中さん

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日記(4.26)庭の花

2017-04-26 16:50:40 | 日常
4月26日  (水曜日)   曇り 時々陽がでるが・・

午前中は第二畑に石灰を振って耕運機をかけておく。
これから雨になるというので作物の間に生えてきた草を少しかたずもしておく。
ジャガイモの芽欠きを行っておく。
マルチ張りを二サク行って今日の予定を終える。
~~~~~~~~~
空模様は鉛色に変わった


明日の午前中まで降りそうだ。
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玄関わきに一輪草が今年もいっぱい出てきた

ポッド蒔きの種も皆芽を出した。

あと2Wは定植できないなあ~!
その前に苗を買って来よう・・・。
色々な花が咲いてきた。

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郵便はがきの値上がりの案内チラシが入ってきた。

年賀状は一時据え置きかな・・
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日記(4.26)三遊亭円歌

2017-04-26 05:58:27 | 日常
4月26日  (水曜日)   曇り

洗筆にあった・・
その昔、寄席の楽屋に一枚の紙が張ってあったそうだ。
題は「噺家(はなしか)売れる秘訣(ひけつ)五カ条」。
一九六〇年代か。内容は、
一、素人口調であること、
一、内容は支離滅裂にすべきこと、
一、ちゃんとした噺をやらぬこと-等


▼若手への助言か皮肉か。いずれにせよ、
 秘訣には若くして人気となった風変わりな二人の噺家が念頭にあったかもしれぬ。
 一人は林家三平さん、もう一人はおととい亡くなった三遊亭円歌さんである。八十五歳。

 自分で異端児とおっしゃっていた。
 人気に火が付いたのは、「山のあな」の「授業中」や「浪曲社長」などの新作落語。
 当時の一部にはそれが
 素人口調に聞こえ、売れたい、人を笑わせたいだけの芸に見えていたかもしれぬ。

 それでもそのてらいのない、まっすぐな笑いこそが長きにわたって
 日本人のおなかをよじらせた。
 落語界の間口を広げた。

~~~~~~~~~~
 真偽の定かでない逸話で知
 若い時、芸に苦悩し、大阪へ逃げた。

 一時帰った東京の電車の中で師匠の先代円歌とばったり出くわす。
 先代は怒らず「明日遊びにおいで」。
 その優しさに発奮し、落語の新たな可能性を模索するきっかけとなったそうだ・

 黒門町(桂文楽)、稲荷町(林家彦六)…。
 住む町名で声の掛かる噺家も減った。
 もう「中沢家の人々」は聴けないのか。
 「麹町!」。
「山のあなた」に声を張る。
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別の紙面には
 「授業中」「中沢家の人々」といった新作落語を得意にした
  落語家で元落語協会会長の三遊亭円歌、本名中沢円法〈なかざわ・えんぽう〉)さんが
 23日、死去した。88歳だった。
 23日午前11時ごろ、東京都内の自宅で倒れ、病院に運ばれたという。

   東京都生まれ。山手線・新大久保駅員を経て終戦直後の1945年、
  二代目三遊亭円歌に入門し歌治、48年に二つ目で二代目三遊亭歌奴に。
  自らの吃音(きつおん)体験を表現として生かし、「山のあなたの空遠く」で始まる
  ドイツの詩人カール・ブッセの詩を朗読する場面で「山のアナ、アナ……」と織り込む
 「授業中」などで人気を集めた。

  寄席の慣例を破って初代林家三平と共に二つ目でトリを務めた。
 58年に真打ち昇進、70年に三代目円歌を襲名した。

 後年は両親や義父母を題材にした新作「中沢家の人々」でも、
 愛情ある語り口で笑いをとった。85年に56歳で出家して話題になった。
 96~06年に落語協会の会長を務めた。71年度の芸術祭優秀賞、
 92年の浅草芸能大賞などを受けた。
 戸籍上は「1932年生まれ」となっているが、
 実際は「1929年生まれ」。空襲で焼失した後、
 戸籍を作り直す際に家族が間違えたためという。
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★何回か寄席で聴いた”歌奴”時代・・面白い話術であった。
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