後期高齢者の旅とひとりごと

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ターミナルケアの同意書

2016-08-27 08:59:56 | 健康・病気
あと4ヶ月で満100歳になる義母(妻の実母)を10年前から
我が家で面倒を見、介護施設に預けてきたが、今年1月に転倒し
大腿骨を骨折手術をしたが歩行困難となり寝たきりの状態となり
その後感染症で膀胱炎となり、入院治療をしていたが、
食事がとれない状態となり、栄養剤を点滴するのみで、病院は
治療行為は終わったため、退院を求められた、
そのため、現在契約中の介護施設と相談した結果、当施設は
ターミナルケア、いわゆる人生の終末の看取(みとり)介護を行う施設
であることが分かり、主治医と施設と家族三者間でカンファレンスを
行い看取り介護についての同意書に署名捺印することとなった。
つらい決断であるが高齢であり100年近くいきてきたことを考えると
少しでも命を永らえるために胃ろう手術などで本人を苦しめる
ようなことや点滴行為は中止し、老衰により安らかに
人生を終わらせる道を選んだ。
欧米では高齢者の延命治療は行わず、食べられなくなったら
自然に自宅で死を迎えるのが一般的であるらしい、。
自分たち夫婦も終活の時期に近づいた。
子供達には人生のターミナルに近づいたときの延命治療についての
意思表示をしておきたい。



70年ぶりの同窓会

2016-08-13 11:11:33 | 日記
先月71年前の終戦の年に当時の国民学校初等科
(今の小学校)に入学し、終戦ま近の激しい空襲で
落ち着いて勉強する環境になく、通学時は空襲警報が
鳴ると林や草の中へ逃げ込んだ記憶がよみがえる。
ほとんど勉強した記憶がない。
8月に終戦を迎え激しい食糧不足に見舞われていた
ひもじい思い出が頭をよぎる。
その当時のクラスメートのうち都会から疎開していた人もおり
65年ぶりに再会し、当時の
思い出に月日の過ぎ行く儚さが身にしみるひと時であった。
38人の仲間のうちすでに10人が他界していた。
戦後の地方では中学校を卒業するとはとんどの人は都会の
工場へ集団就職し進学する人は少なかった。
過酷な労働条件の中身体を壊し、他界した人もいたようだ。
78歳になっても出会うとお互い当時のちゃんづけで呼び合う
仲間はお互い年を忘れさす。
戦後71年平和な日本になったが、我々の年代は戦後の
貧しい時代から繁栄の時代に生き、頑張って平和を築いてきた
生き証人であり、後輩たちにはこの平和を守って行ってもらいたい。