人の世はそう甘くない。上手(うま)くいったな…などと軽く考えていると、どっこい! そうは問屋が卸(おろ)さず、小売商は在庫を欠かすことになる。…いや、失敗して泣けることになる。この、どっこい!・・という言葉が使われたとき、結果の変化が多々起こる。
内平、外川の社長同士の会話である。
「損失が出たそうですね? 内平さん!」
「ははは…どっこい! そんなことはっ!」
「? …と、申されますと?」
外川は意味が分からず、訝(いぶか)しげに内平を見た。
「餌(え)ですよ、餌。餌をつけないと魚は釣れないでしょ?」
「釣り餌ですか?」
「そうですっ! 釣り餌。損して得取れ・・ってやつですよ、はっはっはっ…」
内平は恵比寿さまのような福々(ふくぶく)しい笑顔でニンマリと笑った。
「どっこい! これでも縄跳び検定の6級と5級は受かりましたよっ! はっはっはっ…」
「なんです、それは?」
内平は意味が分からず、訝しげに外川を見た。
「いや、べつに…。それだけの話です」
「それだけの話ですか…。こちらも、それだけの、どっこい! 話ですよ、はっはっはっ…」
二人は笑って別れた。
どっこい! は、悪い結果への、いい受け身言葉だ。^^
完
人はグッ! と我慢して、何かを守り、何かを得(う)る・・らしい。もちろん、ジッ! と我慢する場合もあるだろう。いずれにしろ、我慢しないと自分の思い上りを知ることが出来ないようだ。思い上りを知らないと、横着(おうちゃく)で生意気(なまいき)な人間にドンドン堕落(だらく)し、ぅぅぅ…と泣ける奈落(ならく)の底へと落ちていくことになるという。ははは…そんな馬鹿なことはないさっ! 人生は我慢などせず、横着に生きて邪(よこしま)に生きりゃいいのさ・・と言う人もいるだろう。確かに、そういう生き方もある。しかし、その生き方には必ず、落とし穴が待っていて、やはり止めどない奈落の底へと落ちていくそうだ。
とある小学校である。教室の後ろに立たされた、一人の生徒が我慢できず、教壇の教師に叫んだ。
「先生っ! もうダメですっ! 行かせて下さいっ!!」
「ははは…なにをおっしゃるウサギさん。その声じゃ、まだまだっ!」
教師は笑顔で全否定した。過去のデータからして、この生徒の限界は、まだまだ…と推測したのだ。
「いや、ほんとに先生!! 今日は、もう…。ぅぅぅ…」
泣けるような声の生徒は、ついに我慢しきれず、フロアへ崩れるように腰を下ろした。そして次の瞬間、気味(きみ)悪く、ニッコリと笑った。
「どうしたっ! まだまだか?」
教師は、やはりなぁ…と思ったのか、笑顔でそう返した。
「いえ、僕、ダメでした。へへへ…」
「なっ! なにぃ~~っ!」
教師は生徒の言葉に、思わずとり乱した。
「へへへ…見事に全部、出ましたっ!」
誰からともなく生徒達から嬌声(きょうせい)が響きだした。と、同時に、悪臭が教室内に漂(ただよ)い始めた。生徒達は我先(われさき)へと教室から逃げるように走り出た。
「ト、トイレへ走れっ!」
「が、我慢はしたんですが、へへへ…」
「で、出るまで我慢するなぁ~~っ!」
そう言うと、教師も教室から逃げるように走り出た。漏らした生徒だけが笑顔でフロアに腰を下ろし、余裕の顔で佇(たたず)んでいた。
我慢には限界というものがあり、それを超えると、やはり泣ける事態に至(いた)るようだ。
完
あっても困らないが、場所によっては都合が悪いのが疣(いぼ)だ。尾籠(びろう)な話にはなるが、具合が悪いのが肛門部である。痔(じ)が疣状になるもので、ぅぅぅ…と泣けるようなことにでもなれば難儀(なんぎ)することこの上ない。それに比べ、なんとも愛くるしい疣もある。
とある役場で昼休みをする先輩と後輩職員の会話である。
「これ…格好悪いでしょ? …取ろうと思ってるんですよ」
後輩職員が片方の耳を指さし、訥々(とつとつ)と言った。
「なに言ってんだ。君の一番のチャームポイントじゃないかっ!」
先輩職員は後輩を一喝(いっかつ)した。
「そうですか?」
「そうだよっ!」
「そうかなぁ~?」
そこへ昼の外食を済ませた連中がゾロゾロと帰ってきた。
「もちろんっ! なっ!」
先輩職員は帰ってきた連中に話を振った。当然のことながら、帰ってきた職員達には皆目(かいもく)、意味が分からない。
「はぁ? 何のことです?」
「疣だよ、疣っ! 疣、疣っ!」
「… …?」
「先輩、そんなに疣、疣って言わなくってもっ!」
「疣の話なんだから仕方ないだろっ!」
「分かりましたよっ! もう、いいですっ!!」
「おお! 分かってくれたかっ! さすがは疣の君だけのことはあるっ!」
そこまで聞けば、疣の話か…とは、帰ってきた連中にも分かる。
それ以降、後輩職員は[疣の君(きみ)]という渾名(あだな)で職員達に呼ばれ、そのことで、ぅぅぅ…と泣ける思いをしているそうである。
疣ではなく、格好悪い渾名で泣けるのだから世の中とは皮肉なものである。
完
聞き間違ってもらっては困る。レンタル[賃貸し]ではない。メンタル[心理]の方である。このメンタルというやつは、なかなかに手ごわい。人を悩ませたり泣かせることが多いからだ。
いつやらも登場した深毛(ふかも)禅寺(ぜんじ)の境内である。
「ほう! やはり、また来られましたなっ!」
来るのを予期していたかのように、管長(かんちょう)の沢傘(たくさん)が男を出迎えた。男は、これもいつやら登場した男である。
「また、お世話になりますっ!」
「やはり、また動きましたかな?」
「いや、今回は動いてはおらないのですが、モヤモヤした心理面の雑念が…」
「おお!! それは、いけませんなっ! メンタル面のケア~は大事ですからな」
「ほう! 管長も、なかなかの外国通でらっしゃいます…」
「ははは…いろいろと外国の方もお参りされる時代ですからな。日夜、学んでおります」
「管長さまがですか?」
「はいっ! いつぞや、ぅぅぅ…と泣ける大恥(おおはじ)を。この年で、お恥ずかしい限りでございます」
「して、それは、どのような?」
「? 忘れましたな、ははは…」
「メンタルな恥ですか?」
「そうそうそれっ! 外国のお方が本尊を指さされ、『コレッ! メンタル?』とお訊(たず)ねされましたもので、つい、『レンタルは出来ません』と返しましてな。偉い大恥でございました」
「ははは…メンタルは泣ける・・ということですか?」
「メンタルはメンタルで、ですかな。ホッホッホッ…」
沢傘と男は笑いながら寺の中へと消えていった。
メンタルは泣けるほど複雑怪奇で、ケア[介護]を要すのである。
完
仕事のし過ぎで首(くび)周(まわ)りが重くけだるい状態だけを肩(かた)が凝(こ)る・・と言う訳ではない。責任がある心理的な重圧を受ける状態も、肩が凝る・・と揶揄(やゆ)して遠回しに言う場合もあるからだ。双方とも、度を越すと過労と言われる症状になり、ぅぅぅ…と泣けることになる。泣けるだけならまだいいが、過労死、自殺という命にかかわる事態ともなれば大問題だ。
とある二人の知人の会話である。
「どうされました、帆立(ほたて)さん? 最近、元気がないですが…」
「これはこれは、赤貝(あかがい)さん。よく訊(き)いて下さいました。実は最近、ぅぅぅ…と泣けるように肩が凝るんです」
「そら、いけませんな。仕事のし過ぎなんじゃないですか?」
「いや、それなら、まだいいんですがね。実は、コレコレでして…」
「なるほど! コレコレでしたか。そりゃいけませんなっ! コレコレは厄介(やっかい)です」
「何か、いい手立てはありませんか?」
帆立は赤貝に切々と訴えた。
「まあ、なくもないですが…」
「あっ! ありますかっ!」
「はあ、まあ…」
「どのようなっ!?」
「それはですな。私もですが、握(にぎ)られて食べられることです」
「はあ?」
「詳(くわ)しいことは甘酢(あまず)さんにお訊き下さい。あの人なら美味(おい)しく握ってくれると思います。当然、肩凝りも消える筈(はず)ですっ!」
「そうなんですか? それは、どうも。さっそく、伺(うかが)ってみることにします」
三日後、ぅぅぅ…と泣けるような帆立の肩が凝る症状は、跡形(あとかた)もなく解え去った。
帆立の肩が凝る原因・・コレコレは、炊(た)き上がった飯(シャリ)の硬(かた)さにあった。ベトついて、どうにもこうにも、ネタを握れなかったのである。
まあ、肩が凝るとは、そうしたものらしい。
完
よくも悪くも、吹く風向(かざむ)きによって物事は変化する。これは見える場合と見えない場合とがあり、『おお! 冷えるっ! 今日の風は強いなっ!』などというのは見える場合で、二国の対戦試合で、『どうも風は今、我が国に吹いているようですねっ!』などと解説されるのは、見えない場合だ。
とある会員制の超高級レストランである。株で大儲(おおもう)けした投資家がカウンター席に陣取っている。カウンター前の鉄板ではシェフが馴れた手つきで肉を焼き、細かく切り分ける。それに手をつけ、特性ソースで味わう投資家は、美味(うま)そうに肉を頬張(ほおば)る。
「今日のは肉汁(にくじゅう)が少し薄いようだが…」
「そうですかっ? いつもと同じ特注なんですがねっ!」
シェフにも料理人としての意地があるから、言い返す。
「そうか? …先に食った鰻重(うなじゅう)のせいか…」
投資家は、ひとまず納得して頷(うなず)く。実はこのとき、見えない風向きが変化していることに投資家は気づかなかったのである。すでに株価は大暴落の兆(きざ)しを見せていた。この兆しというのが、美味(おいし)く感じない、風の警告サインだったのだ。投資家はそれに気づけなかったのである。
ひと月後の同じ超高級レストラン前である。一人のうらぶれたホームレス風の男が、トボトボ・・と店の前を歩いている。
「あの肉、美味(うま)かったな…」
男は、そうひと言(こと)、ぅぅぅ…と泣けるような声で呟(つぶや)き、恨(うら)めしげに店を眺(なが)めた。風向きを見逃(みのが)した投資家の哀(あわ)れな末路(まつろ)である。
見えない風向きは分からないから、直接、風に言って欲しいものだ。^^
完
動き回るほど事態を悪くして、ぅぅぅ…と泣けることがある。そういうときこそ、動かず・・を心がけることが肝要(かんよう)だ。不動心、不動身である。動かず、そうこうしていると、いつの間にか心身ともに冷静になれ、健康が戻(もど)ってくる・・といった具合だ。
深毛(ふかも)禅寺(ぜんじ)の山門前である。一人の背広服の男が石段をヨッコラッショ! と登ってきた。山門を掃(は)き清めていたのは、管長(かんちょう)の沢傘(たくさん)である。
「ホッホッホッ…飽(あき)きずに、また来られましたな?」
沢傘は見慣れた男の姿に、嫌味(いやみ)を一つ言って微笑(ほほえ)んだ。
「ははは…ひとつ、よろしくっ! また泣けることが増えましてな」
「今回は、いかほど、ご滞在ですかな?」
「二日ばかりお願いを…」
「分かりました。いつものようなことで、大したお構(かま)い立ては出来ませぬがのう…」
「ええ、それはもう…」
「では、そういうことで…」
男は沢傘に導かれ、寺の中へと消えていった。
二日後である。
「お世話になりました…」
「いかがですかな?」
「はっ! お蔭さまで、心身とも凍りついたように動かず、でございます」
「おお! それはよかった。俗世は、悪い水が解かしますでなっ。くれぐれもお気をつけられて…。では、孰(いず)れまた…」
「はっ! 老僧もお元気で…」
「お互いにのう…」
二人は山門前で別れた。
動かず・・は時として、ぅぅぅ…と泣けることから救う医療になるのである。
完
※ 動いた方がよい場合も時として、あるようです。^^
・ 雨降って地(じ)固(かたま)まる・・と、世間では、よく言われる。だが、雨降って地が固まらず、益々(ますます)ぬかるみが広がるようなことになれば、これはもう、ぅぅぅ…と泣ける以外の何ものでもない。
「その後、どうなってるんです? 田所(たどころ)さん! いっこう進んでないようですが…」
「いやぁ~…実はですね。先方が、どうのこうのとおっしゃるもんで、拗(こじ)れとるんですわっ」
「拗れとるって、あんた。これで地が固まる・・って言われとったじゃないですかっ!}
「はい、確かに…。ところが、ぬかるみまして…。どうも、すまんことです」
「私に謝(あやま)られても…。困りましたな。これから麦踏(むぎふみ)さんに報告に行かにゃならんのですよっ!」
「そう言われましても…」
「それにしても、よく降りますなぁ~」
「はあ、梅雨(つゆ)どきですからなぁ~、ぬかるみになる訳です」
「ダジャレを言ってどうするんですっ!」
「そんなつもりじゃ…、どうもすいません。これから、ひとっ走(ばし)りしますんで…」
「ほんとに、もう! 頼みましたよっ!!」
野原に諄(くど)く言われた田所は、慌(あわ)てて野原の家をあとにした。そのとき、家の前の道を自動車が勢いよく走り去った。道にはぬかるみが出来ていて、バシャッ! と野原のズボンをやった。
「くそっ!」
野原は、ぅぅぅ…と泣ける思いで走り去る自動車を眺(なが)めた。
ぬかるみは、泣けるのである。
完
・ とある公園のベンチに腰を下ろした二人の老人の会話である。
「△#$%$$#w@でふよっ! ファッファッファ…」
「$%#&%##w@でふぁなふぁったんでふかっ? ファッファッファ…」
二人とも入れ歯を外(はず)して話しているから、周囲の者にはまったく理解できないのだが、二人は互いに理解出来るらしく、まるで外国語を話しているように流暢(りゅうちょう)に遣(や)り取りをする。そのとき、一人のヨチヨチ歩きの子供が、どこからかベンチへ近づいてきた。
「#$$%%#%…?」
「ああ! #$$%、%#%。それふぁら、&”#UY$%。ふぁいっ!」
子供の訊(たず)ねる意味が分かるのか、老人は小額の白銅貨を一枚、手渡し、ある方角(ほうがく)を指さした。老人と子供の間に、しっかりと会話が成立しているのである。この会話の内容も、周囲の者には皆目(かいもく)、分からなかった。子供は指(さ)された方角へと、またヨチヨチ歩き出した。すると突然、その会話を聞いていたもう一人の老人が泣き始めた。
「ぅぅぅ…%&’$RT$%##&%でふかぁ?」
「ふぁい、そうでふぅ。ぅぅぅ…」
直訳すれば、ヨチヨチ歩きの子供は両親に¥20でジュースを買ってやりたい・・というのだそうだ。そこで、老人は自動販売機で買える小額貨幣を手渡した・・というものだ。なんとも、涙ぐましく、ぅぅぅ…と泣ける会話だったのである。
会話は、手話以上に分かる人には分かるものらしい。
完
ああして…で、こうして…と細かく先を考えると、かなり気疲(きづか)れする。加えて、そうした結果が惨憺(さんたん)たるものであれば、ぅぅぅ…と泣ける思いすらする。そこへいくと、なるようになる…と開き直り、深く考えることなく普通に動けば、割合、それが好結果を生むのだから、人の世とは不思議なものである。
将棋愛好家が集まる、とある集会所である。
「いやぁ~、そう打たれては困りますっ!」
「ははは…待ったなし、ですぞっ!」
「弱りましたなぁ~。ああいけば、こうか…」
二人の老人が対峙(たいじ)して将棋を指している。その二人が指す将棋盤を、もう一人の老人が眺(なが)めながらポツリと呟(つぶや)く。
「ああこう、いかない方がいいんじゃないですか。なるようになる・・ものです」
「そうですかね…。じゃあ、こう!」
呟かれた老人は、ああこう…とは指さず、思いついた手をパシッ! と駒音(こまおと)高く盤上に打ち据(す)えた。
「そっ! それはっ!」
打ち据えられた老人は、ギクッ! とした。必死がかかった即詰(そくづ)みだったのである。
「ははは…待ったなし、ですぞっ!」
「ははは…まいりました」
勝負は逆転して、あっけなく終わった。
「ねっ! なるようになる・・でしょ」
「確かに…」
小難(こむずか)しく考えがちな世の中だが、割合、スンナリなるようになる世界なのかも知れない。
完