残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《教示③》第十七回
左馬介は、その師にもう一度、頭を下げると洞窟を取って返した。いよいよ、その時が来たのである。だが、よく考えれば、これから左馬介が向かう滝壺の中の洞穴(ほらあな)…。この中にあると云われた燭台には既に火が灯されているのだ。誰が着火したのか?それは疑いもなく師の幻妙斎なのだ。では、いつ? と、素朴な疑問が過る。左馬介が洞窟へ入るかなり前に、一連の仕掛けをせねば、こうして幻妙斎が静かに座している訳がないのだ。換言すれば、そうしないと座して瞑想に耽(ふけ)るなど有り得ぬのである。
洞窟を出た左馬介は、師が一昨日、命じた滝へと、ひたすら向かった。一度、行ったことがあるとはいえ、詳しく知っているか、と訊かれれば、それは否(いな)と答えねばならぬ程度に記憶には薄い。それでも、滝壺の深さなどは今でも脳裡に焼き付いているから、考えている方法が強(あなが)ち駄目だとも思えない。左馬介の心境では五分五分であった。暫くは順調に進み、その後、幾筋かの獣(けもの)道に危うく分け入りそうにはなったが、それでも記憶を辿って、滝下へ砕け落ちる瀑水の音が微かに聞き取れる地点まで漸く近づいた。そして、なおも渓流の流れ下る沢を大石伝いに溯上すると、俄かに展望が開け、滝の全容が左馬介の両眼に飛び込んだ。