青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

池田中央シネマ1・2 ~今は大衆演劇場に!

2022-03-17 | 昭和の映画館

以前に「池田中央シネマ3」をここで取り上げました。「1と2は?」という声もありましたので、今日はそちらをご紹介します。

昭和29年(1954年)に「池田中央映画劇場」として開館。日活の上映館として知られていました。その後70年代に入って「池田中央第一劇場」と「池田中央第二劇場」の2つに分かれた後、映画館は取り壊わされました。そして昭和62年(1987年)に同場所に池田中央マンションを竣工、「池田中央シネマ1」と「2」に名前を変えて再開しました。

ただ、建て替え前には270席と250席でしたが、建て替え後には72席と64席の小規模映画館となり、駅前のここから少し離れた場所に「池田中央シネマ3」があったのにも関わらず、閉館近しを感じました。しかし、大阪梅田でも大劇場がシネコン化して行く時代の中でも健闘しながら、駅前の「3」が2008年に先に閉館し、後を追うように平成22年(2010年)5月31日に惜しくも閉館となりました。

池田は城下町なので芝居小屋が江戸時代から多く、映画館では「池田明治座」も50年代から70年代までありました。ちなみに同じ池田市内の「石橋阪大前駅」にも、「石橋映画劇場」が50年代後半から80年代までありました。

池田中央シネマ1・2の跡地は、江戸時代に池田に建てられた芝居小屋「呉服座」の建築様式を部分的に再現した、大衆演劇の「池田呉服座」として、2010年11月に大衆演芸場として生まれ変わっています。


エキゾチックタウン ~神戸・ポートアイランド

2022-03-16 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

僕は、1980年代後半から90年代にかけて、よく神戸へドライブに行きました。その中でもよく行ったのがポート・アイランドです。人生初のドライブ・イン・シアターもここで経験しました。

ポートアイランドにはお休みごとに家族連れで賑わう、バンドールエキゾチックタウン店と(1984年6月~1995年1月17日)と、レストランビルエキゾチックタウン(1984年8月~1995年1月17日)がありました。前者はアメリカのように、巨大なショッピングセンターでした。後者はレストラン施設。閉店の日付でお分かりのように、阪神淡路大震災によって閉店となりました。

エキゾチックタウンは、外観は殺風景ですが、中はおとぎの国のようで、3階まで吹き抜けになった回廊式の作りで、4つのレストランコーナーと、パーティ会場がありました。1階のステーキハウスは260席の大スペースで、夜はライブステージもありました。シーフード&バーベキューレストランやお好み焼き屋もあり、3階のパーティ会場はアラビア調・ウエスタン調など9つの部屋がありました。本当に懐かしい。

エキゾチックタウンの建物は、震災後も長く、2009年(平成21年)7月に神戸市との土地貸借契約が満了を迎えるまで、無人状態で存在していました。そして同年8月に解体されました。震災から解体まで、廃墟として存在していたのが寂しかったことを覚えています。

この地図は1992年当時の地図です。今とは違い、まだポートピアランドがありました。逆に「神戸どうぶつ王国」も、その前身の「花鳥園」もまだありません。神戸が誇る「救急救命センター」のある市民病院の位置も、今とは違います


御堂筋が双方向通行だった!

2022-03-15 | 昭和・懐かしい大阪の風景

昭和44年(1969年)、御堂筋と長堀通の交差点にかつて架かっていた歩道橋から南を望んでいます。

御堂筋に沿って中国料理・東天閣が入る心斎橋ビル、村野藤吾の設計によるモダンなビル・そごう、W.M.ヴォーリズが設計した大丸の3棟が並んでいます。

ところでこの写真で、何か違和感を感じませんか?

御堂筋は当時は双方向の通行でした。現在のように南向き一方通行ではありませんでした。昭和45年(1970年)から、現在のように南向き一方通行になったのです。将来を見込んで御堂筋は広く作ったという話は、大阪人なら大抵知っていますが、出来た時から一方通行だったと思い込んでいる人が多いことに驚きます。

現在と比較すると・・・

年月が過ぎて、これだけ景色も変わってしまうと、昔のことからどんどん忘れ去られて行きます。でも、地元の歴史を知ることは楽しいし、忘れたくはない伝統もあります。


池田映劇 ~あの“かき峰”は映画館だった!

2022-03-14 | 昭和の映画館

地元の歴史というものは、時間と共にあっという間に埋もれてしまいます。昔と違って人の出入りが激しいこともあってか、「街の顔」と言うべき存在すら、忘れ去られて行きます。

池田市には僕が知っているだけでも、「池田映劇」「明治座」「アゴラシネマックス」「池田中央シネマ1~3」「石橋劇場」と7つの映画館があり(現在は全て閉館)、池田中央シネマ1と2に至っては、2010年に閉館したばかりです。それでも人々の記憶からは消えて行きます。

池田駅前の「かき峰」と言えば、かなりの遠方の方でもご存知の「かき料理」の名店で、1年中営業している訳ではなく、かきの食べ頃の季節だけ営業している高級店です。

写真の左の建物が「かき峰」です。正面のサンシティを抜けると阪急宝塚線・池田駅です。このかき峰、名店の誉れが高いために、さぞや古くから城下町・池田の「この場所」で営業をされていたのだろうと多くの人が思っていますが、ここは昭和59年(1984年)までは「池田映画劇場」という映画館でした。

「池田映画劇場」は昭和14年(1939年)に、この場所に開館した東映系の封切り館でした。駅前再開発により、周辺のお店や家が取り壊されてサンシティ池田が誕生した時、池田映画劇場は閉館し、逆にサンシティ池田の建った場所にあった老舗料理店「かき峰」と、現在の「日本キリスト協会池田」が、池田映画劇場跡地に引越しして現在の姿になりました。

そして、池田映画劇場は昭和62年(1987年)に暫くのお休みを経て、サンシティ池田の1階、上の写真で自動車の左後方に青い看板が見える位置で営業を再開しました。

ドルビーシステムを完備した131席の東映封切館でした。しかし、同じ池田で「池田中央シネマ1と2」(現在では大衆演劇・呉服座になっています)を営業していた近畿興行に経営権が移り、1990年代後半に「池田中央シネマ3」と改称されました。そして2008年2月3日に閉館し、現在では池田市に映画館は1軒も残っていません。


1990年の“学食” ② ~京都女子大学

2022-03-13 | 昭和の喫茶店
1910年、浄土真宗本願寺派法主、大谷光瑞の妻が設立した京都高等女学校が前身。高等女学校を経て、学制改革によって1949年に大学に。「京女」の名で親しまれていました。
 
 
東山七条から大学へ続く「女坂」と呼ばれる坂道に、喫茶店やレストランが並んでいるためか、学食は1つだけ。オーソドックスなセルフサービス・スタイル。
 
 
人気ベスト2は、幕の内形式の京女弁当と、オムライスorやきそばor焼き飯に、サラダ、コロッケ、ポテトフライ、ジュースがセットされたレディースセット。どちらも390円でした。