マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大塩の九月塩瀬講

2014年01月25日 09時42分33秒 | 山添村へ
鎌倉時代作と伝わる塩瀬(しおせ)の地蔵さんは大きな岩に彫った磨崖仏。

「ずっと昔からお地蔵さんを守っている講やねん」と講中に教えていただいたのは去年の6月だった。

山添村大塩の八柱神社年中行事のドウゲを勤めていた二人は塩瀬講の講中だった。

元来は4月24日、9月24日に参っていた塩瀬講の人たち。

今では集まりやすい直近の日曜日にされている。

塩瀬の地蔵さんは山添村の指定文化財。

鎌倉時代の作とされる地蔵石仏は座高が160cmもある。

かつて安置してあった地蔵堂が火災にあって焼けただれているが、立体感がある彫りで姿をとどめている。

塩瀬の地蔵さんは「目の神さんや云うて願掛けに来る人も見られる」と講中が話す。

北野から箕輪に通ずる街道があった。

お伊勢参りの人々が往来する道だったようだ。

伊勢参りに向かう道中の安全を祈願したと伝わる。



昔、眼病に苦しんだ人が手洗水で眼を洗ったところ、快方したと伝わるありがたい地蔵さん。

今でも「眼の神さま」としてお参りする人がいるのも頷ける伝承である。



年に2回のお参りに地蔵さん周りを清掃される塩瀬講の二人。

4月、9月があって、8年に一度が回りの当番だと云う。

地蔵さんの前の舗装路は昭和40年ころに自衛隊が造った道だ。

その後の昭和46年、大字伏拝(ふしょがみ)に健民グランドが完成した。

当時の街道の面影は見られないが、塩瀬地蔵さんは静寂の大杉の下に佇んでいる。

大塩では秋の実りが色づいていた。



アケビの実はふっくらして、数日も経てば鮮やかな色合いになるであろう。



クサギの蕾花が美しい。

赤い花には黒い実が入っているだろう。

その姿を見るのはガク片が弾けたときだ。

ソヨゴの葉とちょっと違う。

これはウメモドキなのかと思ったが実の大きさが違う。



なんとなくガマズミと思ったが、断定できなかった。

9月半ば、山間の秋の色は足早にやってくる。



当番の婦人は付近に植生しているビシャコや山の恵みの赤い実をつけたガマズミなどを採取する。

家から持ってきたアセビとともに野の花を地蔵さんに飾る。

ひっきりなしに車、単車、自転車、犬連れの散歩者が通り抜けていく。



サイクラーや車中から眺める観光客は願掛け地蔵のことなど気にもせずに通り過ぎる。



そんな様子にお構いなしに雑草を刈り取って溝も奇麗にしている当番さん。

「山添が好きでいつも歩いています。歩くのがとても素敵な地ですよ」と、大阪からやってきたご夫婦は、謂れやご利益を聞いた地蔵さんに手を合わせた。



大塩村内でマイク放送を聞きつけた講員たちがやってくればセキハンを供えた当番さん。



お神酒も供えて手を合わせるが、念仏を申すわけでもなく心のなかで祈りを込める。



当番さんを交えて講中たちは東屋横にシートを広げて直会を始める。

頼んでいたオードブルも到着してみんなでよばれる直会の場は和やか。

10月のマツリの話題などで盛り上がる。

大塩のマツリは寺座と宮座の二つがあるが、なんど聞いてもややこしい。

大橋にある大矢商店の仕出しオードブルはいつも美味しくいただく。

通り過ぎる観光客にも声を掛けるが、このような場の直会ではただの酔っぱらいのように見えるのであろう、見向きもされない。



「眼病にご利益があるとか、塩瀬講の幟をあげようか」の意見も出てくる直会の場。

始まってから1時間半も経過したころである。

二人の子供連れのご家族が歩いていく。

家族の手にはお花も見られた。

もしやと思って声を掛ける講中。

返ってきた言葉は「あらたかな地蔵さんにお参りしたい」である。

大阪阿倍野からわざわざやってきたご家族は塩瀬地蔵のご利益を知って春、夏、秋に訪れていると云う。

ご利益を知ったのも神野山のスターウォッチングのときだったというから何かの縁が働いていたのであろう。

奥さんは眼病の願掛け、旦那さんはトラック運転手なので目を大切にしたいということでお参りにきたと云う。



掬った清水で眼を洗う手水の扱い方といい、心を込めて参拝の作法をされたことに感動する。



下げたセキハンを貰って喜んで帰っていったご家族。



この日の出合いは良き日になってほっこりしたのである。

(H25. 9.22 EOS40D撮影)