過日、全国の学者でつくる安保法戦に反対する学者の会がシンポジウムを開こうして、立教大学を借りようとしたら、あろうことか大学は「会合は政治的になりうる」という理由で会場を断ったといいます。
自由な学術研究や活動が認められるのが大学で、暴力的な行為や犯罪的な行為でない限り、最大限自由が保障されているところが大学という認識でいましたが今は違うんですね!
今回の決定を知り、大学の自殺行為なのにと思いました。周知のように、戦前は国策に資するような研究は許されるけれど、社会科学的な面は極力制限され、しかも戦争で学徒動員まで協力させられ大勢の学生を戦場に送ったのが大学でした。
今また戦争に向かうかもしれない中でこのような学者のシンポジウムに会場を貸さないなどとあっていいことでしょうか。戦争法と言われる安保法が違憲の法案だと指摘され、立憲主義が破壊され、憲法が無視されることへの批判や行動こそが研究者・市民に求められ、1万5千もの学者が自覚的に集まっている時です。
これでは大学が言論の自由を制限する動きに掉さし、批判を許さない雰囲気をつくる船頭の役割を果たすことになります。
先の、デモの俳句を公民館に掲示させないなどという時代錯誤的な動きとともに、学問の府と言われる大学でさえ政権の意を汲むような行為にたいして、いろいろな形で批判していくことが必要だと思いました。
まずは全立教生・OBは特に大学への批判・抗議をすべきでしょう。
私は、「政治的」だという理由で会場を貸さない大学に対して、そのような決定をする大学自身が、大変な「政治的」な行為をしたのだと思います。
なお、このような大学に変わり、法政大学が会場校として立派に会議を成功させたとのことを聞き、日頃から尊敬する田中総長はじめ当局の決断に拍手を送りたいと思います。
シンポは「岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義」をテーマに、1300余人が参加し、長谷部恭男早稲田大教授や小林節を慶大教授などとともに出席した樋口陽一東大名誉教授は「人々の運命を左右するようなときに、『危ない道だよ。』と示すのは専門家の義務。若い人の『なめんなよ』の精神が日本社会の知性を救うでしょう。」と訴えたそうです。同じく立命館大学生はシンポで「空気を読んでいては、空気は変わらないんです。」と訴えたそうです。
今日10月26日の朝日の天声人語ではこのことを、放送大学での政権批判の文章削除報道とあわせて書いていましたがその通りと思いました。しかし、マスコミの言論への制限の動きへの批判の弱さは何でしょうか。天声人語でこんな素晴らしいことを書いている朝日新聞でも、記事はめくってめくって38面の隅です。皆さんの読んでる新聞には書いてありましたか。
この事件から、私たち大人が空気を読み政治の話をしないとか、自己規制などという情けないことに陥らないようにして、政治をしっかり見張ることが、憲法で言う国民の「不断の努力」であり、権利を守り続けていく保障だということを改めて考えました。
自由な学術研究や活動が認められるのが大学で、暴力的な行為や犯罪的な行為でない限り、最大限自由が保障されているところが大学という認識でいましたが今は違うんですね!
今回の決定を知り、大学の自殺行為なのにと思いました。周知のように、戦前は国策に資するような研究は許されるけれど、社会科学的な面は極力制限され、しかも戦争で学徒動員まで協力させられ大勢の学生を戦場に送ったのが大学でした。
今また戦争に向かうかもしれない中でこのような学者のシンポジウムに会場を貸さないなどとあっていいことでしょうか。戦争法と言われる安保法が違憲の法案だと指摘され、立憲主義が破壊され、憲法が無視されることへの批判や行動こそが研究者・市民に求められ、1万5千もの学者が自覚的に集まっている時です。
これでは大学が言論の自由を制限する動きに掉さし、批判を許さない雰囲気をつくる船頭の役割を果たすことになります。
先の、デモの俳句を公民館に掲示させないなどという時代錯誤的な動きとともに、学問の府と言われる大学でさえ政権の意を汲むような行為にたいして、いろいろな形で批判していくことが必要だと思いました。
まずは全立教生・OBは特に大学への批判・抗議をすべきでしょう。
私は、「政治的」だという理由で会場を貸さない大学に対して、そのような決定をする大学自身が、大変な「政治的」な行為をしたのだと思います。
なお、このような大学に変わり、法政大学が会場校として立派に会議を成功させたとのことを聞き、日頃から尊敬する田中総長はじめ当局の決断に拍手を送りたいと思います。
シンポは「岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義」をテーマに、1300余人が参加し、長谷部恭男早稲田大教授や小林節を慶大教授などとともに出席した樋口陽一東大名誉教授は「人々の運命を左右するようなときに、『危ない道だよ。』と示すのは専門家の義務。若い人の『なめんなよ』の精神が日本社会の知性を救うでしょう。」と訴えたそうです。同じく立命館大学生はシンポで「空気を読んでいては、空気は変わらないんです。」と訴えたそうです。
今日10月26日の朝日の天声人語ではこのことを、放送大学での政権批判の文章削除報道とあわせて書いていましたがその通りと思いました。しかし、マスコミの言論への制限の動きへの批判の弱さは何でしょうか。天声人語でこんな素晴らしいことを書いている朝日新聞でも、記事はめくってめくって38面の隅です。皆さんの読んでる新聞には書いてありましたか。
この事件から、私たち大人が空気を読み政治の話をしないとか、自己規制などという情けないことに陥らないようにして、政治をしっかり見張ることが、憲法で言う国民の「不断の努力」であり、権利を守り続けていく保障だということを改めて考えました。
いろいろな面で、あると思います。
しかし、社会は確実に変化しています。
批判を続けていきましょう。
おかしいと思ったら声を上げていきましょう。