11日の大地震から20日にもなるのですね。
11日当日、関東圏に住む三人の子供家族とは電話も不通。
子供夫婦6人にメールをすると
まず娘婿殿から、家族が無事との返事がありました。
夜には子供やその親戚も皆、難を逃れたとのことが判明。
そんな中、ブログで仲良くしていただいている
殆どの人が東北・関東在にありました。
大地震のニュースに接し、頭を過ぎったのはその方々。
あの方は御無事でいるのだろうか・・数日は、テレビに釘付けでした。
地震・津波・・そしてこともあろうに原発問題。
天災は老若男女、善人もそうでない人も、地位も名誉も
どんな宗教も一切の区別・差別なく、無惨に奪い取っていきました。
その瞬間が如何ほどの恐怖であったか
想像を絶する恐ろしい光景が頭の中を駆け巡る日々でした。
少なくとも私のブログ友は無事でいてくださったこと
それが判明した時、安堵で震えてしまいました。
大変な思いをされた多くの方々
近年「頑張って」との励ましは、耐えて頑張リ抜いているのに、
これ以上、どう頑張ればいいのか・・
とても頑張れないと感じる人もいると聞きます。
でも私には、敢えてその言葉しか見当たりません。
私個人は「頑張る・頑張って!」の日本語が大好きだから。
頑張って欲しいです・・少しづつでいいから・・
津波の後、多くの行方不明者が相当数と知った時、
私レベルでとても気になることがありました。
避難所から家族や親戚の名を紙に書き
御自分の無事を伝え、
家族親戚の安否を訪ねる方々がおられることでした。
惨事が如何に甚大かの映像が、
何度も何度も繰り返し、あらゆるメディアで報道されましたが。
あの紙に書いた御家族の安否は、
果たして判明したのだろうか・・否
思い切ってNHKに提案。
大津波の映像を繰り返すのは、それはそれで良しとするが。
多くの国民が一番知りたいは、家族・親戚・知人の安否のはず。
今、確実に生存している人を、テレビのテロップで流してはどうか。
避難所名と生存者名を五十音順で・・
今となっては遅きに失した感はあるが。
そんな内容のメールを発信しました。
よもや私の提案が採用されたとは思いません。
でも2日後からだったか、相当枠で
避難所名とそこで無事におられる人名が
教育テレビ(総合含め)で放送されはじめました。
私は、全画面を使った避難者名の報道ではなく
画面半分だけでも使ったテロップで流した方が、
より多くの国民が見るのではないかと思いました。
名前だけの番組を見続けるのは、気が遠くなることでもありますし。
そのことの前後に、原発事故ニュースが大きく報じられはじめました。
孫を含め、関東圏から8人の親戚が頼って来てくれました。
でも収拾がつきそうにない原発問題のさなか、
27日には皆、関東圏に戻って行ってしまいました。
その後、店頭に品物がないとのこと。
急遽・買出しと荷物発送に追われ、
PCに向う時間が全く持てませんでした。
そんなこんなで、ブログ友の無事が確認できたことでホッとし、
私なりの雑多な日々を過ごしておりました。
今回は親類の絆を深める機会を得られたけど、
不気味な原発事故の不安から逃れることはできません。
こちら兵庫は少し遅い春が、すぐそこに・・
例年より僅かに遅く
ユスラウメやスモモなどの蕾が膨らみはじめました。
でも災害に遭われた多くの方々にとって、
本当の春は、一体いつくるのでしょう。
苦しさ・悲しみ・挫折感・希望を持てない日々・・
その気持ちがわかるなどとはとても言えません。
でも敢えて・・少しづつ・・ちょっとづつ・・
周囲の人に甘えてください・・
そして少しづつ御自分を取り戻してくださいますように・・