小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



先日、国道135号を車で通行中、海側でクレーンを使い何か工事をしているのに気づいた。車からではどのような工事か分からず、休みの日に自転車で出かけてみた。国道135号を早川から真鶴方面へ。米神のシーフードレストラン先のカーブのところが工事現場となっている。この周辺は、2007年9月7日未明に上陸した台風9号の高波でガードレールや沿道の店舗に被害が出ていた。現場の看板にも高波対策工事と記されており、高さ3m以上はありそうな防波壁を作っている。国道135号から工事現場を見てみると、移動式クレーンで消波ブロックを並べていた。基礎に使われている波消ブロックを良く見てみると、酒匂川河口の工事現場で作っていたものと同じ形である。これは、酒匂川河口の工事現場で作られている消波ブロック。ナンバーや塗装の位置が一致する。それに何よりどちらの工事現場も同じ建設会社の施工なので、酒匂川河口で作られた消波ブロックは米神の工事現場に運ばれているようだ。国道135号から海岸へ降りて、工事現場全体を撮影。工事名は道路災害防除工事。期間は3月31日まで。施工は真鶴の建設会社。

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小田原市高田、イトーヨーカドー前の道路を高田方面に進むと工場や浄水場の立ち並ぶ一角に出る。県道沼田国府津線の高田交差点を過ぎ、家電のコジマと日本インジェクタの工場の先、数区画に化学関係の工場や印刷工場が点在している。その日本インジェクタの工場の道路を挟んで反対側、コジマの隣の場所は以前、日立系列の配線工場だった。工場が解体されしばらく更地だったが先日、その前を通ると開発事業計画の概要の看板が立っていた。現地の看板によると開発事業予定はスーパーマーケットの新築工事で用途は店舗・事務所・共同住宅となっていた。事業主はアプリの地下に入っているスーパーの本社。施工業者は未定で完成予定は6月30日の記載。この春に開通予定の県道穴部国府津線とともに工事の進捗を注目したい。

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小田原市鴨宮、巡礼街道のヤマダ電機先のモスバーガー角を曲がり矢作方面に進むと3つ目のカーブの脇に菊川天満宮がある。鴨宮方面から車で通るとカーブの出口のために気づきにくいが、小さな梅林のなかにちょこんとした社殿が建っている。社殿横の小さな梅林も花の見ごろを迎えている。その梅の枝には地域の子供達が書いたと思われる絵馬が吊るされていた。この菊川天満宮にまつわる伝説は、「昔、この村の矢作りに菊という親孝行な娘がいたが、あるとき、ふとしたことから村の西境を流れる川に入水自殺してしまった。村民はこれを憐れみ、娘の霊をなぐさめるために祠を建立したが、それから後は川が濁ったり氾濫することがなくなった。後にこの川を菊川と呼ぶようになった。」また、『風土記稿』では、太田道灌が相州に在住の折に、菊の話を聞いていたく感動しこの地に詣でて石灯籠を寄進したとの伝えが残っている。太田道灌が詣でたのは文明10年(室町時代の1478年)とのことで、500年以上前から菊の伝承がこの地に残っていることになる。菊川天満宮は明治26年、菅原道真一千年祭りの機に、鴨宮の岩瀬氏が石造銅葺きの社殿を再興。道真公を合祀して名実ともに菊川天満宮と称するようになった。大正期の関東大震災の折に全壊したが、村民の手により再興され、昭和54年には修復も行われたとのこと。開発が進む鴨宮地区だが、この小さな社殿と梅林がこのままの姿で残ることを願う。


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小田原市浜町から山王川を渡り東町までの間は、漁師町の風情の残る家並や細い路地が多くあり散策によく出かける。そんな散策の途中によく立ち寄るのが、国道1号から1本山側の道路沿いにある中華料理店の心楼だ。抹香町の路地をブラブラ歩き、永昌院の裏手の路地から公民館の横を曲がるとお店の前に出る。心楼の店主は、昔、錦通りの冠峰楼で料理人をしていたそうで店の閉店を機にこの場所で独立したとの事。冠峰楼のレシピに近いメニューにもいくつかある。心楼で必ず頼むのがこの餃子。揚げ餃子と焼き餃子の中間のような食感で焼き目はパリパリしていて美味い。餃子の皮が黄色っぽいのは大豆が練りこんであるからと聞いた。心楼で良く食べるのがこの焼きそば。蒸し麺を中華鍋で焼き、その麺の上に熱々の餡がたっぷりかかっている。聞けばこの焼きそばは冠峰楼のレシピと同じに作っており40年以上の歴史を受け継いでるとのこと。具に砂肝が使われているのも独特な味わいで美味い。月曜日定休。

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小田原城跡では10年ほど前から史跡の整備事業で、断続的に発掘調査や復元工事が続いている。昔の市役所跡に銅門が出来、隅櫓橋が撤去され馬出門が数年前に完成した。その馬出門をくぐるとフェンスが張り巡らされ工事が行われていた。工事しているのは昔の水の公園の部分。小型のユンボが数台作業をしている。本来の通路部分が規制され、写真の左側のフェンス沿いに仮設の歩道が作られていた。フェンスの上から東側を撮影。ここには以前公衆トイレがあったが火事のため撤去されてしまった。また昨年、強風でこの近くの松の巨木も折れて伐採されている。工事部分を説明した案内板。現地の説明文を要約すると、「小田原市では国指定史跡小田原城跡を保存管理するとともに、遺構を整備し保存と活用を図り、歴史的観光価値の拡大を図ることを整備の基本理念として平成5年に史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想を策定。馬屋曲輪修景整備事業はこの基本構想に基づき行うもので、平成12~13年度に馬屋跡・大腰掛跡の試掘調査を実施、平成14年度は曲輪周辺の土塁・石垣の確認調査を行った。平成15年度からは馬出門枡形の整備を進めるため、平成15~16年度で馬出門枡形の発掘調査を行い、平成17~18年度には馬出門の枡形の石垣整備工事、平成19~20年度には門・土塀の復元工事を実施。この結果、平成21年3月に馬出門が開門し、馬出門から銅門へと連なる小田原城二の丸の表玄関の姿が甦った。また平成21年からの馬出曲輪の修景整備を進めるため、平成20年度には馬屋・大腰掛の追加発掘調査を実施し、平成21年度には馬屋曲輪南東隅櫓の櫓台石垣と櫓台北側と西側に設置された階段・馬屋曲輪の東側及び西側の土塁と内法石垣の調査を実施。今年度は馬屋曲輪修景整備事業の最終年度であり、北村透谷碑の移設、土塁内法石垣の整備、馬屋跡・大腰掛跡・井戸の表面表示・馬屋曲輪地盤面の修景を行います。この整備に伴い、北村透谷碑周辺のマツなどの4本の樹木を伐採。これは土塁や内法石垣を復元するに際して、やむなく伐採を行うものである。」観光協会の建物側から撮影。青いシートのかかっている部分が内法石垣だと思われる。この場所にあった北村透谷碑は解体され南町の小田原文学館へ移設された。工事名は修景整備工事。工期は3月15日まで。施工は地元の建設会社。

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