青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

阪急宝塚線・庄内の “鉄橋” はどこから来た?

2022-10-19 | 昭和・懐かしい大阪の風景

この白黒写真は昭和30年代に、阪急宝塚線・庄内駅より南に向かった場所にある、阪急電車の鉄橋です。この鉄橋は現在もそのままです。

よく見ると、鉄橋が短い。本来もう少し長い橋が必要なのですが、足りない部分は橋脚を作ることで補っています。というのは、そもそもこの橋は他の場所にあったものを、ここに運んで2次利用しているからです。

そもそも阪急・梅田駅はこの写真のように、阪急百貨店の前の目抜き通りが駅ホームでした。それが現在のように通路になったのは、駅が現在の場所に移動したからです。

駅がこの場所にあった当時、当然JRの線路と阪急の線路は交差していました。

交差している部分は、阪急が高架、国鉄(JR)の線路が地上だったのですが、国鉄大阪駅の高架化に際し、国鉄が交差部の上下を入れ替えることを阪急に強引に申し入れ、一夜にして入れ替えました。結果、阪急の線路が地面の上を走ることになり、高架として使っていた鉄橋が不要になりました。

そして当時(昭和10年)、絶好のタイミングで庄内のこの現場に産業道路(後の国道176号線)が作られていたので、ここにその梅田の橋を運んで架橋したのです。

176号線の道幅には鉄橋は足りるものの、鉄橋としては短かかったので、橋脚を足して問題解決となりました。

この橋脚部分(写真右側の部分)を設計は、平安神宮や築地本願寺なども手がけている建築家・伊東忠太氏によるもので、この記事の1番上のカラー写真(阪急百貨店前通路)の壁上部にあるモザイク画やシャンデリアも氏のデザインです。

上はかつてその時代の通路の最南端部にあった「旧梅田駅の待合室」です。ここも氏の設計。ほんの数年前まではこういう味わいのある風景だったのが、今では嘘のように変わり果ててしまいました。僕にとっては、こちらの景色の方が馴染み深い。

いろんな場所に、昔ながらのものが今も残っている。そういう所を探すのはとても楽しい散歩になります。