8月21日から25日までフィリピンのセブ島に行ってきました。
旅行の様子はこちら前編 後編
今回は帰宅してからのあれこれ。
セブ島はギターが特産品のようです。
ちゃんと本格的なのも工房で買ったりできますが、これはお土産用のもの。
大きさはいろいろありましたが、これはちょっと大きめで1,800円くらい。
いちおう音も出ます。
また。の唯一のお買い物です。
これはコンチの。
貝でできてます。
かわいい・・・ような?
目がとれてる子もいますが、どうもフィリピンでは完璧は求めないほうがいいようです。
どれもこれも欠けたり取れたり、ちょっとくらいはご愛敬(笑)
他にはドライフルーツなど。
「たら坊、お腹がキュ~ってなってエッてなったんよ・・・」
前回、シンガポールに行った時はたら坊をずむり。実家に預けたのですが、夜泣きをしたりしたたら坊。
今回の旅行中は、ずむり。母が家に来て猫たちの世話をしてくれたのですが。
たら坊は淋しくてかなりの落ち込みぶりだったそうです。
吐いて食欲もなくすほど。
誰にでも平気で甘えてそうと思っていたまめですら、警戒して母にあまりなつかなかったとか。
こんな小さな子たちもパパちゃんやママちゃんを頼ってるんだなぁ・・・。
今回の旅行でのフィリピンの印象。
確かに、想像していた以上に、人が多くて貧しい国なのかもしれないです。
今まで行ったアジアのどこよりもそう思いました。
そして、だからこそなのか、職を得て働いている人たちはすごく一生懸命に職務を果たそうとしていました。
おかげさまで、楽しいいい旅行ができました。
フィリピンについてのエピソードがひとつ。
数年前のこと。
ずむり。の住んでいる地域は大きい工場が多くて外国人のとても多いところです。
日系の人やインドネシア、フィリピン、スリランカからの研修生など。
景気が悪くなって今はずいぶん少なくなってしまったけど、その頃は休日には近所のショッピングセンターは外国の人たちでにぎわっていました。
ある日曜日。
庭仕事をしていたまた。のところに、数人のフィリピン人の女の人が、
「変な男の車につけられてる、助けてほしい」と言ってきたそうです。
暑い日で、もしかしたらタクシー代わりに?とチラッと疑う気も起きたそうですが、車にのせてそれほど遠くない寮まで送ってあげたまた。
いろんなことがあるね、とその時は話して忘れていたら。
それから数週間後。
その時の女の人たちが家に来て、お礼を言って紙包みを置いていきました。
中にはフィリピンのTシャツと手紙が入ってました。
手紙は英語で、研修を終えて週末にフィリピンに帰ること、
「あの時、突然助けを求めたのを信じてくれて本当にうれしかった。この親切は忘れない。ありがとう。」
と、繰り返し感謝の言葉が書かれていました。
旅行の様子はこちら前編 後編
今回は帰宅してからのあれこれ。
セブ島はギターが特産品のようです。
ちゃんと本格的なのも工房で買ったりできますが、これはお土産用のもの。
大きさはいろいろありましたが、これはちょっと大きめで1,800円くらい。
いちおう音も出ます。
また。の唯一のお買い物です。
これはコンチの。
貝でできてます。
かわいい・・・ような?
目がとれてる子もいますが、どうもフィリピンでは完璧は求めないほうがいいようです。
どれもこれも欠けたり取れたり、ちょっとくらいはご愛敬(笑)
他にはドライフルーツなど。
「たら坊、お腹がキュ~ってなってエッてなったんよ・・・」
前回、シンガポールに行った時はたら坊をずむり。実家に預けたのですが、夜泣きをしたりしたたら坊。
今回の旅行中は、ずむり。母が家に来て猫たちの世話をしてくれたのですが。
たら坊は淋しくてかなりの落ち込みぶりだったそうです。
吐いて食欲もなくすほど。
誰にでも平気で甘えてそうと思っていたまめですら、警戒して母にあまりなつかなかったとか。
こんな小さな子たちもパパちゃんやママちゃんを頼ってるんだなぁ・・・。
今回の旅行でのフィリピンの印象。
確かに、想像していた以上に、人が多くて貧しい国なのかもしれないです。
今まで行ったアジアのどこよりもそう思いました。
そして、だからこそなのか、職を得て働いている人たちはすごく一生懸命に職務を果たそうとしていました。
おかげさまで、楽しいいい旅行ができました。
フィリピンについてのエピソードがひとつ。
数年前のこと。
ずむり。の住んでいる地域は大きい工場が多くて外国人のとても多いところです。
日系の人やインドネシア、フィリピン、スリランカからの研修生など。
景気が悪くなって今はずいぶん少なくなってしまったけど、その頃は休日には近所のショッピングセンターは外国の人たちでにぎわっていました。
ある日曜日。
庭仕事をしていたまた。のところに、数人のフィリピン人の女の人が、
「変な男の車につけられてる、助けてほしい」と言ってきたそうです。
暑い日で、もしかしたらタクシー代わりに?とチラッと疑う気も起きたそうですが、車にのせてそれほど遠くない寮まで送ってあげたまた。
いろんなことがあるね、とその時は話して忘れていたら。
それから数週間後。
その時の女の人たちが家に来て、お礼を言って紙包みを置いていきました。
中にはフィリピンのTシャツと手紙が入ってました。
手紙は英語で、研修を終えて週末にフィリピンに帰ること、
「あの時、突然助けを求めたのを信じてくれて本当にうれしかった。この親切は忘れない。ありがとう。」
と、繰り返し感謝の言葉が書かれていました。