後期高齢者の旅とひとりごと

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春分の日春うらら琵琶湖岸をぶらり

2017-03-20 16:17:54 | まち歩き
今年一番の春の陽気にさそわれて、老妻と
二人で琵琶湖岸をウオークする。
街中では梅の花が咲きほのかな香りは、心を癒す。
膳所公園ではプラタナスが葉のない枝に実をつけたまま、
メタセコイアも茶色い葉のまま、まだ冬の装い。
湖岸ではカイツブリが遊び、河津桜は咲き誇っていた。
老妻の誕生日祝いでプリンスホテルで遅い昼食をとる。



梅雨の晴れ間ぶらり京都へ

2016-06-19 13:38:17 | まち歩き
6月18日土曜日朝から真夏のような日だし
老妻と二人でぶらり京都へ出かける
岡崎の美術館へ知人の絵の出品作を見に行き、
その後近くの平安神宮へお参りし、神社の裏側にある
神苑を見学する。
池にはいずれが菖蒲(あやめ)か杜若といわれる花が咲いていた。
花菖蒲は咲き終わり杜若と睡蓮が咲いていた、
1時すぎ繁華街四条河原町の方へ行き昼食を求め
レストランを探すがどこも順番待ちの客が多く
特にインバウンド効果による外国人、特に中国人の
観光客で溢れていた。
仕方なくランクを上げて京料理美濃吉へ行くとすぐ
待たずに入店できた。
味はよいがそれなりの費用がかかったが、老妻の80歳で
傘寿祝いをしてなかったのでその乾杯とした。
真夏のような暑い一日であった。




琵琶湖の浜昼顔に今年も出逢う

2016-05-07 10:23:34 | まち歩き
毎年5月になると見たくなる花、浜ヒルガオがある。
浜昼顔は往古から海岸の砂地に咲く花らしいが、琵琶湖の砂地に咲くのは
大変めづらしくその昔琵琶湖が海とつながっていた頃のなごり、生き残りかも
しれない。本当なら琵琶の音色にさそわれたロマンを感じる。
毎年楽しみにしている昼顔は、群生している琵琶湖の東岸ではなく、琵琶湖の南岸なぎさ公園
の隠れたスポット(多くはないが毎年ボランテイアの人が保護しておられる)である。
朝に咲き夜しぼむかれんな花 賢いやさしい愛情が花言葉とか?
5月の午後2時ごろの日差しに向かって咲く花の姿に見とれていた。

ラクウショウとメタセコイア

2015-11-03 14:55:44 | まち歩き
文化の日の行楽日和 琵琶湖畔の膳所公園へ散歩
公園へ行くといつも見ている木の名前が解らなかったので、あらかじめ自宅で
調べておいたのでよく理解できた。
いつもメタセコイアの仲間かなあと思っていたが、まるっきり違った。
よく似ている木であるがメタセコイアの原生地は中国であるがよく似た木は
ラクウショウと言う名前で落ち葉が鳥の羽のように見えるので、
和名を落羽松と呼ばれている。
原生地は北アメリカで明治時代に日本に移植されたらしい。
両者の見分け方は葉の特徴でわかる。
メタセコイアは葉が枝から対生しているがラクウショウは葉が互生している。

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奈良公園をじゃらん

2015-10-04 11:30:13 | まち歩き
夏の猛暑もすぎ待ちに待った行楽日和 ひさしぶりに奈良へ出かける。
近鉄奈良駅を降りて春日神社方面へ歩き出して昨年までとの違いにビックリ
中国人の観光客が多く日本人よりも圧倒的に中国人が多い。
鹿が珍しらしく一緒に写真を取るべく鹿にむらがっていた。
鹿にさわったり、10日から始まる角切のまえなので角のあるしかも多く、
角を捕まえて怪我をする人もいるらしい。
中国人のマナーの悪さ、鹿たちにはいい迷惑である。
10月1日からの国慶節の休暇で中国からの観光客が大量に来ているらしい。
途中若くて可愛らしい和服の女性二人がお互い鹿と写真を撮りあっていたので
話しかけると上海からきたとのこと、この着物は奈良市内の貸衣装屋で借りてきた
といっていた。
ふたり並んでの写真を撮ってあげる。
桜の花模様の着物が映えて可愛らしく素敵であった。
自分の妻と三人で写真を撮り喜んでくれた。
政治の世界では日中関係はギクシャクしているが、若い人たちは日本の文化に
関心を寄せ楽しんでいる姿をみると将来の日中関係は捨てたものではないようだ。
若者の屈託のない笑顔に接し、孫たちの平和な時代に光がさす一日であった。
商店街をぶらついていると足袋と靴下のあいのこのようなものを見つけ
買い求め自分勝手にタビックスと名づけて翌朝履いてゴルフの練習にゆく。
不思議と親指の踏ん張りが効くようであった。




夏越し祓い

2015-07-04 15:35:25 | まち歩き
6月30日梅雨の晴れ間のひととき大津市膳所(ぜぜ)の街を
散策する。
大津市は先の戦災にあわなかったため、格子戸のある古い建物も
残っており、軒先に咲く花が調和し良い風情である。
京阪膳所本町駅の近くに膳所神社があり、夜の夏越し祓いのための
茅の輪作りが行われていた。
そばにおられた宮司さんにお聞きしたところ茅の輪に使う草は
チガヤと言う草を使うとのこと。
夏越し祓いは6月の晦日(6月30日)におこなう行事で
年の半分が過ぎて厄払いをする行事である。
膳所神社は天智天皇が大津に遷都したときにできたらしい。
膳所をぜぜと読むのは珍しいが、当時この地が神撰物を献上する
御厨(みくりや)でいわゆる台所(膳部所)であったことから
膳所の名がついたらしい。
しかし、所をぜと読ますのは珍しく、奈良県の御所市と二箇所らしい。
道端に咲く淡い夕顔の花が源氏物語の光源氏の切ない恋に
はるかいにしえに頭をよぎる。
膳所は歴史ある町である。

花の命は短くて・・・・・・

2015-06-14 12:23:17 | まち歩き
土日の休み(後期高齢者になってもまだ仕事を続けられる健康に感謝)
を利用し妻と二人で街歩きをしていると民家や道端、公園などに
咲く花や木の実が先週とは違った風景になり、移りゆく季節の
変わり目に会い、吾輩が生まれた頃の林芙美子の言葉で、彼女の
人生を語っていると言われる花の命は短くて悲しきことのみ
多かりしに想いを寄せる。
美しく咲く花の多くは1週間もしないうちに散ってしまう。
はかない花に我が青春時代を重ねて見ると、楽しかった
思い出はあまりなく、東京での学生時代は1960年の
安保闘争が思い浮かぶ。
いまの安倍総理のおじいさんである当時の岸内閣が米軍の
日本駐留を認める安保改定を強行し、多くの国民は
日本がまた戦争に巻き込まれるとの左翼集団の反対運動
に巻き込まれた、忘れもしない6月15日国会正門から
突入した東大生の樺美智子さんが死亡した。
吾輩も国会の南門から突入したひとりである。
当時は米ソの冷戦時代であり、当時の安保改定が
社会共産主義社会から日本を守る抑止力になったように思う。
それから日本は経済発展し世界の経済大国になった。
60年安保から23年後社会共産主義政権のソ連が崩壊し
ロシアが誕生した。
いわゆる資本主義自由主義社会の勝利である。
当時の全学連の執行委員であった西部邁氏は当時を振り返り
安保条約の条文すら読んでなかったと語っておられる。
我々も詳しく中身を知らなかった
ただ戦争反対というスローガンに踊らされたのか・・・
今回の安倍政権の安保改定についてはもっと国民に
解りやすく、説明し国民の理解を得るべきである。
北朝鮮の核の脅威、中国の東シナ海への覇権脅威、IS
のテロの脅威 いまや日本を取り巻く環境も変わってきた。
イスラム社会と欧米を中心とする自由主義社会との価値観の違いや
経済格差の軋轢が世界に紛争が生じる時代が来るような
気がしてならない。



賢く優しい愛情

2015-05-23 13:24:42 | まち歩き
五月晴れの昼下がり妻をつれて琵琶湖岸をウオークする。
八十近くなると足腰が弱るために、できるだけ歩くことを
心がけて、健康寿命が平均寿命を追い抜くことを目標にしている。
花の命は短くて。。。。次から次へといろんな花が咲くのを見ながら
歩いていると人生のはかなさを思いつつ、砂浜に浜昼顔が満開であった。
淡い薄紫の花の花言葉は優しい愛情
いまさら優しい愛情とは50数年前に置き忘れてきた老夫婦
朝に咲き夕に萎れる浜昼顔
なぜか人生の縮図のような花

三献の茶

2015-05-14 14:06:47 | まち歩き
ゴールデンウイークの最後の日曜日 マイカーで琵琶湖一周のドライブ
をする。
AM10時頃琵琶湖の西岸から近江大橋をわたり、湖周道路に出て左に琵琶湖と
比良山脈を眺めながらの快適なドライブで比較的車も少なく、お昼頃に
湖北の長浜に到着。
駅前の駐車場に車を預ける。
駅前には羽柴秀吉と石田三成の三献の茶で有名な出逢いの像がたっていた。
長浜城主であった秀吉が鷹狩りで喉が乾き、当時長浜の寺の小姓であった
石田三成のお茶のもてなしが秀吉の目にとまり、秀吉に仕えるようになった。
お茶の世界の原点である一期一会であり、日本人のおもてなしの原点かもしれない
とかってに思う。
お昼に地元の郷土料理について道行く人に教えてもらい、北国街道にある古めかしい
たたずまいの店に入る。
築200年ぐらいの翼果桜(よかろう)という店で名物焼き鯖そうめんをたべる。
そうめんと焼き鯖が甘辛く煮込んであり、高齢者にとってはちょっと塩辛かった。
食後黒壁ガラス館やお土産店をのぞきながら散策し、湖北岸を走り、木之本から
高島市の桜で有名な海津大崎から湖西道路を走り湖南の大津へ帰る。
総走行距離約200キロ ちょっと疲れた。