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ブルージュの白鳥伝説




昨日の白鳥の話から芋づる式に、ブルージュが白鳥を飼う街になった顛末などを。

15世紀。ブルージュはブルゴーニュ公国内にあった。
ブルゴーニュ公国は、政治、文化、通商などの面で欧州一の突出した水準を誇っていた。特にブルージュの繁栄ぶりは、富裕な女性たちが他のどの国の女王クラスよりも華やかな装いをしていると噂されたほどだった。

その栄華を極めたブルージュにペーター・ランカルス (Pieter Lanchals) という官吏がいた。
ちなみにランカルスとは「長首」の意味である。


ペーターは、父親のDV、家業倒産などを経験しながらも高い教育を受け、まずは1456年にブルージュの徴税吏になる。1477年にはブルゴーニュ公シャルル突進公(写真右)の元で徴税吏のトップになるまで出世し、ブルージュの最も有力な家族の娘と結婚。

次代のブルゴーニュ公にしてオーストリア大公(のちのローマ王、神聖ローマ帝国皇帝)マクシミリアン1世の元でも、官吏を務めながら政治家になり、さらにメディチ銀行ブルージュ支店の仕事まで請け負うようになる。名誉職としては雪の聖母団と聖血団のメンバーにもなった。この頃、最初の妻を失くしていたので騎士階級の娘と再婚。

野心と実力と運に恵まれた男だったのだろう。


ところでハプスブルグ家出身のマクシミリアン1世は、ブルゴーニュ公国最後の後継者マリー公女(シャルル突進公の娘。写真右)の婿である。
ブルゴーニュの財力目当てのマクシミリアンの父親、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世と、ローマ王の位が喉から手が出るほど欲しいシャルル突進公の間でとりつけられた政略結婚だった。

ここでもう一つ忘れてはならないのが、ブルゴーニュ公国を狙うフランス王ルイ11世の存在だ。
ブルゴーニュ公国は元々、仏ヴァロア朝から分裂して興ったのであり、ルイ11世はブルゴーニュ公国を解体せんがため、ブルゴーニュ公国内の、独立と権利を守り拡大したい貴族や大商人と結んで執拗に策略を巡らし続けた。敵の敵は味方、というやつですな。
マクシミリアンとマリーの結婚はルイ11世とその親派を牽制するためでもあったのだ。


1482年には、元々急進的で独立心旺盛だったフランダースの有力都市ブルージュやゲントなどとマクシミリアンの間で争いが勃発する。マリーが落馬が原因で急死、彼女の死によって、公国におけるマクシミリアンの存在意義がゆらいだのだ。
ブルゴーニュの血はよそ者のマクシミリアン(<ハプスブルグ家)にではなく、マクシミリアンとマリーの子フィリップ美公に受け継がれているという理屈から、摂政マクシミリアンは不要というのがフィリップ美公派の諸都市の主張だった。フィリップ美公派(つまり親仏派)は主に都市の貴族や大商人で、上にも述べたように自らの権利の強化と拡大を狙っていたのだ。

興味深いのは、この騒動がやはりフランス王ルイ11世の差し金で行われていたことだ。マクシミリアンとフランダース諸都市(陰で操るルイ11世)の対立は1493年にサンリス協定が結ばれるまでくすぶり続けることになる。

そんな激動の世の中、ペーターは1483年にはマクシミリアンによって騎士に叙され、同時に警察官的立場であった治安職に就く。
彼は、徴税、政治、金融、治安とマクシミリアン治世の旨味のある仕事を独占したのだった。さらには宗教結社のメンバーでもあり、騎士階級にまで昇りつめた男だった。当然、都市の人々(特に親仏派)には好かれておらず、常に屈強なガードマンに守られながら行動していたらしい。

マクシミリアンがかさむ戦費(対ハンガリー・トルコ連合軍等)を購うため、フランダースの諸都市にビール税等を課した結果、都市との関係はさらに悪化。1488年にマクシミリアンが市民に捕らえられると、ペーターもその1ヶ月後に逮捕され、拷問を受けた末の3月22日、斬首に処される。その首はブルージュのゲント門の上にさらし首にされた(現代でもゲント門・写真右の上に首のオブジェがあるそうだ。知らなかった)。

昔の小説を読むと、徴税吏ほど蛇蝎のごとく嫌われている職業は他になかなかない上、政治にも金融にも治安にも手を出していたとなればよほどの権力が集中していたことだろう。相当敵が多く、嫌われていたんでしょうな。


のちに父親フリードリヒ3世の助けで巻き返したマクシミリアンは、ブルージュなどの諸都市から伝来の特権を取り上げ、巨額の賠償金を支払わせた。



19世紀になって語られるようになった伝承によると、「マクシミリアンが返り咲いた後、ピーターを処刑したことをブルージュ市民が未来永劫忘れないよう、今後ブルージュでは52の『長首』か『白鳥』を飼うようにという布令が出された」というのだ。

罰なのか? 見せしめなのか? 白鳥を飼うのはそんなにしんどいのか? 白鳥を飼うのは罪人のスティグマだったのか? そうでなければ罰にならないではないか。現代的な感覚からすると、美しい白鳥を街で飼うのが罰になるなんぞ、「まんじゅうこわい」的ではないか。
だから布令というよりも「呪いをかけた」と言った方がふさわしいような感じがするのだが、的外れな感覚なのだろうか。

夫に聞いたところ、フラマン語で「白鳥」と聞いて「長首」を連想するでもないらしい。
つまり、白鳥を見たブルージュ人が、即ペーターを思い出して良心の呵責に苦しめらたり、よその街の人が「白鳥を飼うような罪は犯したくない」などと思う常でもないようだ。

やはり現代人のわたしには分からない何かがあるのだろうか。

52の「長首」とはいったい何なのか。52という数字はいったいどこから来ているのか。

この数字はカバラかなんかを調べたら何か分かるのだろうか。

白鳥を飼わなくなったらブルージュはどうなるのか。

もしかしたら白鳥とは怨霊からブルージュを守る結界なのかも...梅原猛の読み過ぎか(笑)。

ああミステリー。


このお話をミステリーとしてあれこれ考えてみるのはとてもおもしろいが、残念ながら実際にブルージュ市が白鳥を飼う権利を買い、白鳥を飼育し始めたのは15世紀、微妙にピーターが斬首されるよりも前であったらしい。

そういうわけで、この白鳥と長首の伝説に信憑性はないとされている。19世紀には歴史にロマンティックな色彩を施すのが流行った...ペーターの話はただのこじつけにすぎないのだ。でもオカルティックな映画や小説のの題材にしたらかなりおもしろいと思う。


現在、ブルージュの運河には52羽以上の白鳥が保護されており、「長首」一族は絶えて久しい。
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