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水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

隠れたユーモア短編集-99- 欲求

2017年10月26日 00時00分00秒 | #小説

 欲求する心は程度差こそあれ、誰にでもある。ただ、その欲求は社会ルール、正しく言えば、法律が赦(ゆる)す範囲内でなけれぱならないことは当然だ。ただ、この法律というのが厄介な代物(しろもの)で、一端、成立した法律は、いい悪いに関係がなく社会に蔓延(はびこ)るということだ。いい法律ならまだしも、悪い法律は長く蔓延って個人に芽生えた欲求を損なったり摘み取ったりすることになる。これは許されないことなのだが、隠れた強制力を意味する[法は法なり]の言葉どおり、悪法も法律である以上、欲求に従ってその範囲を逸脱(いつだつ)すればアウトということになる。そこはセーフだろっ! と、プロ野球のダッガウトから飛び出し、審判に抗議する監督のように言い返したところで、返ってくる答は、『そのように存じ上げてはおりません!』とか、『・・と、かように考える次第でございます』とかいった国会答弁のようなことになり、まったく要領を得ない,
「もう、いいだろ! それだけ食えばっ!」
 沼川(ぬまかわ)は妻の葦美(よしみ)と久しぶりに食事に出かけたのはいいが、妻の底知(そこし)れぬ食いっぷりに辟易(へきえき)としていた。ステーキ2枚にパスタ、加えてピラフである。お前は相撲の関取かっ! と言いたくなった沼川だったが、あとが怖くなり、思うにとどめた。葦美の隠れた食への欲求は沼川に比べれば数倍高く、とてもその食欲に沼川はついて行けそうになかった。
 その人により欲求の種類と高低(たかひく)は異(こと)なるが、孰(いず)れにしろ、程度ものだということは確かなようだ。

                              


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