青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

豊中松竹&岡町東映 ~道路を挟んだ興行戦争!

2022-03-11 | 昭和の映画館

豊中市には昔映画館が多かった。僕が知っているだけでも「豊中ヒカリ劇場」(跡地は現・阪急オアシス豊中店)、「庄内・幸運劇場」、「庄内東映」、「庄内シネマ」、「セルシーシアター」があり、忘れられないのが「豊中松竹」「岡町東映」の二館でした。

豊中と岡町の真ん中にある克明小学校前の大きな踏切。その東側に道路を挟んで南北に2つの映画館が興行戦争を繰り広げていた。これが僕の記憶です。北側に位置するのが「豊中松竹」。大正13年(1924年)に開館。1974年に同所に竣工したマンション「テアトルメゾン豊中」で再営業した時には2館に分かれ、もう一方を豊中パールと呼びました。そちらはポルノを上映していました。

これは、豊中松竹に「モスラ対ゴジラ」を観に行った時のチラシです。

同時上映の「柔の星」は、1970年12月19日公開の「東宝チャンピオンまつり」内で上映された作品で、テレビ「柔道一直線」とは関係ない物語ながら、同じ桜木健一と近藤正臣、大野剣友会を起用した柔道映画。「アタックNo.1 涙の世界選手権」は、テレビ版を映画館用に再編集したもの。当時はよくこういう再編集をしていました。

映画館は間違いなく「豊中松竹」でしたが、僕が見たゴジラ・シリーズは東宝映画。しかし、裏面の大人の映画の方は、まさしく松竹映画で、「豊中松竹ニュース」となっています。東宝は阪急電車の生みの親・小林一三が松竹、東映に対して後から起こした会社です。この映画館は儲かる作品なら、この地域での配給を一手に引き受けていたのかも。怪獣映画の「ガメラ」シリーズや「ギララ」等の「大映」映画も、ここで上映していました。

南側で道路に面していたのが「岡町東映」。上の写真、黄色い囲みの劇場です。「東映マンガ祭り」はここで上映していました。この映画館の後方の道を右に入れば、原田神社のある岡町商店街に抜ける小道があります。こちらは1950年代後半に開館しました。豊中松竹がゴジラやガメラの怪獣映画で子供を動員すれば、後発の岡町東映は仮面ライダーを推す東映まんが祭りで対抗していました。

道路を挟んで見える左側のマンションの地下に、先の「豊中東宝」がありました。

1983年、岡町東映が昭和ライダーの衰退と共に閉館し、豊中松竹も1989年に閉館してからは、豊中市の映画館は「セルシーシアター」を残すだけとなり、そのセルシーシアターも2014年には閉館。現在豊中市には映画館はありません。

東宝・東映・松竹・大映の上映が、大阪の郊外の街・豊中の1区画に集中していたというのも、昭和30~40年代ならではのこと。映画が落日に向かう前の、最後の古き良き時代でした。