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「身の丈」発言にみる萩生田文科大臣の本音,延期は当然

2019年11月01日 | 教育
 アベ政権下で大臣が相次いで辞職するという異常な事態が続いています。萩生田文科大臣の「身の丈」発言も従来ならとっくに辞職すべきですが、首相側近であるゆえでしょうかやめません。
 なぜ問題なのでしょうか。
 まず憲法では26条「教育の機会均等」を定め、経済的、身分、門地などによっては差別してはならないとしています。戦後は、政府は曲がりなりにも誰もが差別されないで受験し学べる機会をつくることになっています。文科大臣は「機会均等」のために努力すべき責任がある立場です。
 しかし、歴代の教育行政はこれに反するようなことをしてきました。(注1)
今回もその一つで、次のような問題点が指摘されていました。

1.2万5千円も受験料を何回か払わないと成果が出ないような民間業者試験に丸投げ。その結果、経済的な格差が容認されてしまう。

2.受験業者が都会に集中する中で、地方の学生への格差を容認している。何度でも受験できる都市部の生徒と、旅費や宿泊代までかける必要のある地方との格差を生む。

3.英検など7種類もある業者試験間の難易などによる格差。各試験業者による重点の違い、採点はアルバイトや海外業者などが想定されているのに一律に利用できるか。

 これらの指摘は、不公平で「教育の機会均等」ではない、テスト自体の信頼性がないというものです。
その中で全国高等学校長協会が反対をしています。また大学側も使用するのは四割という状況です。反対をあげている高校生もいますが、一番肝心な受験生の声は集約していません。
 
 このような批判のある中での「身の丈」発言です。つまり「身の丈」=経済的な格差を容認し、貧しい人や困難な人はそれなりにやれということを公言したわけです。本来はそれを正して誰もが受験できるように条件を整えなければならない立場にある人の発言です。
 一層大きな批判を呼び、「謝罪」し、さらには「発言撤回」に至りました。今ニュースでは来年度実施は延期になったと伝えていました。今までの批判が追い詰めたことと、大臣の辞任騒動の中でこれ以上はまずいと政権が考えたのでしょうが、延期ではなく、再度検討しなおすことが必要なのでしょう。

 今回の英語受験制度の変更は以上の批判にくわえ、さらに重要な問題があると思っています。それは、教育を国が責任を持って進めることを放棄し始めていることです。保育の分野でも進められている「民間委託」を受験版です。一部の業者や企業の「規制緩和」要求にこたえ公教育を民間に任せてしまうものです。
 これは、いま全国で実施されている「全国学力テスト」が民間委託であることと共通のものであると思います。本来、統計を取るためのもので、抽出で行われていたテストが全校実施とされました。
 その結果、
  ①抽出で済むものを全校で実施なので、民間業者への莫大な支出が必要になった。(ベネッセや電通などに毎年60億円)
  ②教育の本質から離れて学校間や学校内での競争を招いている。(テスト対策など)
  ③学校現場に子どもの為ではない無用の忙しさを生み出している。
  ④業者の利益のためか中止できなくなっている。
 
 これを見ていると、今回の業者丸投げも子供のための教育ではなく、企業や業者の利益優先の政策の表れと思います。子どもに必要な教育予算ではなく、保護者負担増や業者利益を目的にした教育政策の転換が必要だと思います。教育を儲けの対象にする政策の中で、教員の過労死や教員不足を生み出し、子どものが犠牲になっています。

                     (注1)
 次のような元中央教育課程審議会会長故三浦朱門氏の発言に代表される教育観など。=「出来ん者は出来んままで結構、100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす。それ以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」と語った。(斉藤貴男氏)


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