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市民運動を放送しない=知らせないという作為がもたらすもの

2023年06月13日 | 政治・社会

 日本のマスメディアが、国民の集会やデモなどの政治的な活動を伝えなくて、政府の発表を伝えることが専らであることに不安や怒りが起きています。私もコントロール下にあるんだなという思いをすることがあります。

 例えば、11日は1500人もの若者たちが銀座で憲法集会を開きデモ行進をしたとネットでも伝えているし、行った知人も話していました。他国のことでは500人規模でも報道するのに、自国の政治的な活動には関心を見せず、報道しないと言うことはどう考えたらいいのでしょうか。

 一つは、記者たちの感覚の鈍化、劣化。市民活動ではなく政府などの官庁から知らされる記事を唯々諾々と載せるのが仕事と思っているということでしょうか。これは国民感覚から離れているメディアや記者たちの救いがたい堕落と。

 二つ目は、意図的に無視するということをしている。これは、政府への忖度や政府と一体になってやるのがマスメディアの仕事と考えている、戦前の大本営発表並みのメディアの最悪な役割。伝えないという作為のもたらすのは、なかったことにして、一方の側のみに寄り添った報道をするという悪質な報道の姿勢であると言うことです。

 三つ目には、圧力があって放送しない、できない。前に、総務大臣が「電波停止」などと脅かした例があるし、番組ごとにチエックしていると言うことまで話しているから、あり得ると思います。しかし、それでも事実だけでも伝えられるはずです。

 私は、まずは一、二のことが理由ではないかと思います。なかには真面目に報道する番組もあるのですが、このような政治運動が起きていることが知らされなければ、どうなるでしょうか。メデイアの役割は大きいと思います。国民の政治への関心を高める為にも、まず事実を報道するそれが任務だと思いませんか。

 たまたま、いくつかのメディアに接することができる人は、事実やそのからくりに気づくけれども、そうでなければ、無かったことにされたことには気づきません。私たちは、いろいろな手段で把握するしかありません。



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