英会話BOX 第2章

新潟の国際化のため、世界平和のために活動しています。

自己紹介

2022-05-22 11:10:17 | 代表の自己紹介
会社員、英会話BOX 代表

福島県郡山市生まれ、新潟市東区育ち。

大学卒業後、外資系メーカー、商社で多くの海外ビジネスを経験した後、某鉄道会社で2カ国間国家プロジェクトに従事する。
現在は某日本の会社で勤務している。

大学時代に通った英会話学校がきっかけで英会話に没頭。
2012年に自身が代表を務める英会話BOXを設立し、誰でも気軽にリラックスして英語が触れられるようにと全国各地で英会話サークル活動を展開し、その後新潟日報カルチャースクール英会話講師、新潟市旧斎藤家別邸英語ガイド講師として活動したが、2020年3月末で全ての活動を休止した。
その後、2022年6月に英会話サークル活動を再開する。

留学経験なし。

趣味:英語学習、読書、バスケットボール
好きな言葉:初志貫徹、絶対に諦めない

10代、20代、30代前半、継続的に超重症なアトピー性皮膚炎に苦しむ。頭から足の指先まで全身終わりのない激しい痒さと掻きむしった酷い肌荒れで人生をギブアップしそうになるまで悩みながら毎日を過ごす。変わり果てた自分の姿、これが我が姿かと鏡を見るのすら怖かった。病は、身体だけでなく精神も容赦なくむしばんだ。周囲の優しささえも素直に受け入れられないほど心は深く疲弊していた。親に何度も何度も心無い発言を繰り返した。親はその時、一生この息子の面倒を見るしかないと思ったと言う。

全身ベトベトになるほど塗薬を塗り、全身に包帯を巻いてミイラのように過ごしたことも珍しくなかった。中1の時に発症し大学病院に40日入院、半分以上学校に行けなかった。なんとか合格して始まった高校生活、病気を隠したい思いと隠せない現実の狭間で悩み続け、勉学や他のことにも全く意味を見出せず、怠慢な生活を送り堕落の一途をたどる。しかし、親の諦めないサポートがあり一年浪人生活を経て都内の大学へ進学。

上京して大学生活をしている時も症状が悪化し入退院を繰り返し中退寸前まで追い詰められた。
社会人になってからも改善せずに苦しみ葛藤しながら毎日を過ごす。病気のせいでいろいろなことを諦めなければならない自分が悔しくて悔しくて仕方なった。

しかし、どんなにつらい時も家族、友人、当時務めていた会社の方々からのサポートがあり、なんとか持ちこたえる。
そんな日々の中、英語が様々な出会いとチャンスを与えてくれ、少しずつ人生に希望を見出し前向きに生きるようになる。

気がつくと、やりたいことを病気を理由にして諦めていた自分はいなくなり、できないならどうやったらやれるか、やるためには何をしたらよいかと、希望を持って生きるようになっていた。

30代になり苦しみながらも努力してきたことが自信につながり、自分の思いを形にできるようになってきた。
そして、2017年から皮膚の状態が劇的に回復する。
あるお医者様による適切な治療と家族の愛情が今までどんな薬を塗っても良くならなかった皮膚を良くしてくれたのだと信じている。

現在も治療中だが以前とは異なり目立って悪化することなく安定して推移している。

2019年の終わりに長年勤めた会社を退職し転職することを決意する。
そして、2020年4月に勤めていた会社を退社し、東京で全く新しい業界に転職した。

2022年6月、新たな活動環境が整い英会話サークル活動を再開する。

2022年11月、東京での仕事を辞め、新潟に戻る。
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