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党福島・埼玉県議団 双葉町民と懇談 支援は原発・・・不安切々

2013-02-13 14:32:41 | 日記
                 しんぶん赤旗        2013年2月13日(水)
党福島・埼玉県議団 双葉町民と懇談
支援は原発は…不安切々
避難先の加須で


(写真)住民と懇談する(こちら向き右から)宮川、阿部、神山の各福島県議、柳下、村岡の両埼玉県議、佐伯加須市議=11日、埼玉県加須市の旧騎西高校内

 日本共産党の福島県議団の神山悦子、宮川絵美子、阿部裕美子各県議と埼玉県議団の柳下礼子、村岡正嗣両県議は11日、福島県双葉町の町民が集団避難生活を送っている埼玉県加須市の旧県立騎西高校を訪れ、町民と懇談しました。校舎内の懇談会場に約30人が参加しました。

 「被災してから1年11カ月。精神的にも肉体的にも限界にきている」など切実な声が寄せられました。

 住宅支援などの被災者支援が打ち切られるのではないかとの不安に対し、神山氏は「国の災害救助法適用の打ち切りを許さず、国・東電が一切の責任を負うよう、オール福島で求めていく」と力強く表明。医療費助成などの支援の延長や災害復興住宅の整備を迫っていくと語りました。

 「避難先の住民からどう思われているか気になる」との訴えがありました。宮川氏は、被災者を受け入れている自治体は国から十分な交付金を受けており、住民に不利益はないことなどを話し、差別や偏見を払拭(ふっしょく)するために尽力すると述べました。

 「われわれは原発によって追い出された。原発をなくすべきだ」と訴える男性も。阿部氏は「原発はもうたくさんというのが福島の人の思い。即時原発ゼロをしっかり訴えたい」と語りました。

 柳下氏が「皆さんの一つひとつの悩みや苦しみを解決していくことが政治をただすことにつながる」と述べ、埼玉県議団としても被災者支援に全力をあげる決意を伝えました。

 佐伯由恵加須市議が同席しました。


なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか菊地正憲=ジャーナリスト~「中央公論」2011年8月号掲載

2013-02-12 14:29:31 | 日記
 昨日11日東北では大震災の月命日の日として震災にあわれ亡くなられて方のめいふくをいのられました。大震災を風化させないため皆さんも毎月11日午後2時46分もくとうをささげましょう。
転載
なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか
津波で全校児童の七割が犠牲に菊地正憲=ジャーナリスト~「中央公論」2011年8月号掲載

「災害は忘れたころにやってくる!」
 宮城県石巻市の市報「いしのまき」の三月号には、こう大書された災害対策の特集記事が掲載されている。発行日は今年三月一日。二〇一〇年二月末に南米チリ沖で発生した地震による津波の襲来から、ちょうど一年の時期にあたる。「津波から逃れるために」と題した項目では、「津波警報や避難指示を待たず、直ちに海から離れ、急いで高台や鉄筋コンクリートなど丈夫な建物の2階以上に避難しましょう」と明記してある。
 この市報発行から一〇日後に発生した東日本大震災から三ヵ月以上が過ぎた。死者・行方不明者合わせて二万数千人を数える事態になってしまったいま、直前の・警告・はあまりにも空しく響く。石巻市内だけで六〇〇〇人近くが死亡・行方不明になったのだ。
 中でも、全校児童一〇八人のうち六八人が一瞬にして命を落とし、六人が行方不明になった市立大川小学校の悲劇は、教育現場を襲った災害として歴史に深く刻みこまれることになった。だが、それだけに限らない。単なる天災で終わらせることができない背景があるからこそ、長く記憶に留められるかもしれないのだ。
 私は約三ヵ月ぶりに石巻市を訪れ、大川小がある釜谷地区とその周辺を中心に取材して回った。つぶれた家屋や車がそこら中に散乱していた三月の宮城訪問時と比べると、瓦礫はかなり取り除かれている。だが、新築される家があるわけでもない。かつて家屋や漁業施設が寄り添うように建ち並んでいた一帯は、#人気#ひと け#のない砂漠のような太古の姿をさらけ出し、鉄筋コンクリートの廃墟がいくつか無残に残されているだけだ。その一つが、子供の歓声が消え、無機質な静けさに包まれた大川小学校だった。すぐ後ろに見える針葉樹林に覆われた高さ数十メートルの小高い山の塊が、ひときわ存在感を示していた。
裏山に逃げていれば……
「いまは考える時間ができて、余計に悲しみと悔しさが増しています。なんでいつものように『ただいま』と元気に帰って来ないのか……」
 紫桃さよみさん(四十五歳)は、五年生の次女#千聖#ち さと#さん(十一歳)を失った。溢れる涙を抑えながら「悔しさ」を口にしたのは、市教委や学校側の対応に対する疑問を拭えないからである。
「私も、ほかの亡くなった子の親も、『どうして助けてあげられなかったのか』と自分を責める日々なんです。でも、子供たちは学校の管理下にあって、先生の判断を仰ぐしかなかったんです。なぜ裏山に逃がしてくれなかったのでしょうか……」
 市教委の説明や地元住民の証言によると、あの日午後二時四十六分に地震が発生した際、子供たちの多くは「帰りの会」の最中で、机の下に隠れた。下校を始めていた一部の児童も学校に戻ってきた。放送機器は使えず、教務主任が校庭へ避難するよう指示しながら校内を回った。三時ごろになって児童が校庭に集合し、教員が点呼を取り始めた――。
 ここまでは普通に考えられる対応だ。時間的にもたついた様子もない。大川小は津波の際の市の避難場所に指定されているし、校庭に出るのがまずは最善と思われた。だが、この直後、現場にいた一一人の教員たちは・迷走・を始める。このまま校庭に居続けるか、津波を想定して逃げるとすればどこに避難すれば良いのか、すぐに結論が出なかったのだ。校舎の西脇にある裏山に逃げるべきだとの声も出たが、「倒木や雪がある。余震も続いている」などと異論が出た。鉄筋コンクリート二階建てで高さが一〇メートルある大川小に屋上がなかったことも、選択肢を狭めた。
 やがて、子供たちは泣き叫ぶなどして動揺し始めた。恐怖のあまり吐く子もいた。とにかく校庭を出発し、北上川に架かる新北上大橋脇の堤防道路の方向に一列になって避難し始めたのは、三時二十五分ごろになってからだ。校庭からは約七メートルの高さがある。
 一部の親たちが続々と車で駆けつけて我が子を連れ出し、児童の数は約八〇人に減っていた。市の広報車が、津波の接近を伝えながら慌ただしく周辺を走る。と、次の瞬間、校舎西側にある北上川と東側にある海岸の二方向から、一〇メートルを超す山のような津波が、轟音を響かせながら迫ってきた。そして運命の三時三十七分、堤防道路付近にいた子供たちを一気に飲み込んだのだ。教員も九人が死亡し、一人の行方がいまも分からない。校長は不在で無事だった。
「一一日後、校舎から一キロほどの場所で遺体が見つかりました。水を飲んだ様子もなく、穏やかな表情でした。津波に遭う前日には『一二年間育ててくれてありがとう。迷惑かけてきたけど心の中では感謝していました』なんて、普段は口にしたこともない言葉を書いた手紙も寄こしてくれたのに……」

卒業を目前にした六年生の三男佐藤雄樹君(十二歳)を亡くした父親の和隆さん(四十四歳)は、沈痛な表情で言葉を絞り出す。微笑みを浮かべる遺影の傍らには、得意だった野球のバットとグローブが丁寧に添えられていた。
「地震発生のとき、仕事で市内の離れた所にいたんです。普通の揺れじゃなくて、地球が壊れるんじゃないかと思いました。すぐに自宅や学校がある地区に帰ろうとしましたが、一〇分で戻れるところが渋滞で一時間以上かかってしまった。時計を見て、『雄樹はまだ学校にいるな』と思いました。絶対に安全だと信じていたんです。あの状態では、裏山に逃げるしかないのに、どうして……」
 あのとき、車のラジオからは「津波の高さは六、七メートル」と流れていた。絶対に津波は来ると思った。でも、あそこには裏山がある。子供が飛んで行った野球のボールを取りに行くことがよくある場所だ。下草もなく、登りやすい場所だった。「あそこに逃げれば大丈夫だ」と言い聞かせていたが、実際はまったく別の方向に向かってしまったのだ。
 紫桃さんと同様、最愛の我が子を助けられなかった自責の念を抱きつつ、学校側の対応への不信感を隠さなかった。
「なぜ大川小でだけ、こんなに多くの犠牲が出たのか。私は学校側の津波への備え、それに津波襲来時の対応が間違っていたと思います。津波が来るまでの五一分もの間、何をしていたのか……そう思わざるを得ないのです」
 けれども、もっと理解できないのは「事後対応」だと訴えた。
「校長は遺族をすぐに訪問せず、捜索にも協力的ではありませんでした。私たち遺族が『いったい何が起きたんだ』と途方に暮れているときに、学校側はいつまでも説明しようとしなかった。災害から一ヵ月経ってようやく説明会を開いたんです。誠意が感じられなかった」
 この四月九日の保護者説明会でさえ、重大な結果への謝罪はなく、避難の経緯や防災マニュアルの詳細についての説明にも、多くの遺族は納得しなかった。父母たちはさらなる説明を求めて「要望書」を市教委に提出し、六月四日午後七時に再び説明会が開かれたのだった。
 二度目の説明会の会場は、北上川下流の北岸に広がる山側に位置する別の小学校だった。保護者約七〇人のほか、亀山紘市長、市教委幹部、校長が出席。学校側は、裏山に逃れて助かった男性教諭や無事だった児童への聞き取り調査の結果を基に、地震から津波到達までの経緯を説明した。
 次に、学校に防災マニュアル自体は存在したものの、唯一、津波を避けられたと思われる裏山を想定した二次避難マニュアルを準備していなかったことを認め、それによって時間のロスが生まれたとの認識を示した。海岸から四キロ離れた大川小には、もともと大津波が来ると想定していなかったとも明かした。
 実は、市教委は昨年二月六日付の文書で市立学校に対し、津波に対する二次避難場所を設定するよう指導していた。海岸沿いを中心にこうした対応をとっている学校もあり、多数の子供たちが助かっている。だが、大川小が作成したマニュアルには、津波襲来の危険性を軽視していたのか、「高台」というあいまいな記述しかなかった。市教委もそれについて点検や指導はしていなかったのだ。
 説明会では、最後まで学校側からは、明確に責任を認めて謝罪する言葉は聞かれなかった。保護者からは、「先生への感謝の心もある。子供は学校が大好きだった。じゃあどうしてこうなったのか。あまりに鈍感じゃないのか。学校にいれば守られて、安心だったはずなのではないか」との問いが投げかけられた。苛立ちのあまり、「逃げようとばかりしている」「ごまかすな」などの怒号も飛んだ。
「被災時にすぐ現場に行かなかったこと、捜索に当初から参加しなかったことについて、お詫びしたい。遺族を訪問しきれていないことにもお詫びします。これから回ります。行方不明の児童六人、先生一人を継続して捜索もします」
 保護者からの矢のような視線を浴びながら、柏葉照幸校長はか細い声で弁明した。
「危機管理マニュアルでは、外にいるときは体を低くするように、校内では机の下に入るように定めていました。校庭に避難して終了としていましたが、堤防を越える津波の場合は高台に逃げるほかありません……。次回の防災訓練では、災害時に保護者に子供を引き渡す『引き渡し訓練』もやる予定でした……」
 その後も質疑応答が続いたが、学校側があらかじめ終了時間と決めていた「午後八時」を回ると、司会進行役の大川小の教頭が「もうこの辺で……」と繰り返し、八時半過ぎには打ち切ってしまった。保護者からの「次の(説明会の)予定はあるのか」との問いには、あっさり「ない」と答えた。
 説明会が終わった後、会場周辺はもう暗闇に包まれていた。玄関付近で出席者を探し出し、保護者男性に感想を尋ねると「ぜんぜん疑問が解消されねえっちゃ。典型的な事なかれ主義だわ」と吐き捨てるように言った。

 夫とともに地元の中学校教員でもある佐藤かつらさん(四十五歳)は、六年生の次女みずほさん(十二歳)を亡くした。やはり学校側の対応にはどうしても納得がいかない。
「どうしたら責任を認めない方向に持っていけるか。そればかり考えている気がします。県や市のレベルで、公立学校の危機管理に関する教員研修は何度も行われてきたはずなのに、まったく生かされなかったことになります。責任は重いと思います」
 自宅は大川小よりも三キロほど内陸側だったので無傷だったが、それでも北上川には近かったため、川を逆流する津波が直前まで到達した。好きだったピアノを一生懸命練習する頑張り屋だったというみずほさんの思い出を語りながら、かつらさんは静かに言った。
「みずほの死を無駄にしないためにも、私たち大人がしっかりと検証して、語り継いでいかなければなりません」
保護者間に「悲しい温度差」
 一方で、助かった命もある。大川小に当時二年生の男児を通わせていた母親(三十一歳)は、たまたま車で大川小に迎えに来ていたため、間一髪で連れて帰ることができた。当時の様子を知る貴重な証言者だ。
「二時四十分ごろに学校に着いたのですが、間もなく巨大な揺れが襲ってきました。二時五十分ごろ、先生と児童が次々と校庭に出てきて、間もなく点呼を取り始めました。このとき、先生数人が円形に向き合って話し合っていました。『六メートルだってよ』とか『一〇メートルか?』などと男の先生の声が聞こえてきました。『帰っていいですか』と先生たちに尋ねて、子供を親に引き渡す際の『受け渡し書』に署名をした後、一年生の友達も乗せてあげて三人で急いで逃げました」
 途中、道路が陥没している場所があって「戻ろうか」とも思った。でも、偶然にも迂回できる道があったため、自宅に辿り着けたという。
 釜谷地区の父親(三十八歳)も、当時五年生の男児を助けることができた。
「事務所で取引先の会長と話をしていたら、突然ぐらぐらっと激しい揺れが来ました。急いで従業員を帰宅させて、近所の家の窓を開けて『逃げろ』と言って回りました。三時十五分ごろに車で事務所を出て、北上川を見ると、川の水がどんどん引いていくのが見えました。三時二十五分ごろ、学校にいた子供を乗せて出発すると、新北上大橋に津波がぶつかり、乗り越えようとしていました」
 この後、波と競争しながら山の上まで車を走らせ、すんでのところで逃れることができたという。だが、この父親は、大川小のケースは「あくまでも天災」だと強調した。
「釜谷は三〇〇年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、五〇年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっているんです。あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います。私も息子も、たまたま助かっただけです。先生も死なせたくはなかったはずです。昔からの顔見知りばかりの集落の保護者の間に、悲しい温度差ができてしまったのは本当に残念です」
 私はこの後、釜谷地区から一〇キロほど西に進んだ地区にある避難所を訪れてみた。ここでは約五五〇人が避難生活を送っていた。浮津美和恵さん(四十四歳)は、当時六年生の女児を車で連れて帰った一部始終を語った。
「地震の揺れが尋常ではなかったので、すぐに自宅を出発し、道路の亀裂を避けながら走って、三時少し前になんとか学校に辿り着きました。学校はまだ落ち着いた様子でしたが、校庭にいた娘は恐怖で泣いていました」
 道すがら聴いていた車のラジオでは、大津波の襲来を伝えていた。近くにいた担任教員に「六メートルの津波が来ます。逃げてください」と裏山を指差して促した。だが、担任は「落ち着いてください」と言うばかりで、行動を起こそうとはしなかった。
 結局、担任に「周りの子が動揺するので、先に連れて帰ってください」と言われたので、三時五分ごろ、来た道とは別のルートを通って一〇分ほどかけて北上川沿いの自宅に帰った。すると、五、六メートルの高さの土手を越えて津波が押し寄せてきた。慌てて車を再び走らせ、自宅にいたほかの家族と一緒にさらに山の方向に逃げた。家はほぼ全壊し、避難所生活を余儀なくされることになった。
「うちの子は助かりましたが、亡くなった子供とご遺族の気持ちを思うと……親子ともに、みんな仲良くしていましたから……。あのとき、もっと強く山に逃げるように言っていれば、との思いもあります。でも、もう結果論でしかありません」
 浮津さんは、言葉少なに胸の内を明かす。ただ、遺族への学校の事後対応については、疑問も禁じえないという。
「最初からきちんとした謝罪が欲しかったのだと察します。みな安全だと思って、信頼して我が子を預けているわけですから……。学校側の保身や打算が見えていたのではないでしょうか。責任の問題はともかく、教訓として分かち合うべきです。人間としての『気持ち』を示してほしいのだと思います」

 津波が来る直前、市河北総合支所地域振興課の及川利信課長補佐は、他の五人の支所職員とともに大川小付近にいた。拡声器で避難を呼びかけつつ、海に向かう車一台一台に引き返すよう説得していた。
「地区の人たちは、家の前で立ち話をするなどしてなかなか動こうとしませんでした。『ここまで津波は来ない』と考えていたのだと思います。実際、市の防災計画やハザードマップでも、釜谷での大津波は想定されていませんでした」
 しかし、間もなく大津波は襲ってきた。及川課長補佐は大川小のあの裏山にやっとの思いでよじ登り、命拾いをした。六人の職員のうち、一人は津波に流され死亡している。その夜、みぞれが降る寒空の中、一六人が焚き火をして過ごした。大川小の児童三人もいて、ずっと押し黙り、憔悴しきった表情だった。助かった大川小の教員も見かけており、小さくなって疲れ切った様子だったという。
「あれだけの津波は想定していなかったにしても、海沿いに位置し、裏山の斜面も急な、もっと条件の悪い近隣の相川小、雄勝小の二校では、三階まで波を被りながら、学校にいた児童全員が山に登って無事でした。あの裏山は、子供が登れない斜面ではありません。倒木も見当たりませんでした」
過去には賠償認めた判例も
 私はもう一度、大川小を訪れた。裏山は一部を除いてさほどの傾斜はなく、多少の雪があったとしても、子供でも十分に登れるように思えた。釜谷地区全体の死者・行方不明者数は、全住民の四割の約二〇〇人に及ぶ。津波を見ようと堤防に行って流されたり、在宅のまま犠牲になった人も多かったという。あのとき、やはり大人たちに油断と判断の誤りがあったのだろうか。
 大川小は現在、市内の別の小学校に間借りして授業を続けている。校長に何度も取材を申し込んだが、その間借り先の小学校教頭が代弁し、「取材要請については校長に伝えたが、コメントは差し控えたいと言っている」と断ってきた。
 石巻市教委は、大川小のケースについて次のように説明した。
「学校に避難しようとする地域住民への対応、保護者への引き渡しに手間取り、先生たちがすぐに避難行動に移れなかった面がある。海沿いの多くの学校で決まっていた二次避難場所が、大川小になかったのは問題だった。ただ、校庭への一時避難を行うなどの対応はとっているので、全面的に非があるとは認められない。ただ、遺族の心情は理解できる。一つ一つ誠意をもって対応するしかない」
 小学校教員の人事権を持つ県教委にも取材したが、「県としても関心が高い事案だが、まずは市教委の判断、報告を待つ。こちらとして校長の処分などは考えていない」との返答だった。
 後日、私は行政訴訟に詳しい知人の弁護士に、大川小のケースについて尋ねてみた。すると、業務上過失致死傷罪などの刑事事件の立件については「刑法ではあくまでも個人の注意義務違反などを対象としている」として可能性は低いとしたものの、民事訴訟は可能だとの見方を示した。
「一五年前、北海道で起きた豊浜トンネル岩盤崩落事故では、犠牲者の遺族に対し、行政の説明不足や不適切な事後対応についての慰謝料を認めて、国に賠償命令を下す判決が後に出ている。これは従来はなかったケースだった。ほかの事故や災害についても、同様に賠償が認められた事例がある」
 百か日法要の六月十八日、大川小の合同供養式が市内でしめやかに営まれた。三五〇人が参列し、保護者らは遺族会結成を決めた。
 供養式の後、ある遺族は「死亡・行方不明となった児童の保護者のうち、七割ぐらいはまだ納得していないと思う」と打ち明けた。「ここは六年前に石巻市と合併した旧河北町の辺境の小規模地区。『学校側を批判するのは、金が欲しいからだ』と集落内で邪推されるのが一番怖い。だから口をつぐんでしまう遺族もいる」と訴える保護者もいた。
「百か日を機に前へ歩み出したい」「子供はもう帰ってこないし、誰も責めたくはない」などとして、責任追及を避けようとの声があるのも事実だ。だが、不満を募らせる遺族らは、徹底検証のための第三者機関の設置などを求め、県知事、国への要望のほか、市への提訴も検討し始めている。
 微妙な心情のずれが見え隠れする。大川小は前身の釜谷小学校が一八七三年に創立されてから、一四〇年近い歴史を持つ。地域のシンボルだった学校を取り巻くコミュニティーの絆に亀裂が入ることは、最も懸念されることだろう。
 津波は不可抗力だったとの見方がある。現場にいた教員は全力を尽くそうとしたと信じたいし、そのほとんどが犠牲になった事実も重い。けれども、学校で起きてしまった結果への責任はあまりに重大だ。マニュアルの不備や、「五一分」の間に取った行動が最善でなかったことも明らかだろう。遺族たちは、なお悔やんでも悔やみきれない心境に沈んでおり、心のケアも求められている。未来を断たれた子供たちのためにも、そして二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、学校側は「何が起こったのか」をしっかりと刻印し、目に見える形での「けじめ」をつけるべきではないだろうか。


津波にのみ込まれた大川小学校

左前方あたりが大川小学校

憲法96条改定 “改憲のための改憲”許さず

2013-02-12 12:03:42 | 日記
しんぶん赤旗              2013年2月11日(月)
主張
憲法96条改定 “改憲のための改憲”許さず
 安倍晋三首相が国会質問で憲法問題について問われ、衆参両院の3分の2の賛成で改憲案を発議するとしている憲法96条をまず改定すると繰り返しています。憲法を改定して自衛隊を「国防軍」にするなど年来の改憲の主張とはいったん切り離し、まず発議要件の緩和からということでしょうが、もともと改憲しないなら手続きを緩和する必要もありません。96条改定を突破口に改憲を進める狙いは見え透いています。改憲を望んでいない国民が、改憲手続きの緩和も求めないのは明らかです。発議要件を緩和する“改憲のための改憲”を許すわけにはいきません。
国民は改憲望んでいない
 憲法96条は憲法改正の手続きを定めた条項で、「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」としています。国会が発議した改憲案は国民の投票にかけられますが、安倍政権は6年前の第1次政権のさい、国民投票の手続きを定めた改憲手続き法の制定を強行しました。発議要件の緩和は、それに続くものです。
 憲法改定で自民党と歩調を合わせる「維新の会」などは国会質問で、改定の手続きを緩和するのは憲法論議を活発にするためで改憲のためではないなどと96条改定をけしかけますが、それはごまかしです。憲法が施行されてから66年近く国民は、3分の2の国会議員の賛成によるとした発議要件の緩和がなくても何の不都合もありませんでした。国民が改憲を望まず、憲法改定が現実の政治日程に上らなかったからです。
 安倍首相は、国民の7割が改憲に賛成しても国会議員の3分の1が反対するだけで改憲案が発議できないのは不合理だといいますが、そんな状況はまったくありません。国民の多数は改憲を支持していません。にもかかわらず発議要件を緩和するのは、まずやりやすそうなところから手をつけ改憲への道を広げる魂胆です。
 安倍政権は第1次政権のとき改憲手続き法の制定から憲法9条を含む改憲に突き進もうとしたのに、それに反対する「九条の会」などが全国に広がり、断念しなければならなかったという経験をしています。それならまず96条の改定を「入り口」にと考えたのでしょうが、国民はそれほど甘くありません。全国革新懇が「憲法を守る」国民運動の発展を呼びかけたように、安倍政権発足後、改憲に反対する世論と運動が急速に広がっています。国会の憲法審査会も難航しています。96条改定はそうやすやすと進むはずがありません。
96条改定にも3分の2が
 改憲の本音を隠して、手続きの緩和だからと96条を改定し改憲案の発議要件を緩和すれば、安倍政権がねらう全面的な憲法改定も、国会議員の過半数の賛成で発議されかねません。しかし、憲法96条を改定するためにも、衆参両院の3分の2以上の賛成で改憲を発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければなりません。国民が反対を強めれば、96条の改定自体阻止することは十分可能です。
 国民が反対すれば改憲を阻止できることは第1次安倍政権で証明ずみです。安倍政権が持ち出している96条改定の狙いとともに、自民党の改憲案の危険な中身を国民に広げていくことが重要です。

原発なくても大丈夫 反原連がリーフレット配布

2013-02-11 17:27:15 | 日記
しんぶん赤旗                        2013年2月11日(月)
原発なくても大丈夫 反原連がリーフレット配布
東京2カ所

(写真)リーフレットを配る街頭宣伝参加者=10日、東京・新宿駅前

 首都圏反原発連合(反原連)は10日、東京・原宿と新宿の2カ所で街頭宣伝を行い、原発ゼロを訴えるリーフレット「NO NUKES MAGAZINE(ノーニュークスマガジン)」を配布しました。若者たちの受け取りもよく、その場で読み始める人が目立ちました。
 リーフレットは、「原発がなくなると停電するって本当?」など六つの疑問に答えるもの。反原連のミサオ・レッドウルフさんは、「私たちが東京で使っている電力は原発でつくられたものではなく、日本で稼働している原発もたったの2基だけです。原発に無関心でなく、一緒に考えていきましょう」と呼びかけました。
 参加者も「原発は本当に必要なのか、わかりやすく書かれています」「原発ゼロは可能です。ぜひ読んで参考にしてください」と声をかけながら、通行人や信号を待つ人にリーフを配りました。
 友人を待つあいだリーフレットを読んだ東京都中野区の男子高校生(17)は「(原発は)もっとたくさん動いてて、日本の電力の半分くらいをつくっていると思ってました。2基なら、省エネすれば止められるんじゃないですか」と話しました。
 リーフレットを受け取った東京都杉並区の女性(22)は「分かりやすく書かれてますね。原発のことは夜のニュースで流れることくらいしか知らないので、帰ったらよく読んでみます」と語りました。
 反原連がリーフレットの発行を記者会見で発表した5日以降、この日までに4万部近くの注文が寄せられています。リーフレットは反原連のホームページから注文できます。

(写真)反原連が作製したリーフレット

尖閣問題を解決する「三原則」 冷静で理性的な話し合いこそ唯一の道

2013-02-10 12:03:01 | 日記
しんぶん赤旗            2013年2月10日(日)
尖閣問題を解決する「三原則」 冷静で理性的な話し合いこそ唯一の道
志位委員長提起
 日本共産党の志位和夫委員長は9日の第6回中央委員会総会への報告のなかで、日本と中国両国間の対立と緊張が続く尖閣諸島問題について、「絶対に避けなければならないのは、重大な不測の事態、軍事的衝突です。冷静で理性的な話し合いこそが、問題解決の唯一の道です」と述べ、問題解決のための三つの原則を提起しました。
 このなかで志位氏は、外交交渉による問題解決を求めた志位「提言」をふまえたうえで、日本側に尖閣諸島への公務員の常駐の検討、問題を利用した軍事力や軍事同盟の強化の動きが起こっていることを「冷静な外交的解決に逆行する動きであり、戒める必要があります」と指摘しました。
 中国側による政府の監視船による継続的な日本領海内の航行や、政府の航空機による領空侵犯について、「中国側に、どんな言い分があったとしても、ある国が実効支配している地域に対して、力によってその変更を迫るのは、今日の世界で紛争解決の手段として許されるものではありません」と指摘し、「きわめて遺憾です」と表明しました。
 そのうえで志位氏は、日中双方が「三つの原則」にのっとった問題解決―(1)領土に関わる紛争問題の存在を認め、冷静な外交交渉による解決をはかる(2)現状を変更する物理的対応、軍事的対応を厳しく自制する(3)この問題を両国の経済関係、人的・文化的交流に影響を与えないよう努力をはかる―ことを提起しました。
 「こうした諸原則を一体に踏まえた対話による解決が、問題解決の唯一の道であることを確信します。問題解決のために、党としても可能なあらゆる努力をはらう意思を表明するものです」と語りました。

賃上げへ政治が役割果たせ 原発「収束宣言」撤回せよ 笠井議員の基本的質疑

2013-02-09 23:34:32 | 日記
しんぶん赤旗               2013年2月9日(土)
賃上げへ政治が役割果たせ 笠井議員の基本的質疑
衆院予算委 論戦ハイライト
 8日の衆院予算委員会で、焦点となっている経済対策と原発問題を取り上げた日本共産党の笠井亮議員。すでに破たんした政策にしがみつく安倍内閣と、国民の立場に立って打開策を示す日本共産党の対比が鮮明になりました。
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原発事故究明なく 再稼働・新設は「安全神話」
原発「収束宣言」撤回せよ

(写真)衆院予算委員会で質問する笠井亮議員(左)=8日
 福島原発事故からまもなく2年なのに「緊急事態宣言」も解除されず、16万人もの避難者が故郷に帰れていません。野田前政権は2011年12月16日、「収束宣言」を出してしまいました。
 笠井議員は、「収束していると簡単にはいえない」との安倍首相答弁あげ、宣言の撤回を迫りました。
 笠井 「収束宣言」は政府としては撤回するということか。
 茂木敏充経産相 前政権が冷温停止状態の達成を確認した。
 笠井 撤回するのかどうかについては全然話がない。なぜ、撤回するとはっきりいえないのか。
 笠井氏は、福島県議会が2度にわたり「収束宣言の撤回」などを求める意見書を全会一致で可決していると指摘。「収束宣言」を受け東電が賠償を打ち切る動きも進んでいると追及しました。
 笠井 総理が“福島再生に責任を持つ”というのなら、まず収束宣言を撤回するとはっきりいい、そこからこれからのことをやるべきではないか。
 安倍晋三首相 収束しているということは簡単に申し上げられない状態であるというふうに認識している。
「原発ゼロ」の決断今こそ
首相「安全神話反省しなければ」
 笠井氏は、安倍首相が「福島第1は津波を受けて電源を確保できなかった。新原発は全然違う。国民的理解を得ながら新規につくっていく」(昨年12月30日のテレビ番組)と、原発新設を明言していることをあげ「事故究明が終わったことにして再稼働、新増設するのは原発推進姿勢そのものだ」とただしました。
 笠井 「想定外の津波のせい」と主張してきた電力業界の言い分と同じだ。「安全神話」で原発を推進してきた歴代自民党政治の反省がない。
 首相 わが党が安全神話の中で原子力政策を進めてきたことは反省しなければならない。同時に(新設に)挑戦し続けていく必要もある。
 新設に固執する首相の姿勢について、笠井氏は「引き続き究明に取り組むべき」とする政府事故調査報告や、「事故は終わっていない」とする国会事故調査報告の立場とも違うと指摘。「ゼロベースで見直すべきは、歴代自民党政権の『安全神話』に漬かった原発推進政策だ。二度と事故を起こさないというなら、原発ゼロこそ政治決断すべきだ」と強調しました。
企業増益でも所得は減に
 安倍政権は、お金を大量に供給する“金融緩和”で物価が2%上がれば企業の収益が上がり、雇用と賃金上昇につながる―と主張しています。
 笠井氏は、大企業の内部留保・経常利益などと勤労者の平均給与年額を示したパネルを掲げました(グラフ)。平均給与年額が一番高かった1997年と2011年を比べると、企業の内部留保は120兆円以上増えていますが、平均給与は66万円も減っています。
 笠井 大企業は大幅に利益を増やしたのに働く人の所得を減らし、内部留保や株主配当に持っていった。そうではないのか。
 麻生太郎財務相 企業は巨大な内部留保を賃金や配当、設備投資に回さず、じっとため込んできた。その「企業マインド(心情)」が問題だ。
 安倍首相 来週、企業経営者を集め、内部留保を賃金につかうことがひいては企業の収益につながると協力を要請するつもりだ。
 両氏とも、企業が内部留保を労働者の賃金引き上げにつかっていないことを認め、それを賃金に回すことの重要性を認めました。
 笠井氏は、働く人の所得減がデフレの最大要因であり、企業の賃下げとリストラ推進がその背景にあることを指摘。「企業の収益が上がっても、働く人の所得につながらない。ここの問題にずばりと焦点をあててやらないといけない」と強調しました。
財界「賃下げ宣言」どうする


 笠井氏は、“業績がよくなれば、企業は賃金を上げる”と楽観視する安倍首相の姿勢をただしました。
 笠井氏は、経団連が「2013年版 経営労働政策委員会報告」で、賃上げを拒むだけではなく「定期昇給の凍結・見直し」まで主張していることを紹介。「これでは新たな『賃下げ宣言』ではないか」と、財界の姿勢をただすよう迫りました。
 安倍首相は、一部企業が賃上げを発表していることをあげて、安倍政権の金融緩和政策の「効果がでている」と自慢。経団連の主張に対し「コメントする立場にないが、賃上げの対応をしていただければありがたい」と企業任せの姿勢を示しました。
 笠井氏は、「こんな身勝手な主張を許し、日本中の大企業がいっせいに賃下げしたら、国民の所得がもっと減り、消費と需要を減らすデフレの悪循環になる」と批判。厚労省の「労働経済白書」や経済財政諮問会議の議員を務めた吉川洋東大教授も「賃上げ」「所得増」なしにデフレは打開できないと言っていることを紹介し、大企業が賃上げをするよう政府として役割をはたせと迫るよう求めました。
内部留保1%で賃上げ可能
麻生財務相「条件が企業にある」
 “収益があがってから”ではなく、内部留保を活用すれば、タイムラグなしに今すぐ賃上げできる―。笠井氏は、麻生財務相が首相時代(2009年1月9日)の国会論戦で、内部留保を活用した雇用確保の必要性を認めていたことを取り上げ迫りました。
 笠井 いまこそ企業内部に「余り」「眠っている」資金を賃上げ、雇用確保などで日本経済に還元することが必要だ。
 財務相 (内部留保が)賃金にまわることはもちろん、設備投資や配当にもまわることが必要だ。
 笠井氏は、大企業の内部留保がこの14年間で120兆円も積みあがっている実態を紹介。大企業グループ約700社(連結内部留保500億円以上)の試算では、「内部留保の1%程度を使えば、ほとんどの企業で賃上げが可能。月額1万円の賃上げができる企業は約8割、従業員数は約7割に及ぶ」と提起しました。
 笠井 内部留保のほんの一部の活用で賃上げが可能になる。
 財務相 それが間違いない数字だという前提でお答えすれば、今、いわれたようなことができる条件が企業にある。
 笠井氏の追及にたいし、麻生氏も大企業の内部留保の活用で、労働者の賃上げが可能になることを認めました。
労働者にも企業にもいい
 笠井氏は、日本共産党の立場について「何も大企業の経営の中に手を突っ込んで、カネを取り出し、国民のために使えと強制するのではない」と指摘。「労働者や下請けの給料が上がるために使うよう、政治がルールをつくろうということだ」と強調し、そのために政治が役割を果たすことだと力説。
 「人間らしい暮らしを保障する日本共産党の提案」として、(1)労働者派遣法改正で正規雇用を原則にする(2)最低賃金を時給1000円以上に引き上げる(3)公正取引、適正な下請け・納入単価を実現する―の三つを提起しました。「こうしたルールを政治が決めれば、企業が内部留保を活用して自らの労働者の賃金や下請けにたいして払うことができる。ましてこんなときに消費税増税などとんでもない」。笠井氏は安倍首相に強く求めました。
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労働経済白書などから
 「労働者の所得の増加が消費の増加を通じて日本経済の活性化につながるという日本経済のマクロの好循環を取り戻すことが必要」(2012年版 労働経済白書)
 〈なぜ日本だけがデフレになったのか〉
 経済財政諮問会議元民間議員・吉川洋東大教授 「大企業における雇用制度が大きく変わり、名目賃金が下がり始めたことである」(『デフレーション』、日本経済新聞出版社)

「慰安婦」の悲劇忘れない 米国での取りくみ 3

2013-02-09 14:07:18 | 日記
しんぶん赤旗           2013年2月9日(土)
「慰安婦」の悲劇忘れない 米国での取りくみ 3
撤去求める自民議員 新たな記念碑設置も
 米国で最初の「慰安婦」記念碑を設置した東部ニュージャージー州パリセーズパークを、2012年5月1日、在ニューヨーク日本領事館の廣木重之総領事が訪ね、ジェームズ・ロトゥンド市長らに会いました。
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(写真)四つの記念碑が建てられている米ニュージャージー州バーゲン郡ハッケンサックの裁判所前=1月30日

“見返り”を拒否
 現地の韓国系米国人関係者やその時の地元紙の報道によると、席上、廣木総領事は町に桜の木や図書館の蔵書の寄贈などを持ちかけました。ところが、それは「慰安婦」記念碑の「額」を取り外すことのいわば“見返り”。市長は即座に拒否しました。
 その直後の6日には、自民党の古屋圭司衆院議員、山谷えり子参院議員ら「自民党領土に関する特命委員会」の4人の議員が市長や同市の議員らに会い、記念碑の撤去を要求しました。
 ロトゥンド市長がその後、会見で語ったところによると、3時間に及ぶ懇談の中で古屋議員らは、「慰安婦」の数として記念碑に書かれた「20万人以上」という数字が間違っていると主張。「慰安婦」は自ら進んで「兵士に奉仕した」などと述べたといいます。
 「日本政府の記念碑への対応は残念です」と「韓国系米国人市民エンパワーメント」(KACE)のチェジン・パクさんは振り返って言います。
 バーゲン郡の裁判所前には現在、(1)米国の「奴隷制」(2)1915~23年のオスマン・トルコによる「アルメニア人虐殺」(3)1845~49年にアイルランドで起きた「ジャガイモ飢饉(ききん)」(4)ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)―の犠牲者にささげた記念碑が建てられています。
 しかしいずれも“加害者”とされる国の政府から撤去を求められたことはありません。「アルメニア人虐殺」にいたっては、トルコ政府が公式には認めていない事件です。
 そしてニューヨーク州に記念碑が設置されるのは、この時の日本政府・自民党議員の撤去要求がきっかけでした。「韓国系米国人公共問題委員会」(KAPAC)会長のデービッド・チョルウ・リーさんが言います。
「このままでは」
 「このままではいけないと思い、二つ目の記念碑をつくろうと呼び掛けたんです。2週間で実現しましたよ」
 そして今、バーゲン郡で新たな「慰安婦」記念碑設置が進んでいます。(つづく) (ワシントン=山崎伸治 写真も)

仏が原発事故初試算 福島と同規模 避難民10万人 被害額55兆円

2013-02-09 13:36:34 | 日記
しんぶん赤旗          2013年2月9日(土)
仏が原発事故初試算 福島と同規模  避難民10万人 被害額55兆円
 フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は6日、同国で福島原発事故と同規模の事故が起きた場合、避難民が10万人に達し、被害額が4300億ユーロ(約55兆円、1ユーロ=約127円)で国内総生産(GDP)の20%に相当するとの試算結果を発表しました。同国の公的機関が原発事故を想定した試算を公表するのは初めて。IRSNのジャック・レピュサール所長は、「重大事故が起こった場合は深刻な結果になるが、これに対応しなければならない」と会見で述べました。 (島崎桂)
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 国際原子力機関(IAEA)は原子力事故の評価基準として全7段階の国際原子力評価尺度(INES)を定めています。IRSNは、福島事故やチェルノブイリ原発事故(1986年)と同じ「レベル7」の事故が発生した場合の影響は「破局的」であり、「国家に深く永続的な爪あとを残す」と指摘。避難民は10万人に達し、輸出や観光客は減少、汚染は長期にわたり、隣国にも悪影響を及ぼすとしています。
 また、米スリーマイル島原発事故(1979年)より1ランク高い「レベル6」の事故が発生した場合、被害額は1200億ユーロにのぼると試算。放射性物質による汚染地域からの避難民は1万人に達するとしたものの、「対応は可能」だとしています。
 一方、レピュサール所長は、フランスで大規模な原子力事故が起きる可能性は「極端に低い」としたうえで「これらの試算は、政策決定者が予防策にかかるコストを将来的な展望に組み入れる手助けになる」と述べました。
 同国でこれまでに起きた最大の原子力事故は、1980年に発生したサン・ローラン・デ・ゾー原発での炉心溶融事故で、INESでは「レベル4」に分類されました。
 現在58基の原子炉を持ち、電力生産量の約75%を原発に依存する同国は、隣国ドイツなどとは異なり「脱原発」には否定的です。
 オランド大統領は福島事故を受け、原発依存度を50%まで引き下げると公約。国内最古のフッセンハイム原発を2016年までに閉鎖すると表明しています。

年金・医療制度改善を。 老地連など政府交渉

2013-02-08 14:24:23 | 日記
しんぶん赤旗    2013年2月8日(金)
年金・医療制度改善を
来年度予算案 老地連など政府交渉

(写真)厚労省(右)に来年度の高齢者予算について交渉する全国老地連と都老協の人たち

 全国老後保障地域団体連絡会(全国老地連)と東京都老後保障推進協会(都老協)は7日、厚生労働省と来年度の予算について交渉を行いました。
 全国老地連と都老協は昨年12月に、生活保護制度の改悪の中止と老齢加算の復活、後期高齢者医療制度の即時廃止、「最低保障年金制度」の創設などを求めた17項目の予算要求書を提出。今回の交渉で厚労省の回答がありました。
 冒頭、都老協の城田尚彦会長(77)は、政府が生活保護基準の引き下げを決めたことについて、「諸制度に大きな影響が出る。『デフレ脱却』で2%の物価上昇を打ち出しながら、他方で保護費を引き下げるのは矛盾している」とのべました。
 厚労省の担当者は、生活保護の老齢加算の「復活は、させると判断する状況ではない」と回答しました。
 民主党政権の公約の一つにあった「後期高齢者医療制度の廃止」と、「最低保障年金制度の創設」について厚労省側は、「社会保障制度改革国民会議の議論を待っている」と、棚上げとなっている実態を語りました。都老協の坂本光治事務局長(83)は「たとえ政権が変わっても、当初の方針にのっとって廃止するよう努力してもらいたい」とのべました。

悪化する労働者の状態 賃金、雇用改善優先の政治へ

2013-02-07 16:27:15 | 日記
しんぶん赤旗             2013年2月7日(木)
主張
悪化する労働者の状態 賃金、雇用改善優先の政治へ
 安倍晋三政権の経済対策「アベノミクス」にたいする“期待感”で株高がすすんでも、これは一時的であって実体経済の改善に結びつかないという批判の声が出ています。その折も折、労働者の賃金と雇用が歴史的な水準にまで低下していることがあきらかになりました。賃金の上昇、雇用の拡大で国民の所得を増やし、経済を根本から転換する対策がいよいよ急務になっています。
成り立たぬ企業利益優先
 最近発表されたデータによると、2012年の1人当たりの賃金が月平均31万4236円となり、比較可能な1990年以降で最低になりました(厚生労働省「毎月勤労統計調査」)。また同年12月の製造業の就業者が前年同月比で35万人も減り、61年6月以来、51年ぶりに1000万人を下回りました(総務省「労働力調査」)。
 安倍首相は国会答弁で「成長戦略により企業の収益を向上させ、雇用の拡大や賃金の上昇につなげていきたい」とくりかえしました。こうした企業の収益拡大をめざした金融緩和など「アベノミクス」で、賃金や雇用を増やす効果が期待できないのは明白です。
 労働者の賃金が90年の時点まで落ち込んだこの間、企業の収益は上がらなかったかといえば、逆です。とくに2002年から第1次安倍政権をはさんで戦後最長といわれる景気拡大期にも、大企業は賃金コストを削りに削り、高収益をあげ、約100兆円にのぼる巨額の内部留保をため込みました。内部留保は不況下でも増え続け、いまや260兆円にふくらんだのに、賃金は下がり続けました。
 日本の“お家芸”といわれた製造業での就業者の減少は深刻です。大企業が、グローバル競争に勝ち抜くとして、人件費の安い海外への進出をはかり、国内雇用が置き去りにされている危機的な状況を示しています。昨年来、電機大手が、国内の工場閉鎖、縮小をすすめ、13万人もの人員削減リストラが1000万人割れの直接の原因になったことはあきらかです。
 電機大手がリストラで黒字に転換し、円安、株価上昇で大企業、資産家が活気づいている一方で、労働者の記録的な状態悪化がすすむ現状が示しているのは、「アベノミクス」が大企業応援のための成長戦略でしかないことです。
 いま必要なのは、賃金と雇用を増やす経済政策への転換です。どうすればいいかはすでに明白です。日本共産党の志位和夫委員長は、衆院本会議での代表質問で「三つの決断」を求めました。
 第一は消費税増税の中止です。消費税を10%にすれば労働者世帯の1カ月分の賃金が失われるとし、国民の所得をうばうあらゆる政策の中止を主張しました。
大企業のリストラ中止を
 第二は、大企業、財界の賃下げ、リストラにストップをかけることです。財界へのリストラ中止要請はヨーロッパでは当たり前で、賃上げも内部留保のごく一部を活用すれば可能です。
 第三は、人間らしいくらしを保障するルールづくりです。非正社員の待遇改善と正社員化の流れをつくること、中小企業に手当てをして最低賃金を時給1000円以上に引き上げることなどです。
 政府が、賃金引き上げ目標をもって財界をきびしく指導していくことが求められています。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない