今日はこの話。どうでもいい話ですが。
福岡に来る前は、熊本に住んでいました。
当時勤めていたのは、東京に本社のある、後に上場したソフトウェア会社の熊本の事業所でした。人数は10名にも満たないところでした。
ちょうど、バブルがはじける直前の頃に、上司から、言われたのが、
『今以上のポジションに行きたいなら、東京に行く事。それが条件。』
管理職手前の時期になっていたのですが、熊本の事業所は規模的にも管理職は1名が限度なので、熊本に居る以上は、これ以上評価があがる事はないと言うことでした。
家庭の事情で、九州、熊本に住むことを目的としている部分もあり、熊本の事業所を盛り上げるための努力もしてきたつもりでいたので、昇進したいとはそれほど思っていなかったのですが。会社の評価がそんなものかと思った時に、その会社で続ける気がしなくなってしまいました。
それで、秘かに転職活動を開始。でも、その頃熊本に適当な転職先がみつからず、転職情報誌などを見て、福岡に転居することも含めて、探しました。
最初に見つけたのが、専門学校の先生の職。実は、今、私が毎日通勤している途中にある専門学校です。
高校の商業科の教員経験があり、コンピュータ関係の仕事をしてきたので、面接を受けた時には、『経理とコンピュータと両方教えられる人はいないので、ありがたい』とまで言っていただいたのですが。
同じ時期に見つけていた、ソフトウェア開発の会社(本社は東京)の福岡事業所での募集があり、専門学校の最終面接の日に、そちらの面接も受けました。
ソフトウェア会社の面接は、福岡事業所の所長の面接で、この所長が福井県の出身で、面接というより、後の方ではローカルは話になり、意気投合。
それは、それとして、福岡へ転職するに当たり、どうするかを考えた時に、『現場に居たい』と言う思いが強くなり、専門学校で教えるより、システム開発を続けたいという思いが勝って、ソフトウェア会社への転職を決めました。
余談ですが、私が転職して半年後に、熊本の事業所が廃止されました。当時の同僚は、福岡や東京への転勤を嫌い、転職に苦労したようです。
転職した会社は、とんでもない所でした。
私は、管理職で採用されたのですが。所長の他に、管理職が2名、経験者(転職者を含む)5名、その他は2年目8名、1年目(採用されてすぐ)10名。
それも、管理職同士が仲が悪く、係長クラスも含め、事務所内で喧嘩が絶えないような状況。
新人は、2年目を含め、手取り足取りしないとと言う状態。正直、『失敗したかな』と思いました。
入社して1ヶ月くらいの頃に、所内がもめて、本社にもそれが伝わり、所長が退職。後任の所長は、本社の常務取締役が兼任されることになりました。
この常務が着任された時(といっても、2週に1回、1泊で来られるだけですが)、懇親会が行われ、全員が参加しました。その後、博多駅筑紫口に都ホテルがあるのですが、その裏のビルの地下にあるスナックに二次会に行きました。
私自身も、社員と飲むのは初めてで、その時、カラオケになって歌ったのが、当時、まだ出てすぐだったと思うのですが、チャゲ・アンド・アスカの『僕はこの瞳で嘘をつく』と言う曲でした。
それを聞いた常務は、
『○○さんは偉い。若い人に合わせるために、こんな歌まで覚えるなんて・・・』
と言われ、恐縮。
ただ、自分が好きなので、歌っただけだったのですが。
随分、回りくどい話になりましたが、この二次会に行った店が、福岡で中洲に行くよういなった一つのきっかけの場所です。
先は、長いですよ。少しずつ。

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福岡に来る前は、熊本に住んでいました。
当時勤めていたのは、東京に本社のある、後に上場したソフトウェア会社の熊本の事業所でした。人数は10名にも満たないところでした。
ちょうど、バブルがはじける直前の頃に、上司から、言われたのが、
『今以上のポジションに行きたいなら、東京に行く事。それが条件。』
管理職手前の時期になっていたのですが、熊本の事業所は規模的にも管理職は1名が限度なので、熊本に居る以上は、これ以上評価があがる事はないと言うことでした。
家庭の事情で、九州、熊本に住むことを目的としている部分もあり、熊本の事業所を盛り上げるための努力もしてきたつもりでいたので、昇進したいとはそれほど思っていなかったのですが。会社の評価がそんなものかと思った時に、その会社で続ける気がしなくなってしまいました。
それで、秘かに転職活動を開始。でも、その頃熊本に適当な転職先がみつからず、転職情報誌などを見て、福岡に転居することも含めて、探しました。
最初に見つけたのが、専門学校の先生の職。実は、今、私が毎日通勤している途中にある専門学校です。
高校の商業科の教員経験があり、コンピュータ関係の仕事をしてきたので、面接を受けた時には、『経理とコンピュータと両方教えられる人はいないので、ありがたい』とまで言っていただいたのですが。
同じ時期に見つけていた、ソフトウェア開発の会社(本社は東京)の福岡事業所での募集があり、専門学校の最終面接の日に、そちらの面接も受けました。
ソフトウェア会社の面接は、福岡事業所の所長の面接で、この所長が福井県の出身で、面接というより、後の方ではローカルは話になり、意気投合。
それは、それとして、福岡へ転職するに当たり、どうするかを考えた時に、『現場に居たい』と言う思いが強くなり、専門学校で教えるより、システム開発を続けたいという思いが勝って、ソフトウェア会社への転職を決めました。
余談ですが、私が転職して半年後に、熊本の事業所が廃止されました。当時の同僚は、福岡や東京への転勤を嫌い、転職に苦労したようです。
転職した会社は、とんでもない所でした。
私は、管理職で採用されたのですが。所長の他に、管理職が2名、経験者(転職者を含む)5名、その他は2年目8名、1年目(採用されてすぐ)10名。
それも、管理職同士が仲が悪く、係長クラスも含め、事務所内で喧嘩が絶えないような状況。
新人は、2年目を含め、手取り足取りしないとと言う状態。正直、『失敗したかな』と思いました。
入社して1ヶ月くらいの頃に、所内がもめて、本社にもそれが伝わり、所長が退職。後任の所長は、本社の常務取締役が兼任されることになりました。
この常務が着任された時(といっても、2週に1回、1泊で来られるだけですが)、懇親会が行われ、全員が参加しました。その後、博多駅筑紫口に都ホテルがあるのですが、その裏のビルの地下にあるスナックに二次会に行きました。
私自身も、社員と飲むのは初めてで、その時、カラオケになって歌ったのが、当時、まだ出てすぐだったと思うのですが、チャゲ・アンド・アスカの『僕はこの瞳で嘘をつく』と言う曲でした。
それを聞いた常務は、
『○○さんは偉い。若い人に合わせるために、こんな歌まで覚えるなんて・・・』
と言われ、恐縮。
ただ、自分が好きなので、歌っただけだったのですが。
随分、回りくどい話になりましたが、この二次会に行った店が、福岡で中洲に行くよういなった一つのきっかけの場所です。
先は、長いですよ。少しずつ。

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