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vermeer and music 展




月曜日に娘をヒースロー空港まで送り、わたしと夫はそのままロンドンに滞在している。


ロンドン、何年、いや何十年かに一度の本物の夏を迎えている。
毎朝、輝く青空に誘われて目覚め、ホテルのテラスの木漏れ日の元、都会の朝の音を聞きながらお茶を飲み、夜は深夜近くに夕食を済ませて戻って来ても、人々の笑いさざめく声を聞きながらテラスに座って炭酸水を飲める。素晴らしきかな! ノースリーブやベアトップのドレスで過ごせることの素晴らしさ!

天気の話はこれくらいにして...

夫は仕事なので、昼間はわたしはひとりでぶらぶらする。
昨日はナショナル・ギャラリーで開催中の "Vermeer and Music" 展へ行った。

フェルメール、大好き。
昔から好きだったのだが、ブルージュに住むようになってからさらに好きになった。
あの絵の、室内に差し込む絶妙な光の加減はまさにリアリズムであり、フランダースの古い家にはほんとうにあのような光が差し込むということが分かったからである。
しかし写真に撮っても再現するのが難しいあの光を、あのように描くことのできるのはフェルメール以外には存在しない。

写真に撮ってもと言えば、フェルメールの構図と光と影の取り入れ方が「写真的である」と(一部で?)される一方、「写真的」なのではなく、フェルメールはまさに写真を見ながら描いたのである、と論じた本があった。「フェルメールのカメラ」だったかな...ウィッシュ・リストに入ったままになっているあの本、読みたい!


今回の展覧会は、上の "The Guitar Player" が、改装中のケンウッド・ハウスからナショナル・ギャラリーへ貸し出し中なことからインスピレーションを得た展覧会。

期待したよりもフェルメールの数が少ない(5枚)なことにはずっこけたが、オーディオ・ガイドから流れる古典楽器の演奏と合わせて鑑賞するとなんとも味わい深い展示である。古典楽器の専門家は、描かれた楽器と演奏者のポージングでだいたいどんな音楽が奏でられていたのか分かるそうである。ビバ!専門家!
うっかり者のわたしは、もうリュートやシターが習いたくて習いたくてたまらなくなりましたよ、ほんと。


さて、いつ終わるか分からないロンドンの夏の光と陰を存分に楽しみたい。
ああ、わたしにもフェルメールの100分の1でもいいから、それを描写できる能力があったら。

今日はこれから何をしようかな。
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coppelia, ou la fille aux yeux d'email




エナメルの瞳の少女、コッペリア。

ローラン・プティ版の「コッペリア」をロンドン・コロシウムでやるというので、ロンドンへ出たときのついでに軽く(失礼)娘と一緒に見るのにいいなと思っていたら、バレエ団が Moscow Stanislavsky Ballet 、スワニルダをクリスティーナ・シャプラン (Kristina Shapran) が踊ることが分かり、誰も知らない秘密の花園を見つけたかのような「超ラッキー」気分になっていたのである。

クリスティーナ・シャプラン (Kristina Shapran) 、2011年ワガノワ・アカデミーの卒業生で、芳紀まさに...たしか今年で21か22歳くらいだったと思う。
わたしが目を付けて喜んでいる若手バレリーナ (例えばOlga Smirnova。彼女は技術と美貌だけでなく独特の色香と演技力がとにかく素晴らしい) 何人かのうちのひとりだ。月並みな表現だが、「荒削りの美」「未完の美」というのはなぜこのように魅力的なのか。

彼女のスワニルダ、ご覧になってみて下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=FpQpUsL8EJA

このTV番組*、"Russia got Talent" の類いに見えませんか...審査員にはウラジーミル・マラーホフがいたりして、侮れないお歴々なのかも。



ところで、もちろんわたしはクリスティーナを見るために彼女が踊る日、土曜日に狙いを定めてチケットを取った。しかし、当日、劇場で配役変更(クリスティーナが土曜日で、Erika Mikirticheva が日曜日のはずだったのに、入れ替わり)を知る。がーん。
早速夫に電話して翌日日曜日のチケットも取ってもらい...それで土曜日は Erika Mikirticheva 、日曜日はクリスティーナのスワニルダを見られた。

彼の全力を出し切っていたかいなかったかは別にしても、いかにも絶好調そうなセルゲイ・ポルーニン (Sergei Polunin) を2回鑑賞できたのがボーナスだった。オブザーバー紙の批評をちらっと読んだが、ポルーニン、土曜日はそう悪くなかったと思う(もしかしたらこの批評を読んだのかも)。
ガーディアン紙の批評はわたしに言わせれば、少々的外れな気がした。ローラン・プティ版の「コッペリア」は田舎の見世物小屋風でハイ・ブラウでないところがよいのだよ。手回しオルガン(風)を取り入れた音楽といい、あれが狙いなのでは? 真夏のマチネで鑑賞するにはちょうどいい。

でもでも...クリスティーナ、体調でも悪いのだろうか。精神的なプレッシャーか。華やかで繊細で瑞々しいのはいつも通りなのに、さらに痩せたようで覇気がなく、ピルエットやグラン・フェッテの軸足がズリズリとずれていくのにハラハラさせられた。何があったんだ...
コメディのコケットな主人公役としては土曜日の Erika Mikirticheva の方がよかったかもしれない。


昨日の日曜日、70歳くらいの女性と90歳くらいの女性と隣り合わせ、いろいろ話しかけてくれた。いずれわたしも1人でもバレエを見に行くこういうおばあさんになるんだろうな...と思うと胸が熱かった。 

わたし、おばあさんになるまで応援するから、クリスティーナ、がんばって。


(写真は Moscow Stanislavsky Ballet から)


*ロシアの "Big Ballet" というバレエ競技番組であることが判明。おもしろそうなので他にも探してみたい。
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proserpine for sale




昨日のBBCニュースによると、ラファエル新派に属するダンテ・ガブリエル・ロセッティ (Dante Gabriel Rossetti) のチョーク・ドローイング版「プロセルピナ (Proserpine) 」が、この秋にサザビーズでオークションにかけられるらしい。
予想は1800万ポンド(日本円でざっと27億円)。もっと行きそうな気がしませんか。

ロセッティは「プリセルピナ」を最低でも8枚描き、テイトやバーミンガム美術館では7、8番目のバージョンが見られる。にしても、このニュースを読んだ瞬間ほど「大富豪だったら!」と感じたことは今までにかつてなかった、と告白しよう。

夫がラファエル新派の熱烈なファンということもあるが、わたし自身、90年にロセッティ展が日本へ来るのを心待ちにしていた...がその後、興味を急速に失う。「ベアタ・ベアトリクス (Beata Beatrix) 」、あんなに好きだったのに、なぜなのだろう。その問いかけをしたいがためにこの絵を所有したいと望むのは倒錯か。
まあわたしにはポスターで十分なようだ。

そういうきっかけで、お天気もいいし、今日はこれからテイトに行こうと思う。

みなさまもよい週末を!


(写真はBBCより)
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recuerdos de la alhambra




タ~ラリ~ ラリ~

絶対に観光地のどこかで聞けるのだろうと思っていたのに(実際、クラシックギターの色香あふるる演奏はあちこちで聞いた)どこでも聞けなかった幻の「アルハンブラの思い出」。名曲なり。







春休みに訪れたイスタンブールもそうだが、文明が衝突する場所(今回はアンダルシア地方)は血なまぐさい破壊の歴史を隠し持っている一方で、懐が深く趣き豊かだ。旅人は皆どこの国出身であっても「ここに居ていいのだ」と感じることができ、居心地が良い。
洗練され、寛容で、闊達な想像力に満ちたイスラム世界の思い出をやさしく抱きかかえるアンダルシア地方...「アルハンブラの思い出」のあの旋律にぴったりではないか。


アンダルシア地方はこのように文化芸術歴史すべてよし。
おまけに食よし(塩梅が天才的で食材は超新鮮)。
言語よし(西語はとっつきがいい。仏語と伊語の知識を総動員。夫は少し話せる)。
天気よし(連日、宇宙が透けて見えるような紺碧の空、7月8月の午後は40度までになる。それでもオマーンの燃え盛る地獄の道のような暑さを思えば大したことはない)。

当然人もよし。人は時間と余裕があるのか、40度まで気温の上がる土地であくせくしていても仕方がないからなのか、非常に親切で構いたがり教えたがりだ。

拙い西語で「すばらしく美味しかったです」と褒めちぎれば、大喜びしてもっと食べて行けとサービスしてくれたり(隣に座っていたスペイン人の観光客グループから「不公平だ」と大ブーイングだった)、ワインバアで「この土地の赤ワインがぜひ飲みたいのです」と言えば、仏頂面のおかみさんが英語まじりの西語でじっくり丁寧に説明してくれ、店にあるもの全部試飲させてくれたり。

初日、田舎の街で朝食時のカフェにたむろっているおばちゃんたちに朝は何を注文すべきかアドバイスを求めたら、つば広の帽子をかぶっていたせいだと思うが、「あなた女優?女優?」と大声でまくしたてられたり。ええ、分かってますて。女優にもいろんな人がいますな。スペイン女優だってペネロペだけじゃないですしね!

ちなみに朝食にはトスターダ(トーストした丸いパン)にオリーブオイルを振りかけ、トマトソースを塗って食べるのと、イベリコ生ハムだけをのせて食べるのが気に入った。

老後はグレナダに居を移して、毎日魚介の揚げ物を食べながらでっぷり肥えて暮らしたいな...とうっかり思ってしまう。



この旅で、EU下における南欧州の国々が散々な目に合っているのはなぜなのかを直に垣間見たような気がした。
EUはスペイン、イタリア、ギリシャに、「われわれのようになれ」、つまり「グローバリズムを受け入れろ」と迫っている。グローバリズムを受け入れるというのは、すなわちスペインやイタリアの街角から個性豊かなレストランやバアや商店が消え、代わりにロナルドのハンバーガー屋やシアトルのコーヒー屋、赤い帽子のピザ屋、北欧の安売り服店や電話機屋ばかりが並ぶことだ。
例えば英国はグローバリズムを完全に受け入れた状態を呈しており、どの街に行っても商店街は全く同じ店で構成されている。味気ない。砂を噛むように味気ない。どちらが楽しそうかは言うまでもない。


スペインがスペインであるうちに...いやごく近いうちに娘も連れて行きたい(彼女は修学旅行中だったのだ)。


...


昨日の記事もそうなのだが、わたしにとって「ここに居ていい」「居心地がいい」という気分がかなり重要なキーワードだと分かった。なぜなんだろう? 外国人としての生活が長いからか? それとも子供時代親に十分承認してもらえなかったのだろうか(長女である私は両親からやたらと誉められて育ったのに)?
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あれから2年・外国人の2年間




夫の仕事の都合でベルギーから英国へ転居が決まったのが2年前(2011年)の6月。
娘が英国の私立女子校を受験したのが7月。
8月には家を探しまくり、
無事中学部へ進学したのが9月。
引っ越しが完了したのが10月。

今週、娘は中学2年生の学年度を終えた。
上位4パーセントの生徒に与えられる成績優秀賞を式典で受賞するというおまけつき。
本人は know it all タイプのティーンエイジャーらしく、「全然たいした賞じゃない」などと涼しい顔で言っているが。


誉められる、ということはすなわち「居場所ができる」「そこに居ていいという承認を受ける」ことである。
幼い子が誉められながら成長すると精神的に安定するというのはそういう理由でだ。
人間にとって、確固とした居場所があるのがアイデンティティのベースなので、英国では「外国人」である娘にとって、受賞はさらなる自信につながるだろうという意味合いで母親は喜んだ。
感動しいの夫は式典で涙ぐんだと言うし、祖父母連はお祝いは何がいいか早く教えてくれと矢の催促。それぞれ温度が違う。


外国人...そうだ、学校が大好きで、朝から晩まで充実した毎日を送っている彼女にはふと寂しさの影が差すことがある。
それは自分は外国人である、お客さんである、という寂しさだ。寂しさと言うと語気が強すぎるかな? 

端的には、学校で「我らは英国人である」という旗の下に、言わず語らず皆が団結するとき感じる、かすかな疎外感のことだ。
女王陛下の誕生日などの王室ネタ。去年のオリンピックでの英国人の活躍や、先日ウィンブルドンで77年ぶりに英国人が優勝したこと。英国祝日には親戚一同家族の友人一同が集まるとか、夏は毎年イングランド南西部の保養地で過ごす習慣、「英国中の親戚に土地のスラングを聞き取りし、分類すること」という宿題が出るとき。英国料理が少しも旨いと思えない、英国独特のスポーツのルールを知らない、など。

子供の頃からこうしてきた、両親も祖父母もこうしてきた、という物事への取り組み方、考え方。
何かをする時に自然と醸し出される、言外の「私たちは英国人だからこのようにするのが当然」という空気。
わたしも外国生活が長いので、そのような空気が漂う場面は多々知っている。単位が国民民族でなくとも、(趣味や職業のグループ等々)ふと居心地の悪さを感じることはあり得る。わたしは今は学校や会社等のグループに属していないためか、おばちゃんになったせいか別にどうでもいいことだと思っているが、学校で日々の大部分を過ごすティーンエイジャーにはどうでもいいと思えないケースがあるのではないか。


彼女がたまに「ブルージュに帰れたら!」と腹から絞り出すように漏らすのはそういう理由がある。
完全なブルージュっ子である自分、ブルージュの街も文化や習慣も細部まで身に染み付いている自分、教えられるより教える側である自分、お客さんではない自分(つまり主人ということか?)...そういうのを懐かしがっているのだ。


来年の今頃はブルージュへ本帰国する算段をしているだろうか? あるいは英国で暮らす外国人として(わたしはどちらに住んでも外国人だが・笑)心機一転しようとしているだろうか?

「あれから3年」の記事はどのようなものになるだろうか。
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