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第14回 神奈川七沢・多喜二祭にまなぶ その① 

2015年02月28日 | 政治・社会
 2015年2月21日
 同実行委員会主催の多喜二祭に行ってきました。第14回目になる多喜二祭は呼びかけ文に「2014年7月、他国との戦争を容認する閣議決定が強行されました。多喜二の生きた時代に逆行させるもの-。断じて認められません。」とあるように、新たな「戦前状態」になりはじめている中での集会でした。

 始めに多喜二が好きだった音楽にちなみ、ブラームスの曲などの演奏がありました。コントラバスの奏者は神奈川フィルを不当に解雇され裁判で争っている杉本正さんという方でした。講演は能島龍三さんという方で、「多喜二の願いと、この国の今―戦争と慰安婦の問題にふれて―」というものでした。

 以下は私が聞き取った概略です。
 

 ①1903年生まれの多喜二の作品は、社会の最底辺の人々に目を向けて、女性や、タコ部屋などの実態を描き、その人々の真の意味の解放を願っているもので、多喜二の時代をさきがけている問題意識の高さを示していること。

 ②慰安婦に関わっては、軍医が性病の検査をしているなど明らかな軍との関わりや性奴隷的な面があること。多喜二が、個人的に田口タキを借金してまでも救出しても、真の解放にはならないと、社会全体の改造が必要と考えるに至ったこと。

 ③有名な作品「1928年3月15日」の時代のこと。
 1923年(関東大震災)の年には、社会主義者堺利彦の逮捕や大杉栄の虐殺があった。その時期には、国民の普通選挙を求める大運動があり、1925年普通選挙法が公布された。
 ところが、政府は普通選挙法と同時に、悪名高い治安維持法を成立させた。そうしておいて、1928年3月15日、日本共産党の大弾圧をし、同6月治安維持法に死刑を加える改悪を行った。同年には、日本軍が張作霖爆死事件を起こしている。
 翌1929年には衆議院議員山本宣治が虐殺される。1931年5・15事件、1936年2・26事件と軍部の力が大きくなり、ついに1937年日中戦争に突入。
 
 ④多喜二は厚木の七沢温泉に、一時期逗留して作品を書き上げた。1933年多喜二は29歳で虐殺された。多喜二が殺された時代とは、まさに日本が戦争に突き進む時代で、それに反対するものを取り締まる法律を作り、特高警察が残虐な拷問を加えた時期であること。
                                (以下続く)


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