残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《教示③》第二十六回
出すとは無しに安息の溜息が左馬介の口から漏れた。左馬介の記憶では、この部分以外には難儀な通路は無い筈だった。幻妙斎がいる奥の岩棚まで、足元に意を注いで抜かることなく進めばよかった。慎重を期す余り、天井からポタリ! と水滴が首筋へと落ちた時、左馬介は思わずギクッ! として、木箱を傾(かし)げそうになった。危うく体勢を立て直し、既(すんで)の所で事無きを得た。
そうこうして、漸くのことで幻妙斎が座す岩棚近くまで左馬介は進んだ。師は、左馬介が出掛けに見た時と同じ姿で座し、不動の体勢を崩していない。左馬介は凍りついたように木箱を持って佇んだまま師を仰ぎ見た。その姿の神々しさに、これが超越した者の姿か…と思った。
「おう…左馬介か。戻ったようじゃのう」
両眼を閉ざしているのだから分かる筈がないのだが、ずっと眺めていたかのような声が響いた。左馬介は一瞬、驚いたが、
「…あっ、はい! ただ今、戻りましてございます」
と、木偶(でく)人形のような返答をしていた。
「で、首尾よう、いったかの?」
小さな笑声とともに、幻妙斎の首が少し回り、瞼が開いた。
「はい、一応は…。ここに持参してございます」