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村祭りとポンポン蒸気船など・・・・ 故郷の思い出⑫

2014年03月19日 | 日記・思い出
各地にあった村祭りが廃れてしまった話はだいぶ前から聞きます。私の田舎も例外ではありませんでした。私の家は村祭りが催される神社のすぐ近くにあったので幟や太鼓の音に胸おどらせていたことをよく覚えています。

①神社
神社と言ってもその頃から、神主などがいるわけではなく無人の神社でした。道沿いに4,50段の石段があり、そこから100メートルも登ると神社で広場もありました。大きな杉の木に囲まれて普段は薄暗いのですが、そこからも見えるので、子どもたちだけでよく遊びに行き、神社に巣を作っているコウモリの穴を発見したものです。神社への坂道は、冬は子どものソリすべりの場でした。また、左右の雑木林は栗を拾ったり、アケビを採ったり場所でもありました。

②祭りと夜店
  祭りが行われときには、道の入り口には大きな幟が2本立てられました。幟が立つと学校帰りの途中からもよく見えるので、歩いてなんかいられなくて、近道の田んぼ道を走り出したことを覚えています。
というのも、に一軒しか店がなかった時代に、神社前の広場にはたくさんの夜店が並ぶのですから。一番の見ものは、の青年団の演劇や踊りでした。その頃は、青年団が各にあり、よく集まりがありました。公民館での練習中のおしゃべりや噂話は、子どもの私にはよくわからなかったのですがにぎやかものでした。当日は家族ごとにゴザやムシロを敷いて顔見知りの青年がでると「あ、○○さんがでている」と喜んだものです。

特に心に残っているのは神社の広場中に漂う、カーバイドの匂いの強烈さです。各店ごとに灯りとしてカーバイドを燃やしていました。この日ばかりはねだってもらったわずかばかりの小遣い銭をもって店を回りました。今は懐かしいポンポン蒸気の舟や、映画俳優の大小のブロマイドなどが売られていました。ポンポン蒸気船は最近になって売っていたので懐かしくなり買いました。(写真)

③祭りの衰退
中学校を卒業すると、都会に就職に行くのが当たり前になった昭和30年すぎには、もう青年が少なくなり、自然とお祭りの運営なども難しくなったのでしょうか、演芸会も無くなってしまいました。それとともに、神社も顧みられることもなくなり、私たちも冬のソリ遊びなどのほかはめったに行かなくなりました。
こうして村やに青年達が多かった時期には、正月には獅子舞、夏には村祭りの演芸会がにぎやかに行われていました。こんな思い出をまだ忘れずにいます。そんな時期に子ども時代を過ごすことができたのは、貧しかったとはいえ幸せだったのかもしれません。
ポンポン蒸気船(後年買ったもの)

 
 手作りのポンポン蒸気船(アルミ管をまげて、木船に穴をあけて取り付け、管に水をいれます。ろうそくで温めると進みます。)




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