①鶏を飼う
何十万羽と大量に飼う今の時代とちがい、各家庭の自家用に、二、三羽の鶏を飼っていたころです。我が家でも飼っていましたが、これは私だけではなく親も餌やりをしていました。時に、貝殻を細かく砕き餌に混ぜてやることをしていました。これによって、しっかりした殻ができるということでした。
鶏の卵はその頃は鶏の品質が悪かったせいか、毎日は産みませんでした。たまに産むと喜んだものです。その卵は、とても貴重なものです。
そのまま卵焼きにすると量が少ないので、なんと、小麦粉を混ぜて量を多くしてみんなで食べられるようにするのでした。弁当箱の中の卵焼きが黄色というよりやや白身がかっているのが切なかったことを覚えています。後年、真っ黄色の卵を食べた時には、本当にうれしかったのでした。卵が貴重で病人の精を付けるのに使われていたころの話です。
こうして飼っていた鶏は、古くなると、つぶすといって自家用の鶏肉にして食べるのでした。首を取って庭の隅の巴旦杏の枝に逆さにつるして血を流し、羽をむしって調理できるようにしました。その後は親の仕事でした。
今でも、鶏のコラーゲンが豊富といわれる皮の部分が苦手なのはそのころのせいかもしれません。
②豚を飼う
豚を飼うことも一時地域に流行ったことがありました。多分需要が高まった一時のことでしょうが、多くの家で飼ったのでした。
我が家でも数頭いて、ヨゴミ(余ごみ?)と言っていた台所の余った野菜の切れ端やみそ汁などをあげるほか、穀類、イモ類などを食べさせていました。
豚は力があり、中に入って掃除していると体ごと押してきたりぶつかってきたりしました。大きくして、業者に引き取ってもらい、また幼い豚を飼うのでしたが、どれぐらいで引き取ってもらったのかは知りませんでした。
豚を飼うのは一時的でしたから、多分そのうち大量に育てる業者があちこちにできて採算が合わなくなり、どこも一斉にやめたようです。
ちなみに、当時の農林省統計をしらべると、昭和30年に82万頭、31年は117万頭、35年は400万頭と飛躍的に増えていることがわかりました。
豚小屋の臭さとあの泥んこはどうも好きになれませんでした。今は豚肉にお世話になっているのに。
当時は、牛肉はもちろんのこと、豚肉も普通の生活ではなかなか手にいれることができずに、町に行ったときにカレー用に豚肉を買うのがうれしかったものです。もっともカレーの中の肉は探すのが大変でしたが・・・。肉がとても貴重だった時代の話でした。
何十万羽と大量に飼う今の時代とちがい、各家庭の自家用に、二、三羽の鶏を飼っていたころです。我が家でも飼っていましたが、これは私だけではなく親も餌やりをしていました。時に、貝殻を細かく砕き餌に混ぜてやることをしていました。これによって、しっかりした殻ができるということでした。
鶏の卵はその頃は鶏の品質が悪かったせいか、毎日は産みませんでした。たまに産むと喜んだものです。その卵は、とても貴重なものです。
そのまま卵焼きにすると量が少ないので、なんと、小麦粉を混ぜて量を多くしてみんなで食べられるようにするのでした。弁当箱の中の卵焼きが黄色というよりやや白身がかっているのが切なかったことを覚えています。後年、真っ黄色の卵を食べた時には、本当にうれしかったのでした。卵が貴重で病人の精を付けるのに使われていたころの話です。
こうして飼っていた鶏は、古くなると、つぶすといって自家用の鶏肉にして食べるのでした。首を取って庭の隅の巴旦杏の枝に逆さにつるして血を流し、羽をむしって調理できるようにしました。その後は親の仕事でした。
今でも、鶏のコラーゲンが豊富といわれる皮の部分が苦手なのはそのころのせいかもしれません。
②豚を飼う
豚を飼うことも一時地域に流行ったことがありました。多分需要が高まった一時のことでしょうが、多くの家で飼ったのでした。
我が家でも数頭いて、ヨゴミ(余ごみ?)と言っていた台所の余った野菜の切れ端やみそ汁などをあげるほか、穀類、イモ類などを食べさせていました。
豚は力があり、中に入って掃除していると体ごと押してきたりぶつかってきたりしました。大きくして、業者に引き取ってもらい、また幼い豚を飼うのでしたが、どれぐらいで引き取ってもらったのかは知りませんでした。
豚を飼うのは一時的でしたから、多分そのうち大量に育てる業者があちこちにできて採算が合わなくなり、どこも一斉にやめたようです。
ちなみに、当時の農林省統計をしらべると、昭和30年に82万頭、31年は117万頭、35年は400万頭と飛躍的に増えていることがわかりました。
豚小屋の臭さとあの泥んこはどうも好きになれませんでした。今は豚肉にお世話になっているのに。
当時は、牛肉はもちろんのこと、豚肉も普通の生活ではなかなか手にいれることができずに、町に行ったときにカレー用に豚肉を買うのがうれしかったものです。もっともカレーの中の肉は探すのが大変でしたが・・・。肉がとても貴重だった時代の話でした。
代わりにコンビニやマンションが建ちました。大きい生みたて卵を安く買えましたが今はスーパーの特売を開店前に並んで買っています。
もう一つは友達との会話です。やはり、家の人が鶏を解体するというので、鶏の頭をなたで切ったとろ、首のない鶏がしばらくダダーと走って倒れたというのです。子ども心に「エ~!」と思いました。
皆でいろりを囲んでいたこと、夜寝るときに海の波の音が
聞こえていたこと、そして飼っていたニワトリに貝殻を砕いてあげた事です。子どもでも砕くことができる貝殻はたぶんカキの貝殻だったと思います。子どもの手でつかめる位の大きさの丸い石で砕いたのです。卵の殻が硬くなるからといわれていました。子ども心に、大人の役に立つことを喜んでいたのでしょう。
ところで鶏の皮の焼き鳥は大好きですが、鍋や水炊きの鶏の皮はとっても苦手です。
食べれなくはないのですが。・・・我慢していただきます。
ところで、座間の栗原中の近くには大きな養鶏場、谷戸山公園の南口の所には大きな養豚場、西中の斜向かいには種付け豚の養豚場がありました。そのうち、西中の所は10年ぐらい前まで、他は30年ぐらい前にはなくなっていたような気がします。いずれも、都市化に伴い異臭が問題になっていましたし、拡大しないと成り立たなくなっていたのかもしれません。