集団的自衛権の行使を容認するのか、その手段として解釈改憲が適当か。二つを分けて考えるべきだ。登山にたとえると、政府は「あの山(集団的自衛権の行使)にこの崖(解釈改憲)から登ろう」と言っている。山に登るかは意見が分かれるが、憲法学者として、そもそもこの崖からは登れないと指摘したい。登ろうとすると、訴訟リスクが待ち受けているからだ。

 国家は、憲法で禁止された行動ができないだけでなく、憲法に根拠規定がない行動もできない。違憲だと訴えられたら致命的だ。

 憲法学者の間に「自衛隊違憲論」は根強いが、従来の政府解釈は、国民の生命や幸福の権利を尊重する憲法13条を根拠に、個別的自衛権は許容してきた。しかし集団的自衛権を基礎づける文言は、憲法上にない。

 つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。たとえば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟を提起される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。

 情勢が緊迫しているから憲法を無視してもいいと開き直るのは、自ら違憲と認める自白に等しい。司法の現場では、政府がどれだけ必要だと言っても、違憲は違憲。多くの法学者が解釈改憲を違憲だと言っているのは、政治的な反対ではなく技術者としての忠告だ。

 国内の憲法を無視すると、国際法もないがしろにすると見られ、外交上もリスクが高い。三権分立をやっていない国はあるが、国際社会で信用されていない。その仲間入りをしてもいいのだろうか。支持を得る自信がないから解釈改憲に行くのだろうが、本気で集団的自衛権が必要だと考えるなら、真正面から憲法改正を提案するしかない。

 私自身は、行使容認自体にも、現段階では反対だ。アメリカに守ってもらうためのご機嫌取りが目的ならば、日米安保の枠組みでなぜ不十分なのかが疑問だ。

 (聞き手・高重治香)

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 きむら・そうた 首都大学東京准教授。専門は憲法学。東大助手を経て06年から首都大学東京准教授。著書に「憲法の急所」ほか。33歳。