中さん

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日記(6.24) ラグビーTV観戦・コラム「砂山のパラドックス」

2017-06-24 17:24:50 | 日常
6月24日  (土曜日) 
  
5時には散歩に出て野菜の伸びた枝を縛ったりして
キュウリとズッキーニ・インゲンを収穫して結構な重さになって歩いて帰るのが大変だ。
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9時半ごろ陽射しが強く暑かったが・・家庭菜園にて遊ぶ。
行くと目につくことが沢山あってやることがいっぱいだ。きりがない!
白カボチャスとスイカの赤ちゃんが実をつけ始めた。

楽しみだがこれから枝葉を広げて大変なことになりそうだ!12時にはかえってシャワーが日課。
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昼には缶ビールを飲みながら2017年のラグビーTV観戦だ。
カミさんもラグビーは好きで、ここだけは意見が合う。

日本対アイルランドとの一戦。
2019年のWカップの前哨戦だが流石に世界3位の実力でフィジカルが強く早いこと・・
凄いパワー・パス回しにミスが少ない。



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コラムを載せる。気になる組織的犯罪集団と共謀罪のこと・・

ソリテス・パラドックス」という逆説がある。
ソリテスは「積み上げられた物の」という意味だが、
日本では「砂山のパラドックス」ということが多い。
砂山はその砂を1粒取っても、砂山なのは変わらない。

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さらに1粒、また1粒取っても砂山だが、
いつか最後の1粒になっても砂山かといえばもちろん違う。
では何粒以上が砂山だと決めようにも線引きができない
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ソリテス・パラドックス
基本的には相対的で定義がはっきりしないことを扱う学問領域である
 言語哲学に属する問題である。
 
 一方数学では、全ての用語が明確な定義を持っている。
 このパラドックスは不明確な用語を
 数学的な論理式に持ち込む際に常に付きまとう問題であり、
 定義不能な不明確な概念に論理を適用する際の問題である
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砂山という言葉のあいまいさと連続的な変化の間に生まれる逆説である。

「組織的犯罪集団」と「一般人」とは縁遠く聞こえる。
 だがこれも砂山と同じく線引きできないあいまいな言葉だと明らかにした。
 この間の国会論戦だった。

 共謀罪あらためテロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議のことだ!
 政府答弁の示すところ、一般人は捜査対象でないとの説明は当局が捜査対象にしない人は
 一般人だというのにすぎぬようだ。
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 法相が捜査対象に新たに組織的犯罪集団の
 「周辺者」を持ち出すはめになったのも境界のあいまいさからだ、


 真偽を通じて国際条約締結に不可欠という説明にすら疑義が生じたこの法案だった。
 なのに摘出された疑問はすべて放置したまま、
 参院委採決を省略しての本会議での採決だという。
 審議は形だけの儀式かと慨嘆(がいたん)する方も多いだろう。

 異例の国会運営の背景には加計(かけ)問題追及の舞台となる
 会期の延長を避けたい政権与党の思惑があるという。
 国会が政府の専横を抑止する民主主義の
 砂山からごっそりと砂の固まりを取り去っていくのは誰か
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日記(6.24)小林麻央さんの訃報

2017-06-24 09:13:33 | 日常
6月24日  (土曜日)   曇り

昨日の朝、畑にいて
スマホに入ったメールで知った、小林麻央さんの訃報。

私を変えてくれた人・・と言っていた海老蔵さんが涙をこらえて
インタビュウに答えていた姿が印象に強かった。
非常に悲しいニュースである。
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記事にあった。

拝啓 僕ノ今日ノ生命ハ『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』ニアルノデス」。
俳人、正岡子規は結核性カリエスで激痛なしに身動きできぬ病床から
新聞連載「病牀六尺」を死の2日前まで続けた。

冒頭の手紙は原稿が載らなかった日の編集主任宛てのもので、
休載を知って泣いたとある。
「モシ出来ルナラ、少シデモ載セテ戴イタラ命ガ助カリマス」。
子規はそう懇願したのだ(復本一郎著「正岡子規 人生のことば」岩波新書)

随分、前に読んだ本。控えておいた言葉がある。
 死の間際には悟ると思えど
     いさぎよく生きていたのは
 何も知らずに生きていた事が
     悟りであった!

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★「なりたい自分になる」。 
 こちらは昨年9月、
 そんな言葉とともにがんとの闘病の病床からブログを書き始めた
 小林麻央さんだった。
 「がん患者」という意識に心や暮らしを押し込めていた
  今までの自分から抜け出そうと考えたのだ。

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「子供に『何もしてあげられなくてごめんね』と胸を痛めているママがいたら、
 あなただけでなく、私も同じです」。
 麻央さんの言葉は読む人の心にスッとしみ入った。
 記された闘病も、家族との時間も人々の心の奥の糸を震わせた。
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 私が怖れた世界は優しさと愛に溢れていました」。
 世界の女性100人の一人に選んだ英BBCへの寄稿
ではブログの反響にふれてそう記した。

 「病気となったことが私の人生を代表する出来事ではない」との言葉も忘れられない。

 「愛してる」と夫に告げた直後の34歳での旅立ちである。
  子規と同じく30代半ばのやるべきこと、やりたいことを多く残しての死だった。
  その2日前の最後のブログにはこうあった。
  「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように
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