河野外相の「次の質問どうぞ」について、14日付けの朝日新聞でも「MediaTimes」という記事で追跡記事を出して、「知る権利軽視」と批判し、その背景にあるものとして「面倒な議論避ける社会」などを挙げていました。
外相は自分の発信したいことはツイッターをつかい、都合の悪いことは、あのような態度で応じるということで、逢坂巌・駒澤大学准教授の次のような発言を紹介しています。
「記者会見の歴史の中でまれなことだ。国民の知る権利を軽視している。」
「記者の向こうに国民がいるにもかかわらず、人をなめた言い方を繰り返した背景には、傲慢さだけではなく、(中略)メディアにあまえていた可能性も考えられる」と。
記事では、そのほかの要因としては、政治家だけの問題ではなく、面倒なことは避けて「決められる政治」を国民が求めて、時間をかけて納得するという民主主義のプロセスが失われつつあるとも指摘していました。
また、あの論点をずらしたり、ごまかしたりする首相などの答弁の仕方について、「ご飯論法」として批判した法政大学の上西教授はメディアはもっと報じるべきだと話したことも紹介しています。
16日の毎日新聞では、松尾貴史氏が「ちょっと違和感」という記事で、「放言・妄言・暴言・失言・答弁拒否・・・・」、「説明から逃げ回る閣僚たち」と痛烈に批判していました。
特に麻生財務大臣の今までの発言について、「放言・妄言・暴言・失言については、もう枚挙にいとまがないが、のれんに腕押し、ぬかにくぎ、蛙の面に水、とっくに10回ぐらい辞任してもおかしくない人物」なのに、国の重要なポストに未だ居座り続けていることを批判していました。
件の外相について、入閣する前は原発問題などで多少とも民意に沿った行動をする方かと思いましたが、権力の座に就くとこんな変貌(あるいは本音)ですから、「NEXT!NEXT!NEXT!NEXT!」と英語のイラスト入りで手厳しい批判をしていました。
両紙の記事はなかなか当を得ていると思いましたので紹介しました。
民主主義イコール多数決だとばかりに、面倒な議論はせずに、さっさと結論だけを求める風潮は確かにありますね。とくにお上が決めてくれるのを待つようなところが私たちの国民性にはあるように思います。また権力者も、そこをねらって必要以上に「和」を要求し、和を乱すとか言って異論は排除するという傾向が多いのではないでしょうか。みなさんの身の回りでは?
外相は自分の発信したいことはツイッターをつかい、都合の悪いことは、あのような態度で応じるということで、逢坂巌・駒澤大学准教授の次のような発言を紹介しています。
「記者会見の歴史の中でまれなことだ。国民の知る権利を軽視している。」
「記者の向こうに国民がいるにもかかわらず、人をなめた言い方を繰り返した背景には、傲慢さだけではなく、(中略)メディアにあまえていた可能性も考えられる」と。
記事では、そのほかの要因としては、政治家だけの問題ではなく、面倒なことは避けて「決められる政治」を国民が求めて、時間をかけて納得するという民主主義のプロセスが失われつつあるとも指摘していました。
また、あの論点をずらしたり、ごまかしたりする首相などの答弁の仕方について、「ご飯論法」として批判した法政大学の上西教授はメディアはもっと報じるべきだと話したことも紹介しています。
16日の毎日新聞では、松尾貴史氏が「ちょっと違和感」という記事で、「放言・妄言・暴言・失言・答弁拒否・・・・」、「説明から逃げ回る閣僚たち」と痛烈に批判していました。
特に麻生財務大臣の今までの発言について、「放言・妄言・暴言・失言については、もう枚挙にいとまがないが、のれんに腕押し、ぬかにくぎ、蛙の面に水、とっくに10回ぐらい辞任してもおかしくない人物」なのに、国の重要なポストに未だ居座り続けていることを批判していました。
件の外相について、入閣する前は原発問題などで多少とも民意に沿った行動をする方かと思いましたが、権力の座に就くとこんな変貌(あるいは本音)ですから、「NEXT!NEXT!NEXT!NEXT!」と英語のイラスト入りで手厳しい批判をしていました。
両紙の記事はなかなか当を得ていると思いましたので紹介しました。
民主主義イコール多数決だとばかりに、面倒な議論はせずに、さっさと結論だけを求める風潮は確かにありますね。とくにお上が決めてくれるのを待つようなところが私たちの国民性にはあるように思います。また権力者も、そこをねらって必要以上に「和」を要求し、和を乱すとか言って異論は排除するという傾向が多いのではないでしょうか。みなさんの身の回りでは?
自分の頭で考えよ。河野!