ドジとは、普通では考えられないミスを犯す・・といった場合に使う言葉だが、妙なものでドジを踏む場面に遭遇(そうぐう)した途端(とたん)、誰しも思わず愉快な気分になるのは不思議といえば不思議な現象である。
世に知られた有名な書道の大家である本山(もとやま)大臣(おおおみ)が、注文された書をっ! ・・と、まさに今、筆(ふで)を握ろうとしていた。その矢先である。古くから飼われている猫の権兵衛(ごんのひょうえ)がヒョイ! と居間から現れ、紙の上を何げなくヒョコヒョコ…と横切ったのである。悪いことに、本山が磨(す)り溜(た)めた墨汁(ぼくじゅう)を筆にたっぷりと含(ふく)ませ、大紙に向かおうとした瞬間とタイミングが、ばったり合ってしまった。
「…!!」
本山は刹那(せつな)、権兵衛が横切るまで筆を止めようとしたが、時すでに遅(おそ)かった。さすがに猫に筆は下ろされなかったが、それでも勢いよく紙の上へと避(よ)けて滑(すべ)り落ちた。こうなっては仕方がない。書き始めた以上、止められず、大臣はそのまま書き終えた。紙の上には書かれる予定にはなかった書が描かれていた。大臣にすれば完全なドジである。悪いことは重なるもので、そのとき権兵衛が振り返った。
「ニャ~~!?」
ひと声、小さく鳴くと、権兵衛は書かれた紙の上を戻(もど)り始めたから堪(たま)らない。権兵衛の墨の足跡が、これ見よがしに紙の上に描かれたのである。
「先生、そろそろ如何(いかが)ですかなっ?」
注文した一流企業の会長が間(ま)の悪いことに、そこへヒョイ! と顔を出した。
「こ、これはっ、ははは…私のドジですっ!」
誤魔化(ごまか)そうと、大臣は態(わざ)と愉快に笑った。会長はシゲシゲ・・と紙を見入ったあと叫んだ。
「な、何をおっしゃいますっ!! こ、これは歴史に残る、た、大作ですぞっ! 先生!!」
その後、その書は大臣の作品集の一枚として出版され、世に出た。
ドジは必ずしもドジではない・・という愉快なドジのお話である。^^
完