中さん

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日記(5.16)コラム「宝物」

2018-05-17 04:10:43 | 日常
5月17日   (木曜日)   晴れ

何気ない日常が悪夢に変わってしまった新潟の一家族。
とても他人ごとではない。

 当市の発行する”メルくま”受信メールも毎日、複数回
 不審者に声を掛けられた子供や女性などの情報が届く。

 ハインリッヒの法則300:29:1から行くと
 こういった300回の小さな状況情報の中から
 重大な事件に1回はつながるということから
 おちおちしてはいられない。
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コラムにも・・
西欧社会に子どもという概念が生まれたのは17世紀以降だという
6、7歳から社会に出て、働くことを強いられた当時の社会状況を反映しているらしい。
子どもは、「小さな大人」だったのである。

▼これに対し、日本では昔から大切な存在だったと、
 小樽出身の原田貞義・東北大名誉教授は、共著
歌ことばの辞典」で指摘する。

 一例として、
 万葉集の「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」
(山上憶良)を挙げる。
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 銀も金も玉も子どもには及ばない、という意味だ。

▼その「宝物」が悲劇に巻き込まれた。
 新潟の小2女児が殺害された事件だ。
 女児は将来「デザイナーになりたい」と夢を語っていた。
 桜の花びらを集め「ママのお土産にする」と話す優しい子だったのに・・・

▼死体遺棄容疑で逮捕された男は、近所の住人だった。
 いわば地元の「おじさん」だ。
 子どもを見守り、助ける立場ではないか。
 それが凶行に及んでいたとすれば、あまりにむごい。

「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
 遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ揺がるれ」

 梁塵秘抄ではこう歌われる。


 遊ぶために生まれてきたのか、戯れるために生まれてきたのか。
 子どもが遊ぶ声を聞くと感動で体が動きだすと

▼もっと遊びたかっただろう。いろいろな経験をしたかったに違いない。
 無限に広がる子どもの未来を、力ずくで奪った犯行が憎い。

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コメント
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