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小学校の頃の友だちの思い出ー 故郷の思い出⑳

2015年02月10日 | 日記・思い出
①天理教の友だちOくん 
 仲のいい友だちは、もちろんを越えていましたが、高学年の夏休みなどには交流がありました。今でもよく覚えているのは、天理教の教会の息子のO君との泊りっこです。農家の私の家に来て泊まったり、私が行って泊まったりしたのでした。O君の家で泊まるのは教会の本堂で薄暗い広間に大きな太鼓があってそこに泊まったことを覚えています。天理教というのは地域では珍しいものでした。教祖さまは女の人だということは知っていました。でも何をして遊んだのかは覚えていません。後にこの宗教が戦前からあった新興宗教で、教祖は中山という女の人で戦前は弾圧された団体だとわかりました。

②男女一緒に勉強
 また、このO君と、それぞれ仲の良いM子さんT子さんの4人で寺の本堂で机を並べて何度か勉強したことがあります。提案したのはO君でしたが、うまい具合に4人になったものですが、実はO君はT子さんが好きで、私はM子さんということは男の子同士で泊まりっこした時など話していたのでした。今は、一対一で付き合ったりするのは難しいことではないのかもしれませんが・・・。こうしてお互いにどきどきして一緒の勉強会を何回かしたのでした。ただし勉強の成果が上がったか否かは今となってははっきりしません。寺庭で追いかけっこをしたりしていたのですが、確か異性を意識した初めての頃です。
 
 低中学年の頃の典型的な落ちこぼれだった私が六年の頃になって、曲がりなりにも自主的に勉強を始めたというのは、大きな成長だったと思います。

 また、このように秘密を共有できる友だちもいたということは、成長の過程でとても大切なことだったのだと思います。先生に恵まれたこともありますが、このような友だちがいて、共に学べたことにより、中学に行ってもそれなりに力を発揮できた理由だと思います。

 なお、このO君はあの東北大震災の津波で自身が責任者の教会もろとも流され、奥さんを亡くし、今、仮設住まいです。
 教師の子だったT子さんは東京に嫁ぎました。50代に一度同窓会で会いましたが、その後亡くなり、ずいぶん早逝だと嘆きました。
 寺の娘だったM子さんはその後、他の寺に嫁いでいったことが分かりました。
 
 この小学校での出来事は、学芸会や、薪ひろいなどを、子どもの頃の遊びはメンコけん玉などの項で前にブログに書きました。


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