TVで認定こども園(保育園+幼稚園)での食事の貧しさや虐待まがいのことが行われていたのではという批判が出ています。また、普通の小学校でも、朝食を食べてこない子どもがいることなどが言われています。
今、各地で十分な食事がとれていない子どものために「子ども食堂」などをボランテイアで開いたり、衣料や食料を募り支給するなどということが行われています。このような子どもの環境は例外ではなく全国的に広まっていることが指摘されて、新聞でも子どもの貧困が特集されるような事態にもなっています。この活動を知って驚き、その一つにささやかながら寄贈したこともありました。このようなボランテイアに頼っていることは正常なことではないと思いながらも・・・。
政府はアベノミクスは成功しており、多くの企業が収益を上げているとか、賃金が上がっている、失業率が下がっており、一般家庭にアベノミクスの果実が届いているようなことを言っています。
しかし上記のように政府の発表とは裏腹に、保育園に入れない子どもが多いとか、子どもの貧困が広がっているとの報道がなされています。少子化の中で子どもに向ける予算は減らさなければ従来と比べて潤沢になるはずですが、これはいったいどうしたことでしょうか。
一般にはこのような子どもの貧困はなかなか見えづらいといわれます。それはなぜなのでしょうか。このような疑問を持っていた時に、『子どもの貧困連鎖』(池谷孝司・保阪渉著新潮文庫2015年刊)を読みました。
この本ではさまざまな事例がレポートされています。
・一人親家庭の子育ての社会経済的に困難な例。
・父親の収入が少ないために定時制高校に働きながら通学しているが、間に合わなくて学費滞納している生徒。
・社員並みに働いても低賃金で食べるのがやっとの生徒。
・親が教育に金を掛けられないといわれ意欲があるのに学べない生徒。
・貧困の中で、自己肯定感が持てずに、自殺を図る子どもや荒れてしまう子ども等々。
読んでいて辛くなるような内容です。いかにセイフティーネットが壊れているか、いかに貧困のしわ寄せが子どもに集中しているかなどが報告されています。
このような子どもの貧困は、一般の大人にはなかなか見えずらいと言われるのは、子どもたちが困っていることを簡単には話せないという実情や、ほかの子と同じように携帯などを持っており判断が難しいということもあるようです。食事を食べてこなかったり、着るものがいつも同じだったり、病気でも病院に行けないなどということは学校などがしっかり子どもに寄り添っていないとわからないことでしょう。
今、社会的経済的な格差が大きな問題になって来ていますが、その影響をまず子どもたちが受けているということが分かります。一方ではアベノミクスによって、巨大な富を築いている大企業や金融資産を持つ富裕層がいっそう豊かになっています。所得格差を示すジニ係数は過去最大になり、年収200万円以下のワーキングプア(働く貧困層)は1000万人を超えたと言います。また、生活保護世帯も過去最大になり、先進諸国と比べても子どもの貧困率も上がり続け未来ある子どもたちなのにあまりにも劣悪な状況に置かれているといいます。
先進国では、教育を最大課題に位置付けて、教育は国の責任で進め、高等教育まで無償の奨学金制度が多い中、日本では教育は自己責任という考え方がいまだに多く、親の経済的な格差がそのまま子どもにひびいてしまうという結果になっているのでしょう。
このような格差社会の中で、森友問題などのように8億円もの大盤振る舞いをする政治がまかり通るうえ、教育予算が先進国の中で劣悪で、上記の例や、奨学金で苦しむ学生のように前途を閉ざされている例が多いという現状を許しているに大人の責任があると思いました。
子どもや若い人の現状をもっと見て、政治がつくっている貧困の連鎖を断ち切ることを考えていかなければと思います。私も親の懐があてにできずにアルバイト生活に追われていたこともあるので一層身に沁みます。
この本は、なかなか見えないと言われる子どもの貧困について考えさせてくれます。最近はTVでも少しずつ取り上げられるようになったので関心をお持ちの方も多いでしょうか。実態を多くの人に知らせていくことが必要なようです。
**岩波新書でも連作が出ていました。『子どもの貧困―日本の不公平を考える』『子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える』(阿部彩著)
今、各地で十分な食事がとれていない子どものために「子ども食堂」などをボランテイアで開いたり、衣料や食料を募り支給するなどということが行われています。このような子どもの環境は例外ではなく全国的に広まっていることが指摘されて、新聞でも子どもの貧困が特集されるような事態にもなっています。この活動を知って驚き、その一つにささやかながら寄贈したこともありました。このようなボランテイアに頼っていることは正常なことではないと思いながらも・・・。
政府はアベノミクスは成功しており、多くの企業が収益を上げているとか、賃金が上がっている、失業率が下がっており、一般家庭にアベノミクスの果実が届いているようなことを言っています。
しかし上記のように政府の発表とは裏腹に、保育園に入れない子どもが多いとか、子どもの貧困が広がっているとの報道がなされています。少子化の中で子どもに向ける予算は減らさなければ従来と比べて潤沢になるはずですが、これはいったいどうしたことでしょうか。
一般にはこのような子どもの貧困はなかなか見えづらいといわれます。それはなぜなのでしょうか。このような疑問を持っていた時に、『子どもの貧困連鎖』(池谷孝司・保阪渉著新潮文庫2015年刊)を読みました。
この本ではさまざまな事例がレポートされています。
・一人親家庭の子育ての社会経済的に困難な例。
・父親の収入が少ないために定時制高校に働きながら通学しているが、間に合わなくて学費滞納している生徒。
・社員並みに働いても低賃金で食べるのがやっとの生徒。
・親が教育に金を掛けられないといわれ意欲があるのに学べない生徒。
・貧困の中で、自己肯定感が持てずに、自殺を図る子どもや荒れてしまう子ども等々。
読んでいて辛くなるような内容です。いかにセイフティーネットが壊れているか、いかに貧困のしわ寄せが子どもに集中しているかなどが報告されています。
このような子どもの貧困は、一般の大人にはなかなか見えずらいと言われるのは、子どもたちが困っていることを簡単には話せないという実情や、ほかの子と同じように携帯などを持っており判断が難しいということもあるようです。食事を食べてこなかったり、着るものがいつも同じだったり、病気でも病院に行けないなどということは学校などがしっかり子どもに寄り添っていないとわからないことでしょう。
今、社会的経済的な格差が大きな問題になって来ていますが、その影響をまず子どもたちが受けているということが分かります。一方ではアベノミクスによって、巨大な富を築いている大企業や金融資産を持つ富裕層がいっそう豊かになっています。所得格差を示すジニ係数は過去最大になり、年収200万円以下のワーキングプア(働く貧困層)は1000万人を超えたと言います。また、生活保護世帯も過去最大になり、先進諸国と比べても子どもの貧困率も上がり続け未来ある子どもたちなのにあまりにも劣悪な状況に置かれているといいます。
先進国では、教育を最大課題に位置付けて、教育は国の責任で進め、高等教育まで無償の奨学金制度が多い中、日本では教育は自己責任という考え方がいまだに多く、親の経済的な格差がそのまま子どもにひびいてしまうという結果になっているのでしょう。
このような格差社会の中で、森友問題などのように8億円もの大盤振る舞いをする政治がまかり通るうえ、教育予算が先進国の中で劣悪で、上記の例や、奨学金で苦しむ学生のように前途を閉ざされている例が多いという現状を許しているに大人の責任があると思いました。
子どもや若い人の現状をもっと見て、政治がつくっている貧困の連鎖を断ち切ることを考えていかなければと思います。私も親の懐があてにできずにアルバイト生活に追われていたこともあるので一層身に沁みます。
この本は、なかなか見えないと言われる子どもの貧困について考えさせてくれます。最近はTVでも少しずつ取り上げられるようになったので関心をお持ちの方も多いでしょうか。実態を多くの人に知らせていくことが必要なようです。
**岩波新書でも連作が出ていました。『子どもの貧困―日本の不公平を考える』『子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える』(阿部彩著)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます