「安全保障関連法に反対する学者の会」(内田樹、佐藤学、上野千鶴子氏など発起人5月30日)のオンラインシンポジウムを紹介した新婦人しんぶんを見せてもらいました。ジャーナリズム研究が専門の林香里東大教授の「メディアとナショナリズム」という発言でした。新聞のタイトルは、「なぜメディアはナショナリズムに流されるのか」というものでしたが、私には、ここで言われている日本のメディアの特異性はその通りだと思いました。
以下、発言からの私の学びです。*印は私の見解。
林氏は日本のメディアがナショナリズム(国家主義)に流されていく要因を3点あげています。それは「高い」「古い」「でかい」です。
①高い=高学歴高収入のエリートの記者たちによる新聞・放送
記者たちは受験戦争を勝ち抜いた高偏差値のエリート集団で、既存の価値を疑い、批判的に物事を捉えるというジャーナリスト精神(批判精神)と対極の教育を受けてきていること。
そのために、異なる他者を排斥するような感覚で行動してしまうことがあること。例えば、東京新聞の望月記者が鋭い質問を菅官房長官にすると、同じ記者なのに目立ちすぎなどと不寛容になり官邸と同じ立場になってしまっているといいます。オフレコということで事前にICレコーダーを事前に自主回収するなど相互監視体制になっているといいます。
*私は、前から世界でも珍しい日本の「記者クラブ制」の弊害について、閉鎖制といじめ的な排除の論理が幅を利かせている集団である
と聞いていました。そしてこのブログでも書いてきました。首相たちと会食会をしたりする関係の中で記事をもらうということですが、これ
では国民の立場に立った批判的な記事は無理でしょうね。その人たちが伝えるニュースの信ぴょう性を疑います。
②古い=日本の新聞は古くからの企業で、政府の正当性を代弁してきた歴史
戦前の新聞などは政治報道でも三面記事的な首相の動向を伝えたりすることが主流で、多角的批判的に捉えることが少ない。どうしても、政府や自治体側の宣伝をあたかもニュートラルな情報として報道することにより、結果的に権力の支援ということになりやすいといいます。
*私はその点では、NHKの政治報道の編集の仕方には驚きます。一般には、ニュースは正しく伝えられることを前提に見られると思うのです
が、実は事前に編集されていますよね。何を伝え何を伝えないか、写真の撮る角度によるイメージの違い、伝える順番による操作など。
NHKの場合には、特に、政治ニュースでは問題があると、それについての市民や野党のインタビュー見解(野党がない場合も)、それについ
ての政府見解を官房長官や首相が見解を示して終わる場合が多い。この順番をいつも繰り返すと、何があっても政府はうまく解決している
ように思わせることができます。
気骨のある一部の民放では、コメンテーターや司会者が見解をしめし、政府の見解だけでは納得できないということを伝えます。また、外
国の政府批判の見解やデモの様子は、小規模でも伝えることが多いのに、日本のことについての政府批判のデモはほとんど伝えない。無視
という伝え方で政府に寄った立場を示しています。
③でかい=世界にも珍しい日本の巨大メディアは、支配権力に近くなりがち。
読売800万部、朝日600万部など。TVもNHK,民放5局が主流。この巨大マスメディアは横並び意識が強く、話題になったニュースはありとあらゆる社が飛びついて何度も連日報道する。権力、行政側はこのようなメディアがいつかは忘れるのを待って責任逃れという体質が続いている。
*世界各国のメディアは、巨大になりがちですが、日本のように新聞社とテレビ・ラジオ局の系列がほぼ同じというのは珍しいといいます。
同じということは、メディアの伝える内容や伝え方が限定されるということです。
加えて先に横並び傾向がありますから、コロナと言えば連日コロナで、どの局も同じような見解の医師・学者などを連日出演させます。そして
政府の見解と違う立場の見解はなかなか聞けません。
戦前、政府広報であったNHK、新聞各社が政府の宣伝機関になり下がり、国民を戦争に駆り立てる役目を果たしたのを、戦後は反省して
スタートしたはずなのに、いま日本のマスメディアはこのようなことでいいのでしょうか。アベ政権による、メデイア政策とも相まって、マス(巨
大)メディアによるマス(大衆)コントロールメディアになっているのではないでしょうか。
以下、発言からの私の学びです。*印は私の見解。
林氏は日本のメディアがナショナリズム(国家主義)に流されていく要因を3点あげています。それは「高い」「古い」「でかい」です。
①高い=高学歴高収入のエリートの記者たちによる新聞・放送
記者たちは受験戦争を勝ち抜いた高偏差値のエリート集団で、既存の価値を疑い、批判的に物事を捉えるというジャーナリスト精神(批判精神)と対極の教育を受けてきていること。
そのために、異なる他者を排斥するような感覚で行動してしまうことがあること。例えば、東京新聞の望月記者が鋭い質問を菅官房長官にすると、同じ記者なのに目立ちすぎなどと不寛容になり官邸と同じ立場になってしまっているといいます。オフレコということで事前にICレコーダーを事前に自主回収するなど相互監視体制になっているといいます。
*私は、前から世界でも珍しい日本の「記者クラブ制」の弊害について、閉鎖制といじめ的な排除の論理が幅を利かせている集団である
と聞いていました。そしてこのブログでも書いてきました。首相たちと会食会をしたりする関係の中で記事をもらうということですが、これ
では国民の立場に立った批判的な記事は無理でしょうね。その人たちが伝えるニュースの信ぴょう性を疑います。
②古い=日本の新聞は古くからの企業で、政府の正当性を代弁してきた歴史
戦前の新聞などは政治報道でも三面記事的な首相の動向を伝えたりすることが主流で、多角的批判的に捉えることが少ない。どうしても、政府や自治体側の宣伝をあたかもニュートラルな情報として報道することにより、結果的に権力の支援ということになりやすいといいます。
*私はその点では、NHKの政治報道の編集の仕方には驚きます。一般には、ニュースは正しく伝えられることを前提に見られると思うのです
が、実は事前に編集されていますよね。何を伝え何を伝えないか、写真の撮る角度によるイメージの違い、伝える順番による操作など。
NHKの場合には、特に、政治ニュースでは問題があると、それについての市民や野党のインタビュー見解(野党がない場合も)、それについ
ての政府見解を官房長官や首相が見解を示して終わる場合が多い。この順番をいつも繰り返すと、何があっても政府はうまく解決している
ように思わせることができます。
気骨のある一部の民放では、コメンテーターや司会者が見解をしめし、政府の見解だけでは納得できないということを伝えます。また、外
国の政府批判の見解やデモの様子は、小規模でも伝えることが多いのに、日本のことについての政府批判のデモはほとんど伝えない。無視
という伝え方で政府に寄った立場を示しています。
③でかい=世界にも珍しい日本の巨大メディアは、支配権力に近くなりがち。
読売800万部、朝日600万部など。TVもNHK,民放5局が主流。この巨大マスメディアは横並び意識が強く、話題になったニュースはありとあらゆる社が飛びついて何度も連日報道する。権力、行政側はこのようなメディアがいつかは忘れるのを待って責任逃れという体質が続いている。
*世界各国のメディアは、巨大になりがちですが、日本のように新聞社とテレビ・ラジオ局の系列がほぼ同じというのは珍しいといいます。
同じということは、メディアの伝える内容や伝え方が限定されるということです。
加えて先に横並び傾向がありますから、コロナと言えば連日コロナで、どの局も同じような見解の医師・学者などを連日出演させます。そして
政府の見解と違う立場の見解はなかなか聞けません。
戦前、政府広報であったNHK、新聞各社が政府の宣伝機関になり下がり、国民を戦争に駆り立てる役目を果たしたのを、戦後は反省して
スタートしたはずなのに、いま日本のマスメディアはこのようなことでいいのでしょうか。アベ政権による、メデイア政策とも相まって、マス(巨
大)メディアによるマス(大衆)コントロールメディアになっているのではないでしょうか。
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