるのですが、その時に姉が、『じいちゃん(親父の事)を20年近く待たせたけど、やっと側に行けるね』って。まだ激しい風雨の中、私も号泣しました。


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