残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《霞飛び①》第八回
そして次の瞬間、幻妙斎は元いた岩棚に悠然と杖を突いて立っていた。
「…と、まあ、そんなところじゃ。左馬介ならば、決して出来ぬ、というものではない。直ちに、という訳にはいかぬがのう、ははは…」
云い終わると、幻妙斎は元のように左馬介に背を向け、ゆったりと座った。そして、そのままの姿勢で動かず、氷の人となった。
左馬介としては、師の号令や指示がなくとも稽古を始めねばならない。但し、過去でもそうであったように、洞内での稽古を止めるよう指示するのは幻妙斎によってであった。だから、最後を除けば、全て自らの判断による。途中で休みたければ休めばよし、腹が空けば握り飯を齧るもよし、なのである。左馬介は幻妙斎が舞い降りた岩場まで上がり、飛び降りては上がるといった繰返しを始めた。しかし、幻妙斎のように一枚の枯れ葉がハラリと地に舞い落ちるようにはいかず、どうも身体の重みによる衝撃が足に伝わるのである。この難問を解くには如何に身を熟(こな)せばよいのか…。二度、三度と飛び降りては上がるという所作を繰り返すうちに、左馬介の脳裡は、その一点に集約して捉われるようになっていた。分からずとも、直ぐ上に居る幻妙斎に訊ねる、というのは憚(はばか)られる。