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a single man




アカデミー賞発表前、ぎりぎり滑り込みで。




主人公のジョージは、完璧な家に住み、完璧な服装趣味を持ち(死装束の「タイはウインザーノットで」と遺言を書くほどの男だ)、完璧な車に乗る英文学の教授である。
ついでに言えばわたしはコリン・ファースの風貌が例外的に好きなので、完璧な容姿の男性でもある。
また彼の履く靴とワイシャツの造形の美しさには目を見張った。さすがトム・フォードなのである。



印象的なのは、多用される「瞳」の描写、またそれに似た満月の描写だ。
フロイト=ラカン的には、人間は世界と直接関係することはできないと考える。人間は幻想によって生きており、「フェティシズム」が、人間と世界とを繋ぐ媒体となる。われわれが特定のモノに固執するのは、そのようなフックがないと人間は簡単に世界から乖離してしまうからだが、しばしば劇中に登場する「瞳」は、常にジョージの生へのフックとなっていた。と思う。



われわれは常に死への衝動と隣り合わせにあり、しかし小さなエロスがわれわれを生へとひきとめるのである。



それから...ファース演じるジョージに夏目漱石の「こころ」の「先生」を重ねずにはいられなかった。
彼に近づく大学生ケニーが「私」で、「何か分からないけど重い十字架を背負った訳ありの世捨て人のような、ちょっとトホホな初老男性(どれだけトホホかをジョージがケニーに説明する場面もちゃんとある)」に引き寄せられて行くところ。

原作も読んでみたい。


あ、それから、主人公ジョージがゲイである必要性というのがほとんど感じられなかった...トムフォードはゲイを素材にしない映画を撮った方が絶対才能が際立つと思う。



ジュリアン・ムーアはええ女である。



後数時間でアカデミー賞が発表されるが、コリン・ファースにとって欲しい。





以上取り急ぎの感想。

また何か思いついたら、英文学授業中に教材にされるA. Huxley の小説、 after many a summerの「恐れ」についてとか、
ジョージの心の動きとともに色彩の濃淡が変わり、周りの世界とテンポがずれ続ける各シーンなどについても感想を書きたい。


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