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高台の中学校  - 故郷の思い出(21) -

2015年02月23日 | 日記・思い出
 中学校は、村内の4つの小学校が集まったもので4クラスあり、稲井中学校といいました。四小学校の名は、私が通っていた真野小学校のほか、井内、大瓜、金山といいました。
 中学校は山の中腹にあるので、各学区から自転車で通ってくる生徒の自転車置き場が長く連なっていました。私は自転車で30分ぐらいかけて通学していました。雨の時が嫌でした。少しの雨の時には傘をさし、大雨の時には合羽をかぶって自転車に乗りました。
 今のように車が多くないときですから、注意するのは風ぐらいです。道は砂利道でしたから時々パンクしました。途中に親戚の家があり、修理用具を借りて直したりしました。その頃覚えたパンク修理は今でもできますから面白いものです。

 ある時、チエーンが外れてしまい、直していると、一緒に通っている昭吾君も手伝ってくれました。所が手をさしこんで直している時に昭吾君がまわしてしまい、「うわあ」と叫んでしまいました。私の生爪がはがれてしまったのです。痛くて痛くて、自転車の修理どころではなく傍の診療所へ駆けこんでいきました。その時の爪は今でも変形しています。50年以上前の傷あとです。この爪を見るたびに親友だった昭吾ちゃんとのことを思い出します。痛かったなあ。

 真野川沿いに通学路があり、学校に入る校門の間近には、良く遊んだ莞治君の家がありました。大きな長屋門があり、門の二階に上がって遊んだりしたことを思いだします。この辺の地主だったのでしょうか。その頃は分かりませんでしたが。
 
 学校の校庭からは、北上川の支流の真野川を見下ろすことができましたし、遠くまで水田が広がって見える眺めの良い所でした。学校には大小の校庭があり、大きな校庭にはまだ、柵もないので、野球などのボールは下まで落ちてゆき、拾いに行くのが大変でした。小さな校庭の方は、昔からあったものでバレーボールコートなどがありました。

 冬の昼の弁当は大きなストーブの上で重ねて温めていたものです。当番は大きな薬缶にあつい湯を入れて配っていたことを覚えています。後には、弁当を温める保温機が置かれるようになりましたが・・・。そのころ学校に初めてテレビ室ができて、テレビを見たことがありました。相撲とか、レスリングしか覚えていないのですから不思議な記憶です。
 クラブ活動はバレー部に入り古い方の校庭で練習し、終わった後は、ボールにワックスを塗らされたことを覚えています。他校との試合にも参加しまし、雄勝町の方の中学校に行ったこともありました。
 また、植林作業などというのもあり、学年ごとにそろって山にのぼり、下草を取ってから植樹しました。

 友人は小学校時代からの友人、中学校になってからの友人といろいろいました。何人かとはお互いの家に自転車で行ったりして遊びましが、いったい何をして遊んだのか、よく覚えていないのです。あるとき同じクラスになったA君が実は従弟だとわかり急に親しくなり泊りにまで行ったことがありました。後年、同窓会があった時に、S君と話し、そういえば街にあるS君の家にも遊びに行ったなあと思いだしました。

 また、ある時、学年の数人で、トイレでたばこを吸ったとかで、しかられたという噂がありました。先生方が上手に注意したのか、私には誰と誰などということは分かりませんでした。その頃は、小学校の頃と違ってまるで真面目?な子どもになっていましたからそんな話も疎かったのかもしれません。

 学校には図書室があるので、本は読んだとは思いますが、はっきり覚えているのは下村胡人作「次郎物語」ぐらいです。確か後年映画化されたような気がします。

 さて、3年生の受験期になると、放課後に先生方が、半ばボランテイアで遅くまで進学のために補習授業をしてくれました。なにしろ、我が家でもなんとか支払えてるような月200円か300円の経費だったと思います。これでは用紙代にもならないでしょう。AクラスとBクラスに分かれて、成績によって入れ替わるのでした。幸いAクラスにいた時に、自分の好きな人がBクラスに行ってしまうのも何か嫌な気分だったことをおぼえています。
 この補習は、先生方の好意で行われましたが、その後の進学を考えるときっと役に立ったのだと思います。塾など無かった時代のことです。



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2 コメント

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通学路 (木漏れ日)
2015-02-24 22:17:02
雪の降る中を下駄ばきで登校中に突然下駄の鼻緒が切れてしまった、右足の
鼻緒だった。素足の右足で雪を踏みながら、左の下駄は長く地面を踏み、右足をかばうようにして歩いた。
その時、中年のおばさんに呼び止められ、下駄の鼻緒をすげかえてくれた。
そのうちは、のこぎりの目立て屋さんだった。 数年まえ、機会があってその店を見た、立派で大きいのこぎり屋さんになったいた。有難うと心の中でお礼した。 
70年ほど昔の通学路の思い出。
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タイムスリップ (マーちゃん)
2015-02-26 18:23:13
はるか昔にタイムスリップした感じです。下駄ばきで通学はさすがに記憶がないですね。でも、ゴム草履ばきは記憶があるから似たようなものでしょうか。
鼻緒が切れた時の歩き方を想像しただけでもう寒そうです。優しい女将さんが居て、やがて商売も繁盛という何か時代劇にでも出てくるような話で、後年成功した木漏れ日さんが訪ねる…、いい話です。
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