水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

隠れたユーモア短編集-79- 雨祭り

2017年10月06日 00時00分00秒 | #小説

 なんだかんだ言っても、やはり祭りに晴天は欠かせない。もちろん、多少は曇(くも)っていても、それはそれでいい訳だが、雨祭りだけは頂(いただ)けない。第一、神様がお乗りになられるお神輿(みこし)が雨に濡れて痛むから出せなくなる。そこが人の運転している自動車とは違う。途中で降ってくるようなことも時折りある。そんな場合は、合羽(かっぱ)をお神輿に被(かぶ)せ、事なきを得るというのが一般的な処(しょ)し方だが、まあ、そんな危(あや)うい日は出されず、榊(さかき)での渡御(とぎょ)・・としたものだ。榊は祭礼用に切られた根がない大枝の榊が使われるから当然、その場凌(しの)ぎの一時的なものである。よくよく考えれば、神様は輿(こし)の中に在(あ)らせられる訳だから、直接、雨にお濡れになることはない。要は、神輿が痛むと修理代がかかるとか、神輿を担(かつ)いで濡れると風邪を引くから・・といった現実的な人々の都合な訳だ。神様は雨が降ろうと日照りの日だろうと、出現なされるだろう。そこが隠れた神様の神様たる所以(ゆえん)で、人とは違うんだ…とウツラウツラと眠気(ねむけ)に苛(さいな)まれながら、瓔珞(ようらく)は考えていた。これ以上の運転は無理だ…と、瓔珞は車を野原へ入れるとエンジンを切った。その途端、瓔珞の意識は遠退(とおの)いていった。
 気づくと、明け方になっていた。昨日(きのう)の雨が嘘(うそ)のように、白々と東の空が明るみを増していた。その日は祭りの当日だった。瓔珞は慌(あわわ)てて車を始動すると、家路を急いだ。

                              


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