マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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満願寺町西岳院秋の大祭観音講

2014年01月18日 09時45分32秒 | 大和郡山市へ
毎月17日は観音さんの日と云って村の人たちが営みをされる大和郡山市満願寺町の西岳院。

富雄川の西岳にあることからその名がついたと云う西岳院は黄檗宗万福寺の末寺。

古田神社と隣り合わせにある大きな禅堂が西岳院。

先々代が勤めるまでは荒れた本堂だったと話す。

満願寺町の古屋敷と呼ばれる地にあった満願寺は富雄川の氾濫によって現在地に移されたが、現在の西岳院はかつての旧満願寺の別坊。

元地の古屋敷の南側には堂前が、西側には堂後の小字名がある。

古屋敷に本堂があった名残の小字である。

かつては村の有志が集まった観音講がお勤めをしていた。

いつしか村の行事に移り替った。

古屋敷、北垣内、南垣内の3垣内からなる旧村垣内が毎月交替する当番役が就く。

この月は秋の大祭の観音講。

斎壇には土台のカボチャに挿した五色の「あんやほん(唵唖吽)」を供える。

普段の月ではお参りだけであるが、春と秋の大祭には「あんやほん」を立てる。

幟のような「あんやほん」は、施餓鬼に立てるヒトガタ仏旗と同じような形である。

西岳院の本尊は奈良県指定文化財の木造十一面千手観音立像。

高さが3m5cmもあるお姿に圧倒されて思わず手を合わせる。

この日は禅堂に安置していた隠元禅師の座像を本尊前に移された。

徳川家二代、三代に招かれて、インゲン豆、普茶料理、煎茶、西瓜、蓮根、孟宗竹の食べ物や木魚を日本に持ちこんだ禅師である。

寛文元年(1661)、黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師も村人に見ていただこうと正面に移された。



鐘を打って始まった大祭の法要。

初めに開経偈、次に「かんぜーおん ぼーさつー」と観音経を唱える。

そして一人ずつ焼香される。

法会をされたご住職は一旦境内に下りる。



当番役が設えた四角い場に春の大祭で授かったお札などを盛って、火を点けて燃やす。

あんやほんなど、古いお札を燃やして供養する焼納のようなものだと話すご住職。



それを終えて再び堂内に戻ったご住職は先祖代々の菩提のために塔婆回向をされる。

およそ30人の参拝者は揃って三巻の般若心経を唱える。

(H25. 9.17 EOS40D撮影)