小さな町で幸せ探し

団塊世代の夫婦の日々・・
夫が生まれて育った故郷で暮らしています。
悲喜こもごものスローライフの物語。

郷里を思う

2014-12-22 17:03:17 | 日記

四国の、今は亡き母の郷里、過疎の村に住む叔母。
厳しい気象情報に接すると、私達姉妹は
母の弟の嫁である叔母によく電話をかけて安否を確かめます。
叔母は夫(母の弟)亡き後、家を一人で守っています。
先日の徳島の大雪で閉ざされた時は電話も不通で心配したものです。
同じ町に叔母の長男家族がいるので
義理の姪達の心配には及ばないかとは思いながらも
在りし日の老いた我が親を永く支えてくれた叔母には恩があります。

今回の大雪の時の話ですが、
自衛隊やらテレビ局が叔母宅にやってきたとか。
不自由はないかとそれは親切に言ってくれたらしいのです。
食べるものは十二分にあり不自由はないが
納屋にある石油ストーブと油を足が不自由で持って来れないと。
即、雪をかき分け納屋から母屋に運んでくれて有難かったと。
カメラを向けられたので「何ぞ写し取るんかえ?」と聴くと
「はい、今、撮っているのでテレビに写りますよ」って。
叔母「ありゃだ!恥ずかしいわえ」と答えたそうな。
叔母の徳島弁・田舎弁が私を笑わせます。


テレビは停電中の叔母は見られなかったとか・・でも
親戚・知人から「見た・見た・写っていた」と
電気が通じるようになると何人もの人から電話があったらしい。

そのまた別の日のこと。
停電なので早く就寝、枕もとには懐中電灯をおいている。
誰もいないはずの家の外が賑やかなので目が覚めた。
大雪の山奥で電気のストップした在所で一人住む
高齢者の厳しく寂しい?夜を取材に来たそうな・・?
叔母は面白おかしく「そりゃ!おぶけたでよ」おぶけたは驚いたの意味
叔母に電話が通じたのは何日後だったでしょうか・・

元気でオチャメ?な叔母は
電話の向こうで義理の姪っ子の私を心底安心させてくれました。

今、新潟では大雪警報が・・新潟在の時
十日町の雪まつりに出かけ、あの時の大雪にはぶったまげました
同じ日本に居ながら季節の不公平感は否めないこと。
それにしても
雪まつりとくれば札幌がまず脳裏をかすめますけど。
夫に「十日町の雪まつりに行ったわよね、懐かしいわ」と言うと
「雪まつりは札幌と言うけど、発祥の地は十日町やで」って
夫がそう言いましたが、それ・ホントかしら・・ん?




菅原洋一 風の盆

2014-12-21 16:11:54 | 日記
特に日本歌謡ファンというわけではないのですが
近頃なぜか歌謡曲のテレビ番組がないみたいですね。
若い団体?グルーブの台頭で放映しなくなったのかしら。
「ダメよ・ダメダメ~」とかも、
流行語大賞で騒がれて初めて知ったほど私、流行オンチです 
一億総タレント時代の流行には付いて行けなくなりました。

ところが昨晩のこと・・数年前の再放送でしたが
何気に観ていた再放送の歌謡番組の一曲に聞き惚れまして。
菅原洋一さんが歌う・・「風の盆」なかにし礼・作詞作曲。
初めて聴いたような・・いえ・聴いたことがあるような。 

もう一度聴きたいと無論PCユーチューブで  

夫の転勤で富山在の折に八尾の風の盆を体験しました。
観光客用呼び込みの舞台を組んだ小学校か中学校だったか・・
最初はうっとりしていたけど・・結果は・・ 
テレビで観たことがある
八尾の町を練って踊る風の盆ではないのに
興ざめするのに時間はかかりませんだした・・が
それも体験の一つと言えるでしょうか・・ね。

昨夜、テレビで聴いた
菅原洋一の「風の盆」があまりに美しく切なく聞こえてきたので
約20年前の公立学校の舞台を懐かしく思いました・・内容は兎も角。

去年は紅白前に聴いた美輪明宏の「よいとまけの歌」にしびれたけど。
今年の紅白前は、菅原洋一「風の盆」にしびれた 

時代の変化と言われるとそれまでだけど・・私・・
齢を重ねたと言えますか・・ね。

PCで画像が取り込めないのも齢のせいにします 



抽選・・大当たり

2014-12-06 15:20:20 | 日記
新聞広告のチラシで近くのJA店舗のイベントがあるのを知りました。
正月・豆餅用の黒豆を買っておかなきゃ。
夫は淡路島まで泊りがけの同窓会に出かけるので
その用意に追われたり、花が終わりかけた菊の手入れと草取りやら。
夫は明石大橋を渡って淡路島に着いた頃か?との意識の中に
あ!JAに行くのを忘れていたことを思い出しました。
庭仕事は目の行く先に仕事があるので、こんなことはしょっちゅう。
抽選とやらも当たった試しがないし
1000人で終了らしいから今からでは既に遅いかも。
兎にも角にもJAで黒豆ゲットしなければ我が家の正月が来ない・・。

          

黒豆を買うべくイベント会場に着いたのは、思い出してから約5分後。
65歳にしては身が軽く動作がすばやい私。
早い理由のワケ・・野良作業のまま化粧も何もなし。

案の定、店の人に聞いても黒豆は一袋も残っていませんでした。
「また入るとしても早くからなくなりますよ」と、つれない。
12月ですもの・・これから当分、地元のこの店舗に通わなきゃ!

仕方ないわ・・抽選でもするかな・・人も少なくなった1時半ごろ。
抽選箱の中に手を入れる・・残り数枚。
残り福といきますか・・「どれどれ」と係りの人。

手にかかった券を担当の方に渡すと「おめでとう!大当たりですよ!」って 

この町の新米5キロが当たりました。
こんなこともあるのですね。
昨日の記事UPでポジティブ志向に変更すべきとの意志が働いたのかしら?
こんなコジツケは無意味・・タマタマのことだったのでしょうけど。

家に戻ってまず夫に自慢の電話をしなきゃ!と
私「黒豆なかったけど抽選で新米5キロ当てましたから!コホンッ」
夫「そうかい」と、一言で電話切れました・・にくたらしいったらないわ  
慣れてはいるけど愛想なしやわ・・ウチのオトーサン。
一人はしゃいで喜んだ私でした。


買い物は、卵と手作りこんにゃく600円弱でしたわ・・ 


明日を憂うより今日を生きる?

2014-12-05 18:55:05 | 日記
我が家、先祖伝来伝わった宗旨を持つので
この齢になって今更、宗旨替えをする気は全くないのです。
ただ、知り合って結婚した夫とは
たまたま同じ宗旨だったのは、幸運と言えるかもしれません。
私達夫婦ともに信心の深さは
ご先祖様には申し訳ないほどに薄っぺらいものです。
重篤な病に罹ったり・悩んだ時、宗教に助けを求めた人はいるでしょう。
また実際に、どん底の日々から救われた人もいることでしょう。
私、俄か信者なので、これ以上・掘り下げて語る資格はないのですが。

言いたかったことは

先日、布教活動で来た方が直筆で書いたものを置いて行きました。
その時、私は「小難しい宗教のことは判りませんので・・」と
お話を聞くことをヤンワリ拒否したのです。

このところあることで
鬱々とした日々をネガティブに過ごしていたのでした。
布教に回っている方が、置いて行った上の一枚に目を通してハタ!と。
私は単純に、この文言が今の私への進言になっていると感じたのでした。

「先のことを思い煩わない、今日を心配ごとで無駄にしない」

実は、近しい50歳台の人が重篤な病に罹り治療に向き合っています。
彼女は前向きで、傍目には淡々ととしているかに見える表情なのです。

それと近しいもう一人は、認知度レベル4。
あの理知的でサバサバした女性が物忘れだけならまだしも
被害妄想という当人には何とも苛酷で辛い症状を抱えています。

当事者二人が精いっぱいのことをしていたり
配偶者から心からの手厚い看護・世話を受けているのに
周囲の者(私)が、精神面だけで思い煩っている気がしてきました。
二人のためになるどころか、同情のような態度は
病と闘っている人の為には害にはなっても励ましにはならないのではと。

単純すぎるかもしれませんが、
このメッセージが私の神経を優しく撫でてくれたような気がしました。

だからって無論、宗旨替えをするつもりはありませんが。




長生きは大恥の元

2014-12-04 14:28:47 | 日記

この冷え込み前に玄関に取り込んでおいたニセカイソウ(偽海葱)
温暖な静岡では、年中・街の通りに植えられていましたっけ。
寒い地方では、冬・外で育てるには厳しいかと思えます。

長い間、本当の名を知らずにタマネギランなどと言っておりました。
無理もないかしら?球根がタマネギに似た植物



今朝の神戸新聞・・読者が電話で発信するコーナー「イイミミ」
ご主人のお祖母様が100歳になり、その口癖が「長生きは大恥の元」と。
孫嫁さんのホンワカ気分になる発信に癒されました。

こんな孫嫁さんなら100歳までも生きたいものですね。