メディアメディアコントロール ノーム・チョムスキー著 鈴木主税訳 集英社新書2003年
私たちはメディアの報道することにどれだけ感覚をすましているでしょうか。この本は実際にアメリカがおこしたさまざまな戦争や日常生活の中でのメデイアの果たした役割や人々がどのようにコントロールされて来たかを著したものです。
今となっては明らかになっているベトナム戦争はアメリカがでっち上げてはじまったのでしたが、当初はほとんどの国民はそんなことは知りませんでした。
また、イラクのサダム・フセインを支持していたのに急に方向転換して攻撃し始めたのでした(第一次湾岸戦争)が、当初は多くの国民は反対でした。しかし、マスコミなどを使って、敵を悪魔のような残酷な独裁者と仕立てあげ、戦争をやるべしという方向へ転換させたこと。
これらの例など厳しく自国の政権の政策とメディアの問題を批判的にとりあげています。
(その後のブッシュ二世の核兵器など製造していなかったのにアメリカがでっち上げて爆撃を始めて今日の混沌する中東にしていったイラク戦 争はこの著作の後のことです)
民主主義社会を二つにとらえます。
A一般の人々が自身の問題について、情報を手にして、自分で考え決定に関わることができる手段を持っているいわゆる一般的にイメージする 民主主義。
B一般の人々に上記のようには関わらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間だけで管理しなければならないとする民主主義。じつはこ のBのようなことが歴史的に続いているという現実を先の戦争の例などで解明しています。
暴力的に抑え込むことは全体主義や軍事国家でないので、無理になり、「広報」産業がうまれ、「大衆の考えを操作する」ことになり、「世論形成」に大きな役割を担うようになる。1937年に鉄鋼労働組合の大規模ストライキを抑えるのに、「スト参加者への反感を世間に広め、公益に反する参加者は有害な破壊分子でアメリカのためにならない。」と思わせる組織的宣伝が功を奏した。以後この方法が、戦争を始めるのにも使われはじめます。
また多くの国民は普通、平和主義的ですが、海外に利権のある企業が戦争を起こすにはこれでは困ります。そのためには有効なのは、「悪魔のようなサダム・フセイン」などと恐怖をあおることです。反戦の声があれば「我々の軍隊を支持しよう!」など誰もが反対できないような「空虚」なスローガンで世論を誘導して国全体の世論をまとめてきました。
場合によっては「歴史をねつ造」して世論作りをしました。たとえばベトナム戦争時に多く日本のマスメディアでも、自国を解放するはずのベトナム解放戦線を蔑視する「ベトコン」などという言葉が躍っていたのを思い出します。
このように、著者がつい最近の歴史をもとに、大きな利益のための企業のねらいによって、政治が動き、それをマスメディア(これも大企業)を使って、御用学者や教育を総動員して戦争に賛成という世論にしていくという世論操作の実態を伝えてくれます。
一般人が真実を知って行動に移していくのを防ぐために、Bの民主主義を奉じている権力者が巧妙に世論作りをしていることを繰り返し述べています。(アメリカの医療制度についても言及がありますがここでは省略)
著者は、ベトナム戦争でも、知識階級からではなく、学生から反戦運動が始まったことなども述べています。また、政権と一体になっているようなマスメディアが自国のことを正しく伝えない例も述べています。
これらは、安保法制に反対する国民の声を最初に大きく伝えたのが海外のメディアであったこと、新型コロナウイルスをめぐる問題でも、今海外のメディアから疑問の声が寄せられていることなどを考えさせられます。
技術の進歩によって、偽情報を真実かのように思わせるようなことが一層可能になってきましたが、手法は違ってきても、国民に対する支配層のBととらえる民主主義の考えは同じだといいます。
私は、多角的に情報を集めて、賢明に判断していかないと「戦争を拒否する心情」さえも、「病的である」とか「平和ボケ」などと言う理由をつけて、「戦争することが当然」のような雰囲気が作られ、戦争反対の声さえあげられなくなってしまうと思いました。
なお、この本の後編、辺見庸氏との対談では日本の歴史的な問題について論じています。
(ノーム・チョムスキー氏:1928年アメリカ生まれ。マサチューセッツ工科大学教授。言語学、著書多数翻訳されている。)
コントロール ノーム・チョムスキー著 鈴木主税訳 集英社新書2003年
私たちはメディアの報道することにどれだけ感覚をすましているでしょうか。この本は実際にアメリカがおこしたさまざまな戦争や日常生活の中でのメデイアの果たした役割や人々がどのようにコントロールされて来たかを著したものです。
今となっては明らかになっているベトナム戦争はアメリカがでっち上げてはじまったのでしたが、当初はほとんどの国民はそんなことは知りませんでした。
また、イラクのサダム・フセインを支持していたのに急に方向転換して攻撃し始めたのでした(第一次湾岸戦争)が、当初は多くの国民は反対でした。しかし、マスコミなどを使って、敵を悪魔のような残酷な独裁者と仕立てあげ、戦争をやるべしという方向へ転換させたこと。
これらの例など厳しく自国の政権の政策とメディアの問題を批判的にとりあげています。
(その後のブッシュ二世の核兵器など製造していなかったのにアメリカがでっち上げて爆撃を始めて今日の混沌する中東にしていったイラク戦 争はこの著作の後のことです)
民主主義社会を二つにとらえます。
A一般の人々が自身の問題について、情報を手にして、自分で考え決定に関わることができる手段を持っているいわゆる一般的にイメージする 民主主義。
B一般の人々に上記のようには関わらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間だけで管理しなければならないとする民主主義。じつはこ のBのようなことが歴史的に続いているという現実を先の戦争の例などで解明しています。
暴力的に抑え込むことは全体主義や軍事国家でないので、無理になり、「広報」産業がうまれ、「大衆の考えを操作する」ことになり、「世論形成」に大きな役割を担うようになる。1937年に鉄鋼労働組合の大規模ストライキを抑えるのに、「スト参加者への反感を世間に広め、公益に反する参加者は有害な破壊分子でアメリカのためにならない。」と思わせる組織的宣伝が功を奏した。以後この方法が、戦争を始めるのにも使われはじめます。
また多くの国民は普通、平和主義的ですが、海外に利権のある企業が戦争を起こすにはこれでは困ります。そのためには有効なのは、「悪魔のようなサダム・フセイン」などと恐怖をあおることです。反戦の声があれば「我々の軍隊を支持しよう!」など誰もが反対できないような「空虚」なスローガンで世論を誘導して国全体の世論をまとめてきました。
場合によっては「歴史をねつ造」して世論作りをしました。たとえばベトナム戦争時に多く日本のマスメディアでも、自国を解放するはずのベトナム解放戦線を蔑視する「ベトコン」などという言葉が躍っていたのを思い出します。
このように、著者がつい最近の歴史をもとに、大きな利益のための企業のねらいによって、政治が動き、それをマスメディア(これも大企業)を使って、御用学者や教育を総動員して戦争に賛成という世論にしていくという世論操作の実態を伝えてくれます。
一般人が真実を知って行動に移していくのを防ぐために、Bの民主主義を奉じている権力者が巧妙に世論作りをしていることを繰り返し述べています。(アメリカの医療制度についても言及がありますがここでは省略)
著者は、ベトナム戦争でも、知識階級からではなく、学生から反戦運動が始まったことなども述べています。また、政権と一体になっているようなマスメディアが自国のことを正しく伝えない例も述べています。
これらは、安保法制に反対する国民の声を最初に大きく伝えたのが海外のメディアであったこと、新型コロナウイルスをめぐる問題でも、今海外のメディアから疑問の声が寄せられていることなどを考えさせられます。
技術の進歩によって、偽情報を真実かのように思わせるようなことが一層可能になってきましたが、手法は違ってきても、国民に対する支配層のBととらえる民主主義の考えは同じだといいます。
私は、多角的に情報を集めて、賢明に判断していかないと「戦争を拒否する心情」さえも、「病的である」とか「平和ボケ」などと言う理由をつけて、「戦争することが当然」のような雰囲気が作られ、戦争反対の声さえあげられなくなってしまうと思いました。
なお、この本の後編、辺見庸氏との対談では日本の歴史的な問題について論じています。
(ノーム・チョムスキー氏:1928年アメリカ生まれ。マサチューセッツ工科大学教授。言語学、著書多数翻訳されている。)
コントロール ノーム・チョムスキー著 鈴木主税訳 集英社新書2003年
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