今日は沖縄戦での犠牲者を追悼する「慰霊の日」です。78年前のこの日、日本軍の組織的抵抗が終わった日です。沖縄戦を指揮した牛島司令官は最期まで戦えと命令して本人は自殺したのです。
住民を巻き込んだ地上戦で日本軍9万余、住民9万余、米軍1万3千人、県民の犠牲者は12万人以上とされます。住民への配慮は全くなく、むしろ、集団自決を迫ったり、住民を避難壕のガマから追い出して日本軍が隠れるなど非道なことが繰り返されたのでした。
日本軍の第32軍団は、本土を守るために沖縄で戦いをさせて、長引かせるという本土の盾と捨て石にすることが任務と言われています。こうして、県民4人に一人という犠牲者を出したのでした。沖縄で、軍隊は住民を守らない、かえって住民を盾にしたり、犠牲にするといわれるのはそのような体験があるからと言います。
その沖縄に今また、日米の基地が次々とつくられ、しかも戦争を想定しての地下要塞化が進められているといいます。再び沖縄を犠牲にして行くつもりの政府の方針は許せません。
それを本土の我々は許していいのでしょうか。今度の戦争はミサイルの時代の戦争です。しかも50基もある原発と共に生活しているのが本土です。どんなに軍備を拡大しようとも、被害は悲惨なものになるでしょう。
絶対に戦争を起こさないように、起きないようにするのが政府の役目です。脅威をいたずらにあおり、アメリカから武器を爆買いさせるアメリカの死の商人たちの餌食なってはいけないと思います。
どこの国も、好戦的な政治家や軍人はいます。それらの常套手段は、まず敵国をつくり、憎しみをつくり、その敵国の脅威を誇大に訴えて、国民に恐怖心を植え付けることです。今、日本は岸田政権のもとでその方向へ進んでいるのではないでしょうか。
沖縄慰霊の日は、私にとってはシベリアで亡くなった兄への鎮魂の日でもあります。
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