ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

神戸市北区「淡河宿 本陣跡」

2021-09-25 21:40:26 | お出かけ・兵庫県 神戸市

長い間お休みしてしまいました~

近場の散歩に買い物だけの毎日で・・・ブログを載せる気分も湧かず(ブログ巡りは日課ですが)・・・というのも・・・

我が家の建物が外壁改修工事に入り足場を組んでメッシュシートが張られ、ベランダの片づけ!植木や諸々の移動!

置く場所がなくて泣く泣く処分した植物もあり片づけに追われる日々を過ごしております

キレイになって断捨離もできてスッキリはしますが・・・あと半年はかかりそう~

その日を楽しみにして・・・耐えている日々ですが・・・

 

いいお天気だった今日!神戸市北区にある「淡河宿 本陣跡」へ出かけてきました~

「神戸・三宮から車で約30分。

それほど遠くはない道中を抜けると

中心地からは考えられないほど

たくさんの自然に囲まれた町、淡河町(おうご)に辿り着きます 」と・・・HPに・・・

「道の駅 淡河」に到着! 

ここから歩いて行きます!

目に入ったのが!

気にはなりますが・・・

まず!目的のところへ

自然あふれた町の一角にある

ここ「淡河宿本陣跡」は、

江戸時代に参勤交代の大名も利用したとされる由緒ある建物。

戦後間もない頃から空き家となっていましたが、

2015年に地元有志による保存会が始動、

改修とお掃除が重ねられ、息を吹き返しました。

表門から入って

半世紀を超える時を経て

かつての街道に再び賑わいが生まれつつあります。

今では新たな淡河のコミュニティスペースとして 

さまざまな催しが行われ、週末にはカフェもオープンしています(パンプレットから)

南座敷」

 

図:淡河宿本陣跡の全体見取り図です

『淡河の歴史

古代の淡河

淡河町の歴史はまことに古く、遥か縄文人の登場から始まっています。町内にある萩原遺跡や中村遺跡等からは、この時代の多くの石器や住居跡が発掘されています。時代を経て飛鳥期には、淡河に「泡河湖(アワゴコ)」という大きな湖があったという伝承があります。その後、湖の水位の低下や干拓事業の進展により、江戸中期以降には湖がなくなったようです。本町(ほんまち)地区にある歳田(さいた)神社は、奈良時代末期に湖が干拓された時、水神を祀って建立されたといわれています。

中世の淡河と室町時代の経塚

鎌倉時代、承久の乱の後、北条氏一族の北条朝盛が淡河地頭職に任じられました。その時、淡河庄(荘)の名前を取って「淡河」を名乗ったのが、淡河氏の始まりといわれています。淡河氏は、その後戦国の末期まで、淡河城を拠点にこの地を統治していました。 最近、勝雄地区の山中から発掘された経塚は、経筒の銘文に享禄3年(1530年)と刻まれており、室町時代のものと判明しています。経塚とは、平安時代末期に流行した末法思想を受けて、釈迦入滅から弥勒出現までの経典を保存する願意のために経を埋納した塚です。勝雄経塚では、法華経8巻が完存していました。

淡河城と萩原城

淡河城は、鎌倉時代からの淡河氏の居城です。淡河氏が南北朝時代に、播磨守護職の赤松氏に反して南朝方に属したため、この地域は南北朝騒乱の激戦地になりました。 室町末期から戦国にかけて、淡河氏は一時、東播で勢力を誇りましたが、その後、三木の別所氏の配下となりました。別所氏が織田信長に反抗した際、淡河氏も行動を共にしましたが、羽柴秀吉により淡河城は落城しました。その後、秀吉の命で有馬則頼が淡河城主となりましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により、淡河城は取り壊されました。 萩原城は、淡河町萩原地区の台地上にあり、淡河氏によって創築されましたが、後に有馬氏が有馬郡から攻め入り、以後は有馬氏が城主になっています。

羽柴秀吉の制札

天正7年(1579年)、羽柴秀吉は、淡河の町に対して、商業の中心として月6回の定期市を開くことを許可し、市(いち)に税金を徴収しない「楽市」とすることなどを定めた制札を掲げました。制札は、翌天正8年にも出されています。 平成16年、淡河町自治協議会と神戸市、神戸大学地域連携センターの共同事業により、本町地区にある歳田神社で、この制札2枚が発見されました。実に400年以上の時を経て発見された貴重な文化財といえます。

淡河本陣と宿場町

六甲山系の北を経由して播磨へ向かう道は、名湯・有馬(湯ノ山)を抱えていることから湯ノ山街道と呼ばれていました。元和3年(1617年)に明石藩が成立しましたが、淡河町は江戸時代を通じ明石藩に属し、この湯ノ山街道の宿場町として栄えました。 淡河本陣は、江戸時代初期に明石藩主等の宿泊用にと整備されました。明石藩主の松平直明は、たびたび淡河を訪れ、淡河川で魚取りに興じた後、本陣で泊まり、捕まえた鯉を食したとの記録が残されています。』(ウエブマガジン淡河 よりお借りしました)

 

玄関の花

着いたのがお昼時でした、、、私たちは昼食を済ませていたので、見学だけ~

中庭に出ると!

 

米蔵に

綿・

 

          衣装蔵が

「フリーバザール」

店主さんは、休憩中で不在です、、、

「井戸」

裏へ・・・

茶室から奥に西座敷が!

茶室の横を通って

「前栽」

「西座敷」

西座敷の縁側

先ほどまでお食事中の方が居られた縁側。帰られたので

奥は「南座敷」

中庭に戻ります~

左に「戎さま」が・・・

裏へ出ると!

駐車場からの入口。

戻ります~

表門の右側

ランチをお目当ての方たちが大勢来られていて大繁盛の様子で・・・

写真を撮るのが憚られて・・・すこし~心残りでしたが、本陣の雰囲気は感じてきました~



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