古い諺(ことわざ)に、━ 鰯(いわし)の頭(あたま)も信心(しんじん)から ━ というのがある。歴史だと、鎌倉時代の元寇(げんこう)で吹いたとされる神風(かみかぜ)がその鰯の頭で、先の世界大戦で多くの尊い命を散らせる因にもなった。普通常識として考えた場合、鰯の頭は、ただの魚(さかな)の頭なのだが、信心する人からすれば、節分に柊(ひいらぎ)の葉とともに挿(さ)せば、家の魔除(まよ)けになる・・という。ただの愉快な慣習に過ぎないのだろうが、信心する人からすれば、それで魔や鬼が退散する! というのだから怖(こわ)い話である。
これは古い江戸時代のお話である。とある深夜のこと、とある村の野原に落ちた隕石(いんせき)は、次の朝、村人達を驚愕(きょうがく)させた。その年、村は数十年ぶりの水不足に見舞われ、凶作が心配されていた。
「ピカッと光って落ちてったのは、どうもこれだな…」
「ああ…そうだべ」
村人達は落ちた隕石を取り囲み、ああだこうだと騒いでいた。
「こりゃ~、神様がお祀(まつ)りしてけろ・・と言ってなさるにちげぇねえで」
「ああ、んっだ…うらも、そう思う」
「お祀りすりゃ~、お恵(めぐ)みの雨を降らして下さるだぁ~よぉ」
「んっだ、んっだっ!」
一人の村人のひと言で、その隕石は鰯の頭になったのである。次の日から村人達は総出(そうで)で祠を作り、その隕石をご神体(しんたい)として祀った。すると、不思議なことが起こった。祠が出来た数日後、潤(うるお)いの雨が村に降り注(そそ)いだのである。田畑の作物は、たちまち息を吹き返し、村は飢饉(ききん)から救われたのだった。祠の隕石は水神様として、村人の鰯の頭になり続けた・・というお話である。
鰯の頭はご利益(りやく)を齎(もたら)し、人々を愉快な気分にさせるようだ。^^
完