福住へ抜ける街道を上がれば天理市の苣原に着く。
バス停留所で馴染みの男性がおられた。
彼岸の道造りや日待ちの行事がある。
五つの垣内それぞれで廻しているなんらかの掛軸。
かつてはヤドで会食をしていたが、たいそうになってきて廻すだけになった。
庚申講もそうである。
そんな話をしてもう一つの流離う先は山添村の桐山。
なにかとお世話になっている地だ。
戸隠神社下の会所の前を通ろうと思ったときに気がついた老婦人たち。
土曜、日曜の休みの日に出店する農家の作物売り場。
自家製の野菜などを販売している。
ここでも見慣れたお顔。
観音講の行事などで世話になったKさんがいる。
売り場のレジ(といっても現金売り)にはNさんも。
そこへやってきた婦人はKさんの奥さん。
懐かしい顔ぶれに行事などの話題が沸騰する。
旦那さんのKさんには随分と教えてもらった。
平成17年に行われた田楽神事芸能のウタヨミが初めてだった。
翌月の新嘗祭もお世話になった。
新嘗祭は翌年の18年にもお伺いした。
その後はしばらく離れて平成23年にはハゲッショまでも。
お家のお盆の在り方も教えてくださったが、実現はしなかった。
その頃は奥さんの具合が良くなかった。
その年の9月には観音講、翌年の24年には十九夜講や神社行事の祈年祭。
その頃はお元気だったKさん。
10月にはウタヨミ出仕前のトーヤ秀にお会いしたが、Kさんの姿はなかった。
村人の話では具合が良くないということだった。
食事が喉も通らずようになっていたと話す奥さん。
旦那さんのKさんが今年の1月29日に亡くなられたと云う。
辛い話しである。
その奥さんが話していた大久保垣内の薬師さん。
9月12日に行われるのだが、場所は現認していなかった。
事前に挨拶もしておきたいと思って通過する際にお会いした売り子の一人は大久保垣内。
店じまいをするから、売れ残った野菜を持って帰れと云って包んでくれた。
「馴染みなんだから遠慮は不要だよ」と云って笑顔で包んでくれる村のご馳走に感謝する。
ここへは歩いてやってきたNさんを送ってあげようと声を掛けた。
そのついでに薬師堂の場所も教えてあげると向かった先は大久保垣内。
そこにはマツリのトーヤも勤めたことがあるNさんがおられた。
「また、写真を撮ってくれるんや」と喜んで案内してくださった。
ありがたい桐山のおつきあいである。
(H25. 9. 8 記)
バス停留所で馴染みの男性がおられた。
彼岸の道造りや日待ちの行事がある。
五つの垣内それぞれで廻しているなんらかの掛軸。
かつてはヤドで会食をしていたが、たいそうになってきて廻すだけになった。
庚申講もそうである。
そんな話をしてもう一つの流離う先は山添村の桐山。
なにかとお世話になっている地だ。
戸隠神社下の会所の前を通ろうと思ったときに気がついた老婦人たち。
土曜、日曜の休みの日に出店する農家の作物売り場。
自家製の野菜などを販売している。
ここでも見慣れたお顔。
観音講の行事などで世話になったKさんがいる。
売り場のレジ(といっても現金売り)にはNさんも。
そこへやってきた婦人はKさんの奥さん。
懐かしい顔ぶれに行事などの話題が沸騰する。
旦那さんのKさんには随分と教えてもらった。
平成17年に行われた田楽神事芸能のウタヨミが初めてだった。
翌月の新嘗祭もお世話になった。
新嘗祭は翌年の18年にもお伺いした。
その後はしばらく離れて平成23年にはハゲッショまでも。
お家のお盆の在り方も教えてくださったが、実現はしなかった。
その頃は奥さんの具合が良くなかった。
その年の9月には観音講、翌年の24年には十九夜講や神社行事の祈年祭。
その頃はお元気だったKさん。
10月にはウタヨミ出仕前のトーヤ秀にお会いしたが、Kさんの姿はなかった。
村人の話では具合が良くないということだった。
食事が喉も通らずようになっていたと話す奥さん。
旦那さんのKさんが今年の1月29日に亡くなられたと云う。
辛い話しである。
その奥さんが話していた大久保垣内の薬師さん。
9月12日に行われるのだが、場所は現認していなかった。
事前に挨拶もしておきたいと思って通過する際にお会いした売り子の一人は大久保垣内。
店じまいをするから、売れ残った野菜を持って帰れと云って包んでくれた。
「馴染みなんだから遠慮は不要だよ」と云って笑顔で包んでくれる村のご馳走に感謝する。
ここへは歩いてやってきたNさんを送ってあげようと声を掛けた。
そのついでに薬師堂の場所も教えてあげると向かった先は大久保垣内。
そこにはマツリのトーヤも勤めたことがあるNさんがおられた。
「また、写真を撮ってくれるんや」と喜んで案内してくださった。
ありがたい桐山のおつきあいである。
(H25. 9. 8 記)