戦争政策を遂行するにはまず「教育を抑える」ことと、「マスコミを抑える」と言います。つまり、思想・言論統制によって真実を国民に知らせないようにすることです。
マスコミについては、今問題になっている通り、NHKの籾井会長など経営委員の首相仲間の選任、民放への弾圧発言が国民の目に見える形で進行中です。見えれば、国民も黙ってはいません。各地で抗議の声が上がっています。
しかし、安倍首相が中心になって進めている教育改革という名の改悪はなかなか国民の目には届かないですが、大問題です。戦前には、「教育勅語」を中心とする学校教育によって洗脳され多くの国民は疑いもなく戦争に突き進んでいったことは今では明らかになっています。
安倍首相は、第一次内閣では、戦後の憲法とともに、教育の分野の民主主義のもとである、教育基本法を改悪しました(2006年・平成18)。それは中央教育審議会があるのも関わらず、御用学者たちをあつめて「教育再生実行本部」を設置し、それに政策提言させる手法で、政権の考える教育政策を立案するものと批判されているものです。
この提言により、今すすめられている教育改革(改悪)は戦後の民主的な教育政策をひっくり返すもので、今すすめられている憲法の空洞化の一歩先をいっているものです。
主なものを上げると、
・教科書の検定強化による統制と採択方法の変化。
=政府の政策を教科書に反映させるという露骨な押し付けで、従わなければ検定が通らないから教科書にはできないことになります。
それでも気に入らない教科書を、現場の先生方が推薦した場合には、採用を決める教育委員を予めそのような人を入れ替え、採用させないという念の入れようです。
戦後しばらくは現場の先生方が教える教科書を選ぶという先進国では当たり前のやり方でした。教える先生方から、教科書を選ぶ権利を奪い、教えることに関係のない教育委員によって選ばれるというおかしな制度にされました。
こうして、今話題になっている、政権のお気に入りの教科書会社(育鵬社・自由社)の本が検定を通り、採用させるように首相自らが「最適な本」と政治介入して働きかけが行われています。この本は前回、神奈川県では横浜市が使うように決められました。
具体的な内容等については順次書きます。
・道徳を教科並に位置づけ、人格評価する。
=戦前は修身が学校家庭などすべての生活での基本として教え込まれました。人格の評価がそれを基準としてなされましたが、それが平和で自主的な人格の形成に妨げになるということで廃止されました。復活した道徳も、教科とは違う扱いで、評価はすべきものではないとされてきました。
しかし、ここへきて、国定教科書なみに「徳目」さだめて文科省が本をつくり与えるようになっています。さらに評価もするというのですから、特定の道徳基準に人格を当てはめようとする自由な人格形成にほど遠い時代錯誤といえます。女性を蔑視する発言の曽野氏などが委員になって作成していることは知られていますね。
・教育委員会の制度を中央集権的にする。
=今年から、全面的に動き出しました。
これについては次回に座間市の例を加えながら書きます。
・教員免許制度の改悪=教員の政治活動や不適格教員の排除を名目に、罰則の強化や、教員免許の更新制度が決められました。不適格の基準は?恣意的に運用される問題や、不備な条件なのに更新だけがすすめられ、子どもそっちのけで更新準備をしないいけなくなり、先生方を一層忙しくしています。
本来進めるべき30人学級や教員の増加などは抑えて、臨時の教員がますます増やされて、多忙化が常態になり、「学校のブラック化」などと報道されるありさまです。
このように次々と国家主義的なものに変え始められていますが、これらのことはなかなか一般国民の目には見えないものです。
先生方は余裕がなくなり、受け入れるほかなくなっている現状もあるようです。また残念ながら組合も国民に訴え広く国民とともに運動する状態ではありません。言われたとおり進めるだけの、物言わぬ教師が増えればどうなるでしょうか。
マスコミについては、今問題になっている通り、NHKの籾井会長など経営委員の首相仲間の選任、民放への弾圧発言が国民の目に見える形で進行中です。見えれば、国民も黙ってはいません。各地で抗議の声が上がっています。
しかし、安倍首相が中心になって進めている教育改革という名の改悪はなかなか国民の目には届かないですが、大問題です。戦前には、「教育勅語」を中心とする学校教育によって洗脳され多くの国民は疑いもなく戦争に突き進んでいったことは今では明らかになっています。
安倍首相は、第一次内閣では、戦後の憲法とともに、教育の分野の民主主義のもとである、教育基本法を改悪しました(2006年・平成18)。それは中央教育審議会があるのも関わらず、御用学者たちをあつめて「教育再生実行本部」を設置し、それに政策提言させる手法で、政権の考える教育政策を立案するものと批判されているものです。
この提言により、今すすめられている教育改革(改悪)は戦後の民主的な教育政策をひっくり返すもので、今すすめられている憲法の空洞化の一歩先をいっているものです。
主なものを上げると、
・教科書の検定強化による統制と採択方法の変化。
=政府の政策を教科書に反映させるという露骨な押し付けで、従わなければ検定が通らないから教科書にはできないことになります。
それでも気に入らない教科書を、現場の先生方が推薦した場合には、採用を決める教育委員を予めそのような人を入れ替え、採用させないという念の入れようです。
戦後しばらくは現場の先生方が教える教科書を選ぶという先進国では当たり前のやり方でした。教える先生方から、教科書を選ぶ権利を奪い、教えることに関係のない教育委員によって選ばれるというおかしな制度にされました。
こうして、今話題になっている、政権のお気に入りの教科書会社(育鵬社・自由社)の本が検定を通り、採用させるように首相自らが「最適な本」と政治介入して働きかけが行われています。この本は前回、神奈川県では横浜市が使うように決められました。
具体的な内容等については順次書きます。
・道徳を教科並に位置づけ、人格評価する。
=戦前は修身が学校家庭などすべての生活での基本として教え込まれました。人格の評価がそれを基準としてなされましたが、それが平和で自主的な人格の形成に妨げになるということで廃止されました。復活した道徳も、教科とは違う扱いで、評価はすべきものではないとされてきました。
しかし、ここへきて、国定教科書なみに「徳目」さだめて文科省が本をつくり与えるようになっています。さらに評価もするというのですから、特定の道徳基準に人格を当てはめようとする自由な人格形成にほど遠い時代錯誤といえます。女性を蔑視する発言の曽野氏などが委員になって作成していることは知られていますね。
・教育委員会の制度を中央集権的にする。
=今年から、全面的に動き出しました。
これについては次回に座間市の例を加えながら書きます。
・教員免許制度の改悪=教員の政治活動や不適格教員の排除を名目に、罰則の強化や、教員免許の更新制度が決められました。不適格の基準は?恣意的に運用される問題や、不備な条件なのに更新だけがすすめられ、子どもそっちのけで更新準備をしないいけなくなり、先生方を一層忙しくしています。
本来進めるべき30人学級や教員の増加などは抑えて、臨時の教員がますます増やされて、多忙化が常態になり、「学校のブラック化」などと報道されるありさまです。
このように次々と国家主義的なものに変え始められていますが、これらのことはなかなか一般国民の目には見えないものです。
先生方は余裕がなくなり、受け入れるほかなくなっている現状もあるようです。また残念ながら組合も国民に訴え広く国民とともに運動する状態ではありません。言われたとおり進めるだけの、物言わぬ教師が増えればどうなるでしょうか。
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