所で、元号をめぐるフィーバーには、元号の意味を考えるとギモンにおもうことがたくさんあります。
①日本独自の万葉集の中の解説文からとったとことが大々的に言われていましたが、本当に今までとそんなに違うの?ということです。
次の識者の声をも参考にしてみてください。(WEB朝日)
*****中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。
今回初めて漢籍から選ばれなかったことに注目が集まるが、中国哲学の宇野茂彦・中央大名誉教授は「日本の文化というのは漢籍に負うところが非常に多い。文化に国境は無い。漢籍を異国の文化だと思わないでほしい」と語る。
政府は「文選」が原典に当たるかなどについて評価は避けている。
今回の出典をどう評価するか。改元時に公家らが行った審議「難陳(なんちん)」で、中国古典だけでなく日本書紀も引用されたことがあったことを先月論文で初めて指摘した水上雅晴・中央大教授は「文選との類似性が考えられ、隠れた典拠にやはり漢籍があることになる」としつつ、「日本で1300年以上使い続けられている元号の典拠がはじめて国書になったのだから、画期的な年号と言える」と意義づける。
水上氏は、江戸時代末に「令徳」の元号案が出た際、「徳川に命令する」という意味にも読めることから幕府が撤回させたと指摘。令和について「和(日本)に命令する」とも読めるが、今回どんな議論がされたのか気になるという。*****
独自性を強調したいばかりに、その元を無視したり、見ないというのは、宇野氏の言うように何かおかしい気がします。
②元号自体が中国の皇帝が時間をも支配するのが皇帝であると始めたものを日本に導入したものです。産経新聞の通りに国民のものではなく天皇のものです。
ですから、さまざまな改元の仕方がありました。例えばめでたいから元号を変える、天変地異が多いから変える、天皇が亡くなったから変える等様々でした。
明治になってから初めて天皇が亡くなってから変えることが決まったのでした。(一世一元)大日本帝国憲法下で天皇主権だったからこその元号でした。国民は主権者ではなく、天皇主権だから詔という天皇の名において制定されてきました。
平成も令和も、内閣が制定しましたが、これは国民主権の憲法だからでした。その決定過程がいろいろ問題なのは、主権者が国民なのに天皇が関わってはいけないにもかかわらずかかわったのではないかとか、政治利用していたのではないかということでした。
そういうわけで産経の通りに天皇の名でなどと言うのは、国民主権を放棄して天皇主権に戻してしまう発想ではないでしょうか。
③元号「令和」が発表され、令の字が語源的には人をひざまずかせて君主の宣告を伝えることですから、それを知っている人は「命令」「勅令」「訓令」「軍令」「威令」「禁令」など第一義的には命令的な意味があるので違和感を持ったのではないでしょうか。政権党の中でもすぐこれを言った人がいました。
漢文でも「令人動」(人をして動かしむ)などのように上からさせるという意味で習いました。令人(きれいな人、清い人)などという意味も派生的にはあるようですが、すぐ「巧言令色すくないかな仁」などの論語の言葉を思い出します。(見せかけが良くて人の気に入られるようにしている人はよくないという意味でしたね)
令月は2月の別名とされていて、ものごとをやるのに良いとの意味もあるようですから、これを利用したのでしょう。
元号が上記のようなものであるうえ、一方ではグローバル時代の中、それを使うことを強制するのは思想信条の自由を侵すものであるということです。
さすがに辞書の意味を変えるわけにはいかないでしょうし、人々の感覚の問題もありますので、元号の強制は良くないということです。
④首相が意図的に誰の教えかわからないですが、これを最後の候補として押し込んで、日本の古典ということを繰り返して決めさせたということがわかる記事が昨日の朝日新聞一面に載っていました。そのうえでの、テレビ上での様々な演出でした。改元まで政治利用してしまうのですね。
政治利用について、検証もしないでフィーバーを起こしてしまったと新聞は反省していますが、TVは関係ないようですね。終日代替わりに伴うニュースであふれています。
だれの指示で、国民をどこへ持って行くのでしょう。次は代替わりですね。
①日本独自の万葉集の中の解説文からとったとことが大々的に言われていましたが、本当に今までとそんなに違うの?ということです。
次の識者の声をも参考にしてみてください。(WEB朝日)
*****中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。
今回初めて漢籍から選ばれなかったことに注目が集まるが、中国哲学の宇野茂彦・中央大名誉教授は「日本の文化というのは漢籍に負うところが非常に多い。文化に国境は無い。漢籍を異国の文化だと思わないでほしい」と語る。
政府は「文選」が原典に当たるかなどについて評価は避けている。
今回の出典をどう評価するか。改元時に公家らが行った審議「難陳(なんちん)」で、中国古典だけでなく日本書紀も引用されたことがあったことを先月論文で初めて指摘した水上雅晴・中央大教授は「文選との類似性が考えられ、隠れた典拠にやはり漢籍があることになる」としつつ、「日本で1300年以上使い続けられている元号の典拠がはじめて国書になったのだから、画期的な年号と言える」と意義づける。
水上氏は、江戸時代末に「令徳」の元号案が出た際、「徳川に命令する」という意味にも読めることから幕府が撤回させたと指摘。令和について「和(日本)に命令する」とも読めるが、今回どんな議論がされたのか気になるという。*****
独自性を強調したいばかりに、その元を無視したり、見ないというのは、宇野氏の言うように何かおかしい気がします。
②元号自体が中国の皇帝が時間をも支配するのが皇帝であると始めたものを日本に導入したものです。産経新聞の通りに国民のものではなく天皇のものです。
ですから、さまざまな改元の仕方がありました。例えばめでたいから元号を変える、天変地異が多いから変える、天皇が亡くなったから変える等様々でした。
明治になってから初めて天皇が亡くなってから変えることが決まったのでした。(一世一元)大日本帝国憲法下で天皇主権だったからこその元号でした。国民は主権者ではなく、天皇主権だから詔という天皇の名において制定されてきました。
平成も令和も、内閣が制定しましたが、これは国民主権の憲法だからでした。その決定過程がいろいろ問題なのは、主権者が国民なのに天皇が関わってはいけないにもかかわらずかかわったのではないかとか、政治利用していたのではないかということでした。
そういうわけで産経の通りに天皇の名でなどと言うのは、国民主権を放棄して天皇主権に戻してしまう発想ではないでしょうか。
③元号「令和」が発表され、令の字が語源的には人をひざまずかせて君主の宣告を伝えることですから、それを知っている人は「命令」「勅令」「訓令」「軍令」「威令」「禁令」など第一義的には命令的な意味があるので違和感を持ったのではないでしょうか。政権党の中でもすぐこれを言った人がいました。
漢文でも「令人動」(人をして動かしむ)などのように上からさせるという意味で習いました。令人(きれいな人、清い人)などという意味も派生的にはあるようですが、すぐ「巧言令色すくないかな仁」などの論語の言葉を思い出します。(見せかけが良くて人の気に入られるようにしている人はよくないという意味でしたね)
令月は2月の別名とされていて、ものごとをやるのに良いとの意味もあるようですから、これを利用したのでしょう。
元号が上記のようなものであるうえ、一方ではグローバル時代の中、それを使うことを強制するのは思想信条の自由を侵すものであるということです。
さすがに辞書の意味を変えるわけにはいかないでしょうし、人々の感覚の問題もありますので、元号の強制は良くないということです。
④首相が意図的に誰の教えかわからないですが、これを最後の候補として押し込んで、日本の古典ということを繰り返して決めさせたということがわかる記事が昨日の朝日新聞一面に載っていました。そのうえでの、テレビ上での様々な演出でした。改元まで政治利用してしまうのですね。
政治利用について、検証もしないでフィーバーを起こしてしまったと新聞は反省していますが、TVは関係ないようですね。終日代替わりに伴うニュースであふれています。
だれの指示で、国民をどこへ持って行くのでしょう。次は代替わりですね。
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