たとえば水だが、固まって不動の状態になったものが氷(こおり)と呼ばれている。水からは見えず、あるいは分からない状態が、氷からは見えたり分かったリする。逆に固まった氷からは見えず、あるいは分からない状態が、水からは見えたり分かったりする。動と不動の相(あい)反する関係だが、人の行動でも同じことが言える。
動いている人は考えていることを実行に移しているから、そのことやその後の動きを短絡(たんらく)的に考えているだけである。だから当然、冷静さを損(そこ)なってウッカリしたミスも犯す。ただ、ミスはあるものの、行動した成果は現実に齎(もたら)される。買ってきた美味(おい)しい餅は食べられる・・ということに他ならない。逆に動かない人は考えていることを実行に移していないから、そのことやその後の動きを緻密(ちみつ)に考えている。だから、必然的にウッカリしたミスが起こるはずもない。ただ、ミスはないが、買おうと思い描いた美味しい餅は動いて買っていないのだから食べられない・・ということに他ならない。━ 絵に描(か)いた餅は食えぬ ━ とは、格言めいてよく使われるが、まさにそれだ。
会社の事務室である。妻に頼まれた夕飯用の魚を、枯井(かれい)は営業に出る平目(ひらめ)に頼んでおいた。その平目が夕方前、事務所へ戻(もど)ってきた。
「平目(ひらめ)さん! 買っといてくれました? 魚」
「それがですね…。魚の名を訊(き)いてなかったもんで、店頭の魚を見ながらじぃ~~っと動けなかったんですよ」
「そんなことは、訊いてませんっ! 買ってくれたんですかっ!?」
「ですから、名が分からなかったもんで、動けなかったんです」
「動けなかったって、買わなかったってことでしょ!?」
「ええ、まあ…」
「それは動けなかったんじゃなく、動かなかったんだっ!」
「そうなりますか…。どうも、すいません」
平目は枯井に深々と頭を下げた。
これは、飽(あ)くまでも一例だが、手ぶらで帰らず、動いて適当に見繕(みつくろ)って買って帰れば、それでOKだったのかも知れない。結論としては、ミスをしたくなければ動かない・・となるが、それでは物事が少しも先へと進まないっ! と言われれば、それも道理だから、動と不動を上手(うま)く使い分けて生きていくことが世渡り上手(じょうず)ということになるのかも知れない。
完